帰国子女になる前のわたしの日記です【このnoteについて】
突然ですが、みなさんは、12歳の帰国子女(予備軍)と話したことはありますか?
このnoteで、書いていくこと
私は12年前、12歳でド田舎からアメリカの現地校へ放り込まれました。当時付けていた日記が今も残っています。このブログでは、そんな私が12年前に書き留めたことを、淡々とシェアしていきます。
ブログの見方
当時の日記「12歳の声」と、書き起こししながら思ったことがあったらぼちぼち配信する「24歳の声」のセットで、書かれた日付と同じ日に発信していきます。
更新頻度は、週一くらいです。
なんではじめたの?
私が渡米した当時は、同じ経験をしている人(子供)の体験談を探したくて、藁でもすがる思いで仲間を求めていました。でも、ネットで見つかるのは大人の意見ばかりで、同年代の、今実際にこの経験をしている人、または一回り上でその経験を振り返ることのできる立場にいる人の声がありませんでした。
私は幸い、愛情深い両親を持ち、家は安全地帯でした。でも親は学校にはついてこれないし、いろいろな居場所の軸を持っています。
対して、私たち子どもは、学校にいる間は逃げ場がありません。そんな中、言葉が通じなくて「あ、こいつには話してもしょうがないや」とプイとされる経験、どこで何をしても好奇の目を向けられる経験からくる心細さというのは、存在を全否定されているようなものでした。経験した人でないとわからない、とても独特なものがあると思います。
こうしたVoid(空白の場所)をこのnoteの片隅で埋めることができればと思います。
もちろん、私はある一角の意見しかかけません。I'm not representing every 帰国子女(帰国子女全員を代表しているわけではない)。どうぞご理解の上お読みください。
帰国子女とひとくくりに行っても、共通点は海外に住んでいることだけで、置かれる状況は多種多様です。
英語圏じゃないかもしれない。
現地校ではないかもしれない。
年齢が違うかもしれない。
日本人が全くいないかもしれない。
または、日本にいながら同じような経験をしている方も多いと思います。
また感じ方も違います。私は内向的で悶々と考える神経質なタイプです。とてもシャイで緊張すると言葉も出てこないです。こんなにシャイできむつかしい人も珍しいです笑。
違いがあれど、共感できることや、周りにこんな人いるな、という部分を見つけてもらえればうれしいです。
ほかに面白いと思っていただけるかもしれない方たち:
帰国子女(予備軍)の保護者の方たち。なかなか見えてこない学校でのこと、お子さんが感じているかもしれないこと、何か見つかるかもしれません。
帰国子女経験がない方たち。「帰国子女」に対しての一般的な感情はうらやましいというものだと思います。私も振り返ると、自分はとてつもなく恵まれていたと実感し感謝しています。でも、張本人の子供にとっては、言語力や家や生活水準とは離れた場所で、内面の壮絶な経験も伴うものだと思っています。帰国子女といえば少し派手なイメージかもしれませんが、実際はいろんな子がいる。そしてみな、似たような壮絶な経験をしてきたんだ、と感じとっていただけると嬉しいです。
現地校のこと
ELD:英語が母語ではない学生向けに開かれる授業。私の学校では、英語、理科、社会がELDクラスで行われた。アーバインの学区では、ELDが受けられる中学校は一つしかなく、外国人は英語テストの結果によってまず一年ほどはELDを受けにこの中学へ通う。ある程度レベルアップすると、ELDからは「卒業」する。
タグ:
フツーの授業:地元のアメリカ人と一緒に受ける授業。ELDでカバーされない範囲で、私の場合は、算数、体育、選択授業。選択授業は学期ごとに代わり、私は技術→コンピューター→アートの順番に受けた。
タグ:
登場人物
こちらのページへどうぞ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?