見出し画像

ほんの少し自分を好きになるだけ

YouTubeでインフルエンサーが動画をUPすると、その動画の切り抜き動画が上がります。

どう切り抜くかで、インフルエンサーは善人にも、悪人にもなってしまいます。

人はネガティブなものに惹かれやすい特質は確実にありますし、

インフルエンサーも切り抜き動画の配信者も再生数が伸びる事が重要なので、

切り抜き動画では、悪、に見えても構わないのかも知れません。

それこそ、必要悪、な訳です。


私達が生きる世界も、この広い世の中の何処を切り取って眺めるのか、で明るくも暗くも、楽しくも辛くもなる、と思うんです。

つまり同じ出来事を見ても、切り抜き方、捉え方で、世の中は楽しくも、苦しくもなるのなら、

どうせなら、楽しい部分を切り抜いて、楽しい世界に生きたい、と思うんです。

しかし、私達は、放っておいたらネガティブな物事に吸い寄せられるのは、どうやら本当らしく、

テレビも、広告も、動画のサムネも、ネガティブで人々の注目を集めるのは、常套手段です。

人間ヒマだとろくなコトを考えない、などという、何処かで聞いたセリフも、

やはり人は、そのままだとどうしてもネガティブに引き寄せられる、ということですよね。

太古の昔、肉体的、戦闘能力的には他の動物に大きく劣っていた人間は、いちはやく危険を察知する能力が必要で、

ネガティブに注目してしまうのは、その名残りだ、との話しを聞いた事があります。

その説が正しいのかどうかは、私は知らないのですが、とにかく人はネガティブに傾きがち、です。

ならば、放っといても、危機回避の方向に向きがちなのですから、

常日頃は努めて、ポジティブな方向に注意を向けることに、全フリする構えで良い様に思うのです。

現代の日本では、幸いな事に、街を気を抜いて歩いていても、猛獣に出会うことは無いのですから、

意識としては、心地よいこと、を探し歩くぐらいで日常を過ごしたら、

人生の多くの時間が心地良さに包まれることになる、と思うのです。

実際、幸せな人は、ともすればネガティブに吸い寄せられる自分を自覚していて、

極力、意識的に物事の心地よい面を見る様にしているのだと思います。


何処に行っても気が合わない人や、なんとなく苦手な人は、います。

その合わない人の陰口を言って、周りも賛同してひとしきり盛り上がったとしても、

事後、一人になった時、自分を少し嫌いになります。

仕事で嫌なことが幾つも重なって、帰宅して奥さんにツラく当たっても、

自分を少し嫌いになります。

この、ほんの少しづつ自分を嫌いになることの蓄積は、積もり積もると侮れない破壊力を持ちます。

私は、生きづらさとは、と問われたら、
自分を嫌っている状態、と答えます。

機能不全家庭に育って、結果生きづらくなってしまった人は、

毎日毎日、否定的に無価値に扱われる幼少期を過ごし、反復して自分を無価値だ、と思わされることで、自分を嫌いになります。


先に触れた様に、人が持つもともとの性質が、ネガティブに注意を引かれ易いところに持ってきて、

肯定的な受け容れが必要な幼少期に、日常的に無価値な扱いを受けたら、

基本的な心の構えが、ネガティブになってしまうのも道理です。

しかし、逆もまた真で、

幼少期に毎日無価値に扱われて、ついてしまった折り目によって、ネガティブな捉え方が身についてしまった、ということは、

毎日から、自分を嫌いになる小さなことを減らし、物事の心地よい側面を見るクセをつけることは、

誰にでも必ず出来るのです。

幼少期、しかも0〜4歳の幼少早期の折り目など、その後の長い人生の中で幾らでも好ましい折り目に変わります。

そうするには、
ほんの些細なクセづけと、

自分を好きになって良いという、
自分自身の許可、だと思っています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?