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9年ぶりにジェルバ島へ行く 19 〜帰国のまえに〜

日本への帰国前におみやげとか、逆に御礼とか、いろんなことしなきゃ、とバタバタし始めました。

Bacにて。ここで、ジェルバ島から陸地であるガベスに向かってバスが船内に入ります。
遠くに見えるがジェルバ島。

ジェルバ島を再び去る日、、、。

次なる場所へ。船は陸地に。
陸地到着前。

なんだか毎日があわただしい日々でしたが、ジェルバ島の人たちはあまり変わらず、でも生活環境やその条件などは日本同様、かなり厳しいものになっていました。
が、なぜ人々はきれいな家に住み、すてきな靴を履いてきれいな格好をしているのか、そこは最後まで謎でした。

ある人によると、やはり亡くなった遺族からの遺産だとか、土地が売れたーとかいうことしか考えられないとのこと。でもみんながみんなそんなラッキーに恵まれる?

あるいは、親族の誰かがフランスなどで働いて送金してくれているとか。
ユーロからチュニジアのTNDへ換金すると、かなりの額になります。
それはかなりの生活費支援となるはず。
でも、スーパーで野菜ひとつ買うのもめちゃくちゃ高いから、生活支援といっても、相手も生活ありきだろうし、どこまでどうなのかなあと首を捻ってしまう、、。

こんなふうに考える場所はいつもカフェ。
今は昔と違って女性たちも普通に入ってて、入りやすくて居心地が良い。
高くなってるのがたまにキズなのでメニューをよくみて注文します。

いろんなカフェを楽しみました🎶

ジェルバはいっても観光地で南では都会のほうなので、素敵なカフェが多いです。

高級カフェから安いけど、居心地良いカフェなど色々楽しめて、ゆっくりできて、良いです。

でも元同僚など年輩者からは、カフェには女1人で行くな、と釘をさされていましたが、全く気にせず行っていました。
彼女らの言い分は、カフェは男が行くところで女が行くのは危ない、特に外国人は、と。

今はそんな時代じゃない。
女の子たちもカフェを普通に楽しんでいる、ということを元同僚に伝えたけど、理解し難いようでした。

大事にしてきた自分の中の何かを変えるつもりはない様子。

私は外国人だから目立つけど、慣れるとみんな気遣いからほっといてくれる、そんなもんなんだけどな、

でも、元同僚は彼女のスタイル、貫き通してそれでいいんです。
でも、それを私に押し付けられてもその通りにはできないので、、ということをなんとなくわかってほしいけど、きっと無理だからそこははかなく平行線。

それでも、私のことをなんとかコントロールしたくて行動を制限しようとしたり、独り占めしようとしたりとかなりの束縛にしんどい時もあったけど、最後は涙のお別れ。

最後の日は遅く帰ったけど、元同僚は何も言わなかった。

娘を亡くして10年。

まだまだ、娘の亡くなる前の結婚式の時の写真を家じゅうに飾っている。
その下の娘の写真は全然ないのに。

下の娘も結婚し、可愛い子どもがいる。
元同僚からしたら、孫だ。
だけど、その結婚がうまくいっていないからといって、下の娘家族の写真は飾っていず、孫の写真のみ飾っている。

せめて下の娘の写真を飾って欲しい、結婚してからのものを。
あなたの孫は、この家の写真に写っている亡くなった上の娘の結婚の時の写真を当たり前のように目にしているが、なぜ自分の母の写真がないのかはまだ幼い心の中で疑問としてありつつも敢えて口をつぐんでいる。

この環境が、4歳児を大人のように振る舞わせている時があり、でもそんな時間が子どものバランスを崩しているものだから、時折その子はめちゃくちゃなことをしでかしたり困らせたりしてわざと元同僚を怒らせる。

その子なりに心のバランスを取ろうとしているのだと思う。

ジェルバを去る前、元同僚にその話をした。
今度来るまでに、私が今回現像した下の娘や孫の写真もたくさん飾るように、と。
そのことできっと、この家にまた違う風が吹く。

そう願っているから、、と言って。

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