22歳の虚無、活力の忘却。

私は同年代、20代前半の人と会話するのが少しばかり苦手だ。20代前半の人と話していると、どうしても疲れる。

彼らはエネルギーに満ち溢れている。他者との交流を活発に行い、視界に映る全てに希望を抱き、不安でありながらも明るい展望を描いている。いづれか疎遠になることを強く意識せず、今現在を真摯な姿勢で楽しんでいる。

与えられた物事を前向きに取り組み、素直に楽しんだり、苦しんだり、苛立ちを覚えたり。感情の機微を活発に感じさせる彼らを前にすると、体力が奪われている感覚に陥る。

常に行動を共にし、気心しれた仲となる。たとえ数週間の研修であれ、一つ一つの出会いを素直に楽しめている。

本音と建前はあるのかもしれないが、なるべく本音が噛み合いそうな同志を見つけ、それぞれで関係性を深めている。

私はそうした彼らの行動の一歩外側にいつもいる。そんな気がしている。彼らとの会話をあまり楽しめず、そのエネルギーに何かが蝕まれ、気付いたら上の空になっている。深い関心が彼らになく、来週から現場配属になったら二度と会おうとしないように思えてしまう。

私はなんて薄情なのだろう?とか、私はなんて冷たい言葉を放ってしまうのだろう?とか不意に素の感情で彼らと接してしまったときに表出する、己の人間味に嫌気が差すことがある。

本当はもっと彼らみたいに活気のある人間でありたい。若さをもっと感じさせる人間でありたい。でも、もう、無理なのだ。

失いたくないものを失った。失ってはならないものを失った。たくさんの挫折と困難に見舞われた。決定的な喪失の経験が生への活力を奪い去った。心の深淵が生への活力を吸収していく。そこに残るのは荒涼とした平原のような、どこまでも広い虚無。何も感じない。何も見えない。何も聞こえない。そこには何も存在しない。一切が捉えられない。空白。

私は忘れてしまった。情熱に溢れていた日々。全てを失っておらず、何かを手にすることに全力を捧げられていたあの、生き生きした日々。

私はもう思い出せない。あのときの希望も情熱も期待も。何もかも。全ての道は絶たれた。私はひたすら何も目的を持たず、のたれ死ぬまで前をただ、歩いていくだけ。私にはそれ以上の活力はもう残されていない。後退もできない。戻る道も場所も何もない。残るのはただ一つの死。前に進むのみでしかない。前を見ていると、おぼろげな未来が常に視野の先に存在している。

あまりにおぼろげで、そこに本当に存在しているのか定かでないが、定かでないものに身を委ねるしか、なす術がない。

私はいまどこにいる。ここはどこだろう。それすらも曖昧のまま私は歩き続ける。

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