ドイツ東部の旅など:偏見と排他主義の現場から考えたこと(その1)
ほぼ1年ぶりの投稿だ。今年に入って、勤務先のドイツ系テック企業で別部署のフェロー(特別研究員)をすることになり、子育てと両立させる羽目になって、全く時間がない。
今日、終戦記念日の8月15日に、欧州での懸念をひさびさに書いてみる。
先月、家族で東ドイツの田舎、チェコとの国境近くにあるザクセンスイスに国内旅行に行ってきた。ザクセン州は「ブラウン」な地域と言われ、これはナチスの制服の色に由来。ドイツ国内で報じられるネオナチや極右翼の多くはこの州に関連している。
最近の欧州議会選後、ザクセン州がまたもや、極右翼政党である「ドイツのための選択肢(AfD)」党の支持トップだったとニュースで聞いて嫌な気持ちになった。しかし、旅行の予定を変える暇もなく、しぶしぶと向かうことに。正直、ネオナチにボコボコにされるんじゃないか、とすこし心配になっていた。
ちょっと恐縮だが、ここからすこしばかり近年の欧州での極右派とポピュリズム政党勢力の台頭を、前置き背景として簡単に説明させていただく。日本のメディアでも報じられているようだが、ドイツでも上記の極右翼政党AfDがかなりの勢力を伸ばしている。欧州議会選では得票率15.9%で国内2位となった(投票傾向についてはここでも解説されている)。
さらに、旧東独圏では極左のポピュリスト新党なるものさえ登場している。元共産主義者で作家、TVコメンターのザーラ・ヴァーゲンクネヒト氏が新党を結成し、「ロシアとの戦争を終わらせ、ウクライナへの武器提供をやめ、移民を止めろ!」というヘイトスピーチすれすれの主張を掲げている。
リベラル派でありながら難民や移民に厳しいこの新党は、どことなくファシズム臭く、さらにはロシアの影響すら感じさせる。党の副タイトルには「公正と理性」などと謳っているが、どうにも不気味でうさん臭い。あまり関わりたくない党だ。また、このような排他的なスローガンをあげるポピュリズムや右翼支持は、今なお旧東側の問題に深く根ざしている。
これを通じて、旧共産圏東ドイツのネオナチぶりや東西の分裂がまだ続いていることを改めて感じる。発達した民主主義と戦後教育で定評のある旧西ドイツから見ると、旧東ドイツがいまだに「キモい」と見なされているのは、悲しい現実なのだった。
話を戻すと、そんな中での旧東側ドイツ、ーー しかも右翼政党AfD支持トップ ーー ザクセン州への旅となった。大丈夫だろうか。
実際に行ってみると驚いた。観光地には色々な人がいたが、周辺は寂れた白人老人ばかりの田舎町という印象。移民の姿はほとんど皆無、1週間の旅行中、白人以外はほとんど見かけなかった。これは大都市では考えられない。旦那は、大好きなキバブ店(トルコ系のバーベキュー)がほとんど見つからなかったことに驚いていた。
「どうしてこの州が極右翼でネオナチ? 移民らしき外国人はほとんど見かけないのに。移民を恐れているだけ? それとも、はたまた集団被害妄想?」と旦那。
その頃、元ドイツ・サッカー代表のトニ・クロースが「移民のせいでドイツは変わってしまった。こんな国で娘を育てられない」と発言し、国内ニュースになっていた。「『こんな国』? あいまい表現だな。どういう意味? 老人ばかりの過疎化した村集団のこと?」旦那が冗談まじりに言う。
ちなみに『あいまいじゃない事実』としては、これらの村集団では過疎化の影響によりサービス供給が減少し、その結果、都市部に比べてインフレがとてもひどく、物価が高騰している。もちろん、サービスや購入するものにもよるが、普通に旅行しているだけで、都市部より10〜20%くらい早いペースで財布が空っぽになる。そのせいもあるのか、不機嫌そうな顔をした老人が多い。
また、ザクセン州の首都ドレスデンのバス停で若いドイツ人男性が、外国語を話す旦那に礼儀正しく席を譲ってくれた。これには驚いた。ささいなことだが。大都市では外国語を話す人に無関心な現代人が多い中、この親切で素朴な好奇心に驚愕だが、旦那は混乱していた。
そのドレスデンに向かう電車の中で、旧東ドイツ育ちだという70歳くらいの女性がフレンドリーに話しかけてきた。
この女性はザクセン州の年金受給者で、旧東ドイツ時代には自国語と英語の教師をしていたと自称、すこし自慢げな口調。「あの頃の共産圏の必修言語はロシア語では?」と思いつつ、そこはあえてつっこまずスルーした。「旧西ドイツのエリートたちは、私たち旧東ドイツ人のことを、あたまがわるいと見下しているのよ」と彼女は語り始めた。
当初は軽い話題だったが、次第に危ない方向に進んでいく。「ほとんどの旧西ドイツや西側の人々は知らないけど、旧東ドイツの教育は西側よりもずっと高レベルだったのよ。私はよく知ってるの!」
「旧東ドイツの軍隊も、西側よりもはるかに強かったのよ!」このあたりで、旦那が笑い始めた。「ああ、そうだったんですね!素晴らしいですね。知らなかったなぁ〜」と、少し茶化すような感じで返した。
「そうよ!西側の若者がドラッグに溺れていた60年代でも、私たちは真面目に祖国に貢献していたのよ!」と彼女はさらに熱を入れて話し続けた。
会話はどんどんおかしな方向へ進んでいき、実話とは思えないほど。
危険な話題から離れようと、私は彼女に「リタイアしてからは楽しんでいらっしゃるんですね?時間ができて旅行も楽しいでしょう?」と話を変えた。
だが、これが逆効果だった。「とんでもない!年金が低すぎてショックよ!旅行ができるようになったのは、ドイツ鉄道がフラットレートを導入したからなの」と彼女は不満げに答えた。
旧東ドイツの人々は、正直で率直な性格で知られているが、彼女の話はさらに続いた。「国や州自治体が私たちの年金を外国人難民や移民のために浪費するなんて許せないわ!絶対に阻止しなきゃ!」、これを聞いた私と旦那は言葉を失った。
やはり、ここは「ブラウン」州だった。
どんなに礼儀正しくても、素朴でフレンドリーでも、その背後にある不気味さを感じずにはいられなかった。
しかも、この人の考えは間違っている。連邦州政府や自治体が「国民年金」を難民や移民のために浪費するということはまずありえない。どこか被害妄想のように、物事を曲げてとらえているようだ。本当に正しい教育を受けているのだろうか。
さらに、日本の人口問題と同様、移民導入目的の一部には年金確保が含まれている。皮肉なことに、彼女の年金は州の過疎化と少子化の影響で縮こまり、その一部は移民の納税によってまかなわれている。この点について、彼女は少しでも考えたことがあるのだろうか。
「あ、でも私はレイシスト(人種差別者)じゃないわよ」と彼女は笑いながら言った。私たちが無言になっていると、「ちゃんとドイツの価値観を理解する人たちならいいんだけど、最近はそうじゃない人が多すぎるの」と続けた。
ここからの彼女の発言は、さすがにここには書けない。
よくある欧米のジョークで、「私はレイシストじゃない」と始まり、その後に「でも」が続くパターンがある。この会話は、まさにその定番ジョークのようだった。実話とは思えないほど。
この経験から、20年ほど前に読んで忘れられないイギリスの新聞記事を思い出した。
エミー賞ものとでも言えるような傑作で、今でも心に残っている。英ガーディアン紙掲載、「ミドルイングランド(イングランドのど真ん中)」の偏屈心理を鋭く風刺した記事で、タイトルも面白い。「この緑豊かな素晴らしき、我が祖国」と題されたその記事。
すこし説明を加えさせてもらうと、この「ミドルイングランド」とは、イングランド中部の地方都市らとその憂鬱な郊外に広がる、伝統的な家族観重視でガチガチに排他的な層を指す。
わりとあいまいな定義だが、よく知られているアメリカの「バイブルベルト」――米南部から中西部に広がり、キリスト教福音派の(さらに)ガチガチ排他的保守派が多く、「アメリカ第一」前トランプ大統領支持者と銃保有者で占められている地域――コレのゆるいイギリス版と考えるとわかりやすい。
ここで少しシェア、また、一部を下に意訳させていただく。
この緑豊かな素晴らしき、我が祖国(原文):
「ミドルイングランド」の人々は、フェアプレー、マナー、そして住宅価格を信仰している(ここではイギリス人の住宅購入崇拝が皮肉られている)。
彼らはお茶や園芸用品店を好み、大酒飲みや白い軽トラック、そして歩道にくっついたガムを嫌う。ここは、住民がフェアプレー、礼儀正しさ、近所付き合い、そして住宅価格を愛する場所だ。
しかし同時に、外国人や旅行者、ジャーナリスト、政治家、その他「異端者」や「部外者」に対して本能的な不信感を抱く土地でもある。
解説:記事の前半では、「ミドルイングランド」と「ミドルクラス」(中産階級)がまったく別物であることが語られている。記事のライターはロンドン郊外の寂れたスラウを訪れ、あまり教育を受けていないこの「ミドルイングランド」層の人々と会話をすることになる。
記事の中盤からの抜粋:
ロンドンから離れた寂れた郊外スラウで、建設現場へ向かう途中、ベビーカーを押す31歳のミシェル・タガートさんに遭遇した。彼女は犯罪から逃れるためにここに引っ越してきたらしい。以前の場所では、モペットに乗った子供たちや白い怪しげな軽トラックに悩まされていたという。
「白い軽トラック?建築業者のこと?」と尋ねると、彼女は「ちがうわよ。あの子供をさらう奴らよ!」と答えた。現在の場所は安全かと聞くと、「まあまあね。住宅ブロックの中庭に新しい遊び場ができたから、子供を安心して遊ばせられるわ」と話してくれた。
政治の話になると、彼女の最大の関心事は「移民」だという。「連中は、病気を私たちの地域に持ち込んでるのよ!」と彼女は語り、「すべて政治家のせいだわ」と締めくくった。
「ミドルイングランド」について尋ねると、「よく知らないけど、昔からイギリス人は礼儀正しさ、隣人愛、フェアプレーを大事にしてきたのよ」と、少し皮肉を込めて言った。
近年のイギリスでは、EU離脱(ブレグジット)国民投票以降、反移民感情がまるでこの投票で「認定」されたかのように高まり、ポピュリズム右翼勢力の台頭やフェイクニュースなどの影響で社会的な緊張が深刻化している。今月も大規模な右翼暴動が発生し、約400人以上が逮捕される非常事態となった。
しかし、実は20年以上も前から、すでに排他的で偏見に満ちたこの「ミドルイングランド」文化がすでに基盤として存在していた。ブレグジットを生んだのもこの層だといわれている。
かつて同僚だったイギリス人女性の結婚前イベントで、この「ミドルイングランド」全開の女性たちに3日間囲まれる地獄を味わった。この経験を整理するのに、上記の記事が大いに役立ったのだった。
その同僚女性は、ロンドンからかなり離れた郊外のミルトン・キーンズというところから上京してきた人だった。ロンドンから参加したのは、私ともう一人、ロンドン育ちのアイリッシュ系女性イボンヌだけ。
その他の参加者はすべて上記の郊外地域出身のおさななじみ10人組で、みな都会嫌いの地元派ばかり。私とイボンヌはほとんど無視され、内輪ネタで盛り上がるばかり。社交マナーもあまりなく、私たちはすっかり白けていた。
この3日間でどんな会話があったか、いや、どんな話を聞かされたかを詳しく書く気はないが、最後になってすこしばかりうちとけた頃、彼女たちの間から「私たち、普通だったら、外国人や都会の人たちがあまり好きじゃないの。でも、あなたたちは特別よ!」という偏見に満ちたおかしな発言が飛び出した。
この「特別」の意味はいまだ謎だが、あの「ミドルイングランド」特有の排他的なニュアンスを感じさせる。つまり、『普段なら絶対に近寄りたくもないロンドンの外国人』と三日間も一緒につきあう羽目になったから、とりあえず「特別」として例外にしてあげただけ、といったところか。どっちにしても、まるで意味のないものだった。また、無礼きわまりない蔑視さえ感じる。
しめくくりとして言いたいのは、排他主義のレトリックは奇妙にも、いつも彼らは自分たちが常に善人の被害者で、「あたりまえ」に「正しく、正当、正義」の側にいるとぼやいている。
「あたりまえだけど、私たちはいい人たちなのよ。でも、政治家が私たちをみじめにしているの!」とぼやきつつ、そのみじめさの原因が「移民や部外者」にあるとぷんぷん臭わせている。まるで、すべての問題の原因がそこにあるかのよう。自分の見識を疑うことも、事実を学ぶ必要も感じていない。さらに、ねじ曲がった被害妄想がその考えをますます強化するのもよくあるパターンだ。
しかし、一見無邪気で幼稚な偏見や憎しみが集団になると、どれほど重大な問題を引き起こすかを、個人としてしっかりと考えることも必要だろう。
(日本の)終戦記念日、8月15日にこれをよく考えてみた。
象徴的な場所として、近くにあるユダヤ教シナゴーク。戦後79年が経過した今も、この建物の前にはドイツでは珍しく交番のような警備ステーションが置かれ、警備が厳重だ。ここは「クリスタル・ナハト」の夜、右翼ナチスの暴徒によって焼かれ、近隣のユダヤ人商店も全て破壊された。暴徒の憎悪によって引き起こされたこの悲劇に続いたのは、今なお歴史に鮮烈に刻まれている、未曾有(みぞう)の非道虐殺の連鎖だった。
これらの惨劇を引き起こした憎悪の根源は、明らかに無知と偏見に他ならないだろう。独裁者は、民衆の漠然とした不満を悪用し、扇動やスケープゴーティング、ヘイトスピーチ、歪められたプロパガンダを駆使して、大虐殺を引き起こした。
また、今月のイギリスでの暴動ニュースを見て感じたことと重なるが、実際には、こういった集団レベルの悪意や憎しみは、事が発生するずっと前から、都合のよい責任転嫁として民衆の間で密かに広がっていたのではないだろうか。
「この不満やみじめさはすべて『あの連中』のせいだ、絶対に許せない」という理不尽な非難の声が、ひずんだ憎しみを煽り立てる。そして、大衆の漠然とした不満と偏見は、その憎悪を正当化するための土壌となっていく。こうした空気は、戦争が始まる遥か前からじわじわと形成されていたのかもしれない。
もしそうだとすれば、そのような声はどこかで耳にしたような気がする…。
歴史から私たちが学んだことは何だったのか、その問いが今も心に響く。前の大戦のようなことは絶対にしてはいけない。学びを絶対に風化させてはならない、と思う。最近の欧州の動向には、ほんとうに懸念を抱かざるを得ない。
追伸:この経験の考察、その2もここ。
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