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自分で自分を回していくしかない

 時々とんでもなくヤル気が出ない。深掘りする癖があり自分でどんどん落ち込んでいく。仕事以外の人との関わりを最小限にしている。好奇心だけは旺盛。でも素で打ち砕かれるのは怖いから、仕事の仮面を被っている…

 そんな私が生きていくには、人を頼る訳にはいかないから、自分で自分を回していくしかない。思えば子どものころは「教室」っていう小さな箱の中に人がいっぱいギュウギュウ詰め。そこにずっといなさい、って言われるからそこでなんとか生きていくしかなかった。人真似をして自分がなりたくな自分になってみたり、自分が嫌になったり、人の悲しみや怒りも一緒に背負い込んで苦しくなったり。それでもなんとか生きていかなくちゃいけなくて。すごいプレッシャーとストレスの中で毎日生きてたよなぁ…と思う。
 
 私は学ぶことが大好きだった。やってみたいこともいっぱいあった。でも人に馬鹿にされてる人を見たり、派手に失敗して先生に叱られる人を見ていたら、その中でいかに立ち回るか、いかに自分を守るかだけが一番の関心事になっていた。いつの間にか。小さな学校の小さな教室で。

自由な大人になる

 子どもの頃、大人に憧れた。大人って自由。実際大人になってみたら、こんなに自由だとは思わなかった。付き合いたくない人と付き合わなくても良い。これ、最高。直感的に自分と合わない人のそばに居なくて良いことでこれ程ストレスがカット出来るのかと思うと、もっと早く子どもの頃からそうしていれば良かったとも思う。

 結局子どもを産んで子どもを囲む社会の中で、また私は面倒な人間関係に巻き込まれかけたけど。子ども関係のソサエティーって自分の大切な人を人質に取られているみたいで、頑なに避けるわけにはいかない。話が全く合わない人とでも、人としてどうかと思う人とも、なんとか頑張って時間を過ごした。でも結局途中で投げ出して、仕事を始めた。

 私にとって私自身は大事な存在で、人の悪口やよその子どもの噂話に終始する人たちと過ごす時間は完全に自分の人生から切り離したい、と強く思った。子どもたちから「なんで母さんにはママ友がいないの?」と聞かれる度に胸が痛くなったが、これ以上無理すると家庭生活に影響が出そうだと思った。

 仕事は大好き。仕事だけしていれば良いのだから。でも人間関係で苦しみたくない。高校のルールを破って高校時代からバイトをして、若い頃に多くの職場で仕事をしてあれこれ見てきた私はそのおぼろげなノウハウを傍に抱き、このタイミングで独立して仕事を始めたのだ。一か八かの勝負。自分が自分の同僚で自分が自分のボス、そんな世界に一人で漕ぎ出でた。
 仕事自体は大好きだから、よく働いた。不思議と全く違うと思っていたかつてのあの仕事この仕事での知識やノウハウが、自分の仕事に役立った。私は一人で多くの社員を抱えているくらいの信頼感で自分と一緒に働いた。責任も一人で背負うけれど、私は自由な大人になった。
 子どもたちよ、ごめん。うまくママ友作れなくて。友達100人いなくて、ごめん。と思ったこともあったけれど、ある心理学の先生の講演会で聞いた「一人を楽しめるってことは、一つの力です」が強烈に心に効いた。今思えば、私は自分自身が一人を楽しんでいることで、子どもたちの別のモデルになれるかも。そう勝手に自分をポジティブに変換しながら、なんとか自分の心を保った30代だった。

「私は」学校が合わなかったんだ

 我が子が学校に行きたくないと言った時に、もっと早く自分自身を振り返ったら良かった。「自分は出来ていたのに」って思うこともあったけれど、今振り返ったら私は多くの人が罹っている「過去を美化したい症候群」だったんだ。「あれがあったから」と暴力や暴言を美しく振り返る様に、私も繊細な心がメタメタになって家で暴れていたことに蓋をしてきた。
 今考えたら、私は家の百科事典を眺めるのが大好きだった。同じ絵本を何度も何度も読んだ。母と兄弟たちとブロックでいろいろな世界を作って永遠に遊べたし、学校ごっこと言って自分でプリントを作って遊んでいた。父と木工をしたり実験をしたりするのが大好きだった。でもその素敵な世界も学校から持ち帰る人間関係のストレスから、自分でぶち壊すことがあった。

 私はホームスクーリングの方が学びをずっと楽しめたかも知れないな、と思う。父がキッチンでする実験は楽しかったし、今でも仕組みをよく思い出せるけど、学校のテストのために覚えた理科は忘れた。お店で支払う小銭の計算は未だに得意だけど、算数は大嫌い。人から押さえつけられることが嫌いな上に、友達たちの歪んだ価値観に心を傷める耐えられないことも度々あった。先生の暴力で傷めつけられる友達の姿は今でも目の裏から離れないし、体育から戻るとひっくり返されていた友達の机を一緒に立て直す時に見たニヤニヤした人たちの顔、友達が作った工作が男子に何度も踏みつけられている様子は今思い出しても泣きそうになる。あれは私に必要な経験だったんだろうか。

 総合して。自分を無にしながら空っぽのまま笑ったり盛り上がったりして通っていた学校は、私に向かなかったんだと思う。
今、旧友に会うと決まって言われる「え、学校すっごく楽しそうやったやん」という言葉が全てを物語ってる。今はわかるけど、私は楽しいことをじんわりと味わうタイプ。心から「はぁー」と大きく感嘆の息を吐きながら味わうのが私の楽しみ方。大騒ぎして体全体で表すなんて、かなり無理してたんだなと思うと、あの時の自分をギュッとハグしてやりたくなる。

ひとそれぞれ

 そんな話をすると「いや、人と関わるのは大事で」とか「嫌な人とも付き合わないと成長しない」とか被せてくる人がいる。中学校ではこれを嫌と言うほど聞かされたけど、よく考えたら何の根拠もない。先生に殴られる人を心を傷めながら見つめることに、何の教訓や学びがあるのか。嬉々として人をいじめる人を大人が誰も制さない世界を絶望しながら見つめることで、私たちが得るものは何なのか。私が納得できる説明ができる人なんていないはずだ。

 学校が良かったと言う人の中には、過去を否定したら今の自分も崩れてしまう、という人も一定数いる。それくらい私たちは脆くて儚い。でも私はアラフィフになった今、人生の人生をもっともっと大切にしたいと思っている。だから、過去を否定することに何の恐怖もない。過去を振り返ることで、今からがもっと幸せになるならいくらでも振り返って問い続けたい。
 そして今、とても幸せだ。暗い箱の蓋を全部開けたら、もうそこには希望しかない。

 私は仕事の中で多くの方に出会い、楽しく会話をする。それで私の社会性は満たされる。その分、自分の時間は自分だけのために使う。好きな人と一緒に過ごしたり、一人で過ごしたり。そうしている間に、小学生の時に学校の教室に置き去りにしてきた「学びたい」欲が久しぶりに顔を出した。
 
 ずっと好きだった語学の世界をさらに広げよう、と英語以外の言語も学び始めた。時代のお陰で、AIを使って人と過剰に関わらずとも学びが深められる。人と一緒に一つの教室で先生から習うことが「楽しい学び」の人もいれば、一人で本やアプリで学ぶ方が合う人もいる。大勢のいるクラスで人の顔色や言葉、空気ばかりに気を取られていた私は、今自分の好きな場所で好きな飲み物を片手に好きな学びを掘り下げることが出来る。そして、学校でしていたのと同じ方法でやってみても、今度は「楽しめる」自分に驚く。学び方、学ぶ環境は人それぞれ。それを見つけることが、実は最高の勉強なんだと気付く。

自分との対話で広がる世界

 「そうだったんやね」と自分に話しかける様に学びを進める。語学教師が生業で一番の興味。日本語や英語の様に人から与えられた形での学びではなく、自分の変化を自分で観察しながら0から始めよう、と実験的に始めたスペイン語は学び始めて一年が経過したが、実験結果は結局「続けていたらわかるようになっていた」というぼんやりしたもの。でも「楽しみながら続けていたら、自分の道は自ずと拓けていくことがわかった」のは収穫。
 人から与えられ、人から追い立てられてタイミングまでも決められる学びが必要な時もあるのかも知れないけれど、少なくとも私自身は自分のペースと興味で続けられることで、学びがどんどん深まっていくことを知った。

 英語も「単語を出来るだけたくさん覚えて」とか「映画を英語で観ればいい」とか「好きなものを見つけて…」と言われ続けてうんざりしていた。映画はゆっくり字幕で観たいし、好きなもの見つけるってそんなに簡単じゃない。単語をただ闇雲に覚えるのは苦行でしかない。
 でも、学び始めると繋がっていくもので、スペイン語学習者とつながるSNSのグループでは全世界のスペイン語学習者が集まるから、みんな必然的に英語でわからないことや面白い失敗談などをシェアしている。知らない間に私は英語にも日々触れているのだ。もっと知りたい、と本もたくさん読み始めた。「読書しなさい」と言われるより何百万倍も素敵なモチベーションではないか。

 私にとって一番の学習法は、"自分で自分を回していくこと"だったんだ、と今になって知ることとなった。けれど、良かった。これを知らずして天国に行っていたらこの世に悔いが残ったはずだから。今はこの最高に楽しい学びを手放せない。まだまだ知りたいことがたくさんあるから、それが自分の生きがいになっている。人間関係があれほど苦手だった私が、英語学習のために集まる教室には喜んで通うし、他の生徒さんとの会話を楽しんでいる。
 学びは受験とか旅行とか目先の目的だけじゃなくて、「生きがい」とか「幸せ」に深く関わっている。だから、私たちは学びを嫌にさせる様な教育をしてはいけない。私はもっと子どもたちにも学習者の方々にも、フリースタイルの自分だけの学びの楽しさを伝えていきたい。
 これまた意図せず私の仕事に繋がっている。

 本当は、この発見を一番伝えたいのは、あの時学校で苦しんでいた私だけど。その分、今の自分を強くハグして大事にして、あの時の分もめいいっぱい学んでやるんだ。うん、まだ遅くない。


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