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幸せに生きる

 何が幸せなのか、よく考える。
 幸せの定義がわからないままだけれど、ありのままに書いてみる。

 今までの自分は、いい学校へ行って、いい会社に入って、いい仲間と過ごすことが幸せだと思ってきた。
 だから一生懸命勉強をした。自分の選択肢を増やして、そこから好きなものを、できるだけいいものを選べるように、そう思ってやってきた。

 しかし、周りの同級生たちは、今を楽しむことに全力を注いで、狭い社会で生きているようで、なぜ今後のために頑張らないんだ?後々後悔するんじゃないの?そう心から思っていた。

 私の家は貧しかった。
 当たり前にブランド物を買ってもらえる友達が羨ましかった。どこかへ家族で旅行に行ける友達が羨ましかった。家で両親が喧嘩しない友達が羨ましかった。文句を言いながらも塾に行っている友達が羨ましかった。大学進学にあたって、国公立でないとだめだというプレッシャーのない友達が羨ましかった。

 とにかく羨ましさに心はいっぱいだった。
 そんな羨ましさから、私はここから抜け出して、幸せな暮らしをつかむんだ、そう思った。周りの努力をしていない友達よりも幸せになりたかった。周りを見返したかった。

 私にとってきっと、幸せは、自分のもつものを誰かに見せることで輝くものだった。そこに価値があるものだった。

 そんな風に思っていた時から10年くらい経った。大人になった。28歳だ。
 周りを見渡すと、結婚して子どもがいる友達、バリバリ働いている友達、特に働いてはないけれどのんびり趣味を楽しんでいる友達。色んな人がいる。
 あの当時、私が見返したかった友達は、皆、楽しそうに生きている。後々後悔するんじゃないの?と思っていたけれど、そんな状況は正直ない。それぞれが自分の幸せを生きている。

 この現実に対して、私のあの努力は無駄だったのか?そう感じることがある。
 別にあの時、今を楽しんでもよかったのではないか。貧しかったけれど、そこに見合った生き方をすればよかったのではないか。あんなに努力しなくてもよかったのではないか。
 答えの出ないそんな思いが頭の中をぐるぐるとする。

 じゃあ、自分は今幸せではないのか?
 そんなことはない。
 一生懸命学んで入った大学で出会った一生涯の仲間がいる。大学入試以上に努力した先で掴んだ今の仕事では、信頼できる同僚がいる。この仕事をずっと続けたいと思うやりがいがある。日々変化する毎日の中で一生懸命になれる環境がある。そして、全力で駆け抜ける中で出会った一生を共にしたいパートナーだっている。
 あの頃の自分が努力しなかったら得られなかったものだ。卑屈な自分では享受できなかったものだ。
 だから、努力してよかった、とは思う。

 でも、どこかに、あの頃の誰かに見せて輝く幸せを求める自分が今もいる。あの頃の自分がいなくなったわけではない。自分が幸せだって認めている自分を、友達に見せてまわりたくなることがある。SNSで、努力したからこそ得た幸せがあるんだってアピールしたくなることがある。

 こうやって書いて気が付く。結局、努力したって、ここまで来たって、周りを羨ましいって思う自分は変えられていなくて、人と比べることをやめられないんだってことを。

 だからきっと、今の私にとって、幸せは、自分が自分で認めている環境を周囲に見せて、より輝くものだ。
 自分が認めている分、あの頃とは違う。でも持っているものを誰かに認めてほしくてたまらないんだ。周りの人にいいな、と思ってもらうことでやっぱり、あの頃の自分を救ってあげたいのだと思う。

 そして、努力をして、選択肢を増やしすぎたがゆえに、もっと幸せな道があったのでは?と思うこともある。あのとき、あっちの道を選んでいたら、今よりも幸せな今があるんではないかと思うことがある。

 もしかしたらこの考えが私の諸々の根源なのかと感じることがある。今から逃げて、どこかを目指す。今を見つめないでどこかに幸せがあると視線を逸らす。だから、そらした先の周囲の幸せがまぶしいし、羨ましいし、自分もそこにいきたい、頑張ろうと思う。でも近づいたら近づいたで、もっと他に幸せがあるはずって思う。この繰り返しのような気がする。
 ようやく30歳を目の前にして気が付いてきた。このままじゃ、本当の幸せなんて手に入らないって。

 今の私が思い描く幸せは、今と向き合った中で、他と比べることなく、自分自身が最高だと思えるものだ。選択肢がたくさんあったとしても、その中から選んだたったひとつに「これだ」と決めて、疑うことなく、没頭できるものだ。そのレベルまでいけるのだろうか。

 私には結婚願望がない。結婚したい、と思ったことがない。結婚する友達を見て、あぁ。みんな結婚したいと言っていたけど、本当に結婚したかったんだなぁ、とようやく実感するレベルで、自分事ではないものだ。
 現在、パートナーはいるが、いつだってフラットな関係でいたい。縛られたくない。縛りたくない。自分のことばかり考えてしまう人間が、子どもをもつなんて考えられない。自分を満たすために子どもを消費することはしたくない。これはもしかしたら後付けかもしれないけれど、そうやって感じている。

 周りには結婚は勢いだと言われる。それしかないと思わないとすることは難しいと言われたこともある。なんだかこれも、結局生き方に通じている。結婚「だけ」が幸せではないと思う自分にとって、結婚という道をとってしまったら、もう後戻りができないから、それはしたくない。子どもをもつことだってそうだ。子どもをもったら、責任が伴う。子どもは好きだが、もし引き返したいと思っても無理だ。

 こうやってだらだらと文章を書いてみたが、その道しかないと思うものに自分は出会えていないのかもしれない。誰かに認めてほしくて頑張ってきたからこそ、軸が他人で自分でないのかもしれない。
 今の目標は30歳になるまでにこれだというものを見つけることだ。そして、それが自分の生き方だと言えるようになることだ。
 もしかしたらそれは幸せではないのかもしれない。でも今の自分が思うものに向かってみたいと思う。きっと手遅れなんかじゃない。

 周りから認めてほしいわりに、結婚していない自分、子どもがいない自分に対してどうこう思うことは実はあまりなくて、仕事を頑張っている自分は好きだし、今の環境も好きだ。
 だからこそ、正直自分でも自分がよくわらない。

 だけど、そんなちぐはぐな自分は人間らしいと思うし、自分が感じることを大事にしてみたい。あの頃の自分が思い描いた自分ではないかもしれないし、周りから認められる自分でもないかもしれない。
 でも、自分を大事にしようと思った今、なんだか少しすっきりしている。

 これから不定期かもしれないけれど、のんびり頭を整理しながら変わっていけたら。

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