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家庭というシェアハウス 

私は寮母さん

 子どもが大きくなったら家族がシェアハウスの住人みたいになったらいいな、って思っていた。家事をする人、勉強する人、仕事する人、みたいな分担ではなく、みんながそれぞれ「生活する人」として生きる場所。
 そしてこの空間は、リラックスして話せる人が集う場所。一人でいるにはちょっと淋しい時に気軽にリビングに集まって話せるし、一人になりたい時はなったらいい。
 家族とは言え人同士。距離感も大事だと思う。親が子どもを所有物みたいに思い通りに出来る、って思うのが怖いから、私は自分を「寮母」だと自分に言い聞かせていた。

 いつか旅立つ若者を全力の愛とサポートで応援する寮母さん。未熟で小さな存在をサポートするのは大人がすべき当然のことで、それ以上でも以下でもない。気持ちはいつも対等。サポートする側される側だとしても互いにリスペクトし合って、相手を自分の所有物の様に扱ってはいけない。それが私の信条だった。
 学生時代に塾講師の仕事をしていて、我が子を自分の物みたいに思っている保護者をたくさん見た。そしてその子たちが彷徨う様に安心出来る場所を探していたのを知っている。私が聞いた究極の言葉は「子どもの学校は私のブランドなんです」自分が輝くために子どもに無理を強いる親。子どもや生徒は自分の言うことを聞くのが当たり前、そんな風にいつまでも子どもを自分の思い通りに動かそうとする親、先生。習い事の先生やスポーツのコーチだってそんな勘違いをしている人は多い。
 親や先生になると多かれ少なかれ、か弱い子どもたちを目の前にしてそんな気もちが湧いてしまうことを知っているから、私は20年後親になった時に敢えて、自分に「あなたは寮母」だと言い聞かせた。
 お世話やサポートは当たり前のこと。それとは引き換えに一人の尊い人の人生を自分の思い通りにしようなんて、言語道断。

快適なシェアハウス

 最近は、低価格で美味しくヘルシーな食事を作るのにハマっている次女が晩御飯を作ってくれる。家族の中には朝食を食べる人とそうでない人、朝から動く人と昼から動く人もいるので、朝食と昼食はそれぞれ。私は趣味の様に夫の弁当を作る。
 今は遠方に住む長女は一緒に住んでいる時、洗濯を担当していた。洗濯が好きだから、と言っていた。今も帰省したら洗濯している。
 家になかなかいない、出会ったらラッキーな気持ちになるレアキャラ化している息子は、気がついたらキッチンにある食器を洗ったりしている。私より大きくて力持ちなので、時々助けてくれる。気まぐれで素敵な弾き語りを聞かせてくれたり、家族に音楽を届けてくれるのも息子。
 
 夫と私は働き盛り。でもアラフィフで体のメンテナンスも必要な時。いたわり合いながら、出来るだけストレスフリーなこのシェアハウスで心身を休めつつ、働く。

 20年間でライフスタイルもいろいろ変わったけれど、今はこの生活をとても気に入っている。寮母の私も人生のサードステージ、まだまだしたいこともあるし、元気でいなくちゃね。

 

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