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私が長崎に移住し、建築に取り組むわけ#13 これからの目標

みなさま、お久しぶりでございます、なみくみです。気づいたら数年ぶりの投稿になりました。そろそろペンネームをひらがなの実名に切り替えて、より発信装置として活用していきたいと思います。

長らくnoteの更新を止めていましたが、私自身ついに大学院を修了し、今年の春晴れて社会人になりました。

そんな私でございますが、なんと、現在、長崎県は島原市に単身で移住する決意をし、新卒で建築設計、建築意匠のお仕事をさせてもらってます。

なんでそんなことになったの?まあ、それには色々な出来事、思考、野望があったわけです、少しここでお話しさせてください。

・大学時代:地方で活動するということ

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私の地元。田んぼとため池がある農地に住宅地が無関係に増えている。

私の生まれは香川県、周りは水田で少しずつ宅地化が進む地域で育ちました。祖母が農業をやっていますが、周りは高齢化で引退する人も増え、宅地化も無関係に進んでおり、なんとなく今までの美しい景観が乱されているように思えて、なんだかなと思っておりました。

そんなわけで、せめてその場所にあう建築が立てば良いのにと思って建築学科に入ったわけですが、学んでいるうちに、建築とは単に建物を建てることではなく、広い地域の中で人が集まる場所やその集まり方を真剣に考えて空間化していくことだとわかってきました。

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卒業設計の模型。農業専用で農家だけで使われている美しいため池に、公園機能のような新規住民にもため池利用ができる場所を設け、農家と接点をつくりながら地域特有の風景を新しい形で残そうとした。

よい集まり方がある場所そのものだけでなく、地域レベルで見ても、その土地の個性を活かしながら、ある場所が地域をより良い方向へ変えることがあるということです。

茨城県大子町でのまちづくり系のワークショップ。学校とは関係なく社会人主体のWSにひとり泊まりがけで飛び込んだ。

しかしながら、このようなプロジェクトは実際には都会の中で、かつ小さな領域でやる例が、多くなっています。そもそも人も建築も都市の方が多いに決まっているし、地方で建築をやって、人々が自発的に活動できるようなまちや場所を作っていく。そのような像がそもそも多く存在しないのです。いろんな地方のまちに顔を出したりしていましたが、まちづくりが積極的な地方のまちの多くは、すでに都会から建築の人が参入していることが少なくなく、将来的に入り込む隙も難しくなっていることもわかってきました。地方出身だからこそ、地方で何かやりたいと思っていましたが、結局のところは都会で就職して、地方のことをやる、くらいしかないのかなと思ってました。

・大学院時代:長崎との出会い

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大学院1年で滞在した長崎。住みながら考え、地元の方にアドバイスをいただくプロセス。

大学院1年生の時に、祖父母がいる長崎のことを少し調査しようと思ったところ,大学院がコロナも相まって、授業も全てオンラインになったのでそのまま長崎に長期滞在したことが転機となりました。多くの人と交流を深めながら、最終的には地域の提案を建築模型までに昇華しました。現地滞在し続け、現地で考え、現地から発表したのは、自大学院ではおよそ15年?の歴史の中で私がはじめてで、ある意味伝説にもなれたと思います。もちろん、観察や交流期間が長かったのである程度大きな成果が得られたのは言うまでもありません。しっかりその土地を見ることは本で思想を読むこと以上に重要だと実感しました。

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地元イベントである「居留地まつり」での展示。さらに広い範囲の方々に地域提案を見ていただけました。

地元団体のご厚意でいろんな展示もやらせていただきました。これはありがたいことにnote上で外部記事にもなりましたね。

さらには、自らの言葉で経験を執筆したり、翌年はできる技術の中で、恩返しをしてみたり、、

http://www.uhs.gr.jp/kanto/essay/2020essay_pdf/minami2020.pdf
本文はこちらから↑

(実はnoteで書いてもいいかなと思ってた内容を思い切って学外のコンテストにぶつけてみたら、何やらオフィシャルな形で評価されてしまいました。でも評価されたということ以上に、やってきたことがちゃんと公式に形に残り、ホームページを通して長崎の人にも読んでもらえたのがとてもよかったです。)


(コロナのため、リアルで開催できなくなった祭りのために、3Dパースの技術を用い、花火大会をプログラミングができる長崎の友人とオンラインで構築した。映像は実際の地域のオンラインでの祭りで配信。徹底的に背景に徹するという所業をやり遂げました。もはや空間創造の領域では無くなったのがつぼ。)

もちろんいろんなことが実際にできた、という以上に、長崎は異国の文化を受け入れ続けた歴史があるわけか、寛容でチャレンジングな人も多く、ここでなら創造的な活動ができる、と思ったわけです。実際に近いところに住んで、身近なところのプロジェクトに取り組んでいくことは、とても自然なことだなと感じています。

・社会人:これから大切にしたいこと

さて、こんなわけで職が多い都市部に就職しないという、普通とは違う道に歩み始めたわけですが、長崎での経験で得たこれからも大切にしたいことが二つあります。

・権威や「すごいもの」ではなく、自分の見たものごとを大切にする

主語が大きくして語ることはできるだけ避けたいのですが、それでも日本人はおそらく組織の作り方が下手です。村社会的思考の名残なのか、現代組織であっても勝手に権威だの利害だの言い出して、潰し合いをするつまらない例は少なくありません。そんな世の中ですから、現地で感じたものを、正直な感覚で、ただ当たり前のことをやるだけで、抜きん出て良い成果は出てくると思うのです。自分が見たもの、そこにあるもの、直接聞いたものはどのような組織や利害があっても否定できないという点で極めて論理的にスタートを切ることができ、しかも感覚的に動くこともできるという点で自然なことでもあります。これは長崎でしっかりと土地を見ることを学んだ視点から生まれたのだと思います。それらは一般的には泥臭いとか地味だとかと形容されがちですが、私にとってはこちらの方があまりにもスマートだと思うのです。

・地域にいる一人の人間として創造的なことをしていく人間を目指す

「建築設計を単なる対象物とみるのではなく、設計者自身も対象となる大きなコミュニティの中に属し、一員として活動できる」

私は修士発表で最後にこのことを宣言しましたが、あまり響いているようには思いませんでした。それは至極真っ当で、建築の世界では、結局は客観的に物化したものしか評価されないからです。建築そのものや建築創造過程で物化・図化され得たものの社会性は評価されても、「建築をやっている私」そのものの社会性なんか、図にはならないのだから評価される軸がそもそもない。

しかしこれは相当に怪しいと思っています。残念ながら日本人の多くは、建築のことはお金がかかるハコモノだ。と言う認識になってしまっています。それを文化を蔑ろにしているだの言う建築家も少なくはないのですが、私はむしろそれは、建築家が一般市民の中で社会的存在になりきれていないからだと考えています。ずっと違和感があったのは、建築の社会性の多くは業界内に向けて強く語られており、お堅い展示や展覧会、お堅い市民ワークショップ以外の方法では普通の人々に向けてあまり語られていないこと。これはスポーツに置き換えるとわかりやすくて、例えば、卓球やバスケでは競技が強くなってきただけではなく、TリーグやBリーグが創設され、とりわけ卓球ではお堅い大会しかなかったのが、ショッピングモールの中でも大会が開かれ娯楽として観にくることもできるようになってきた、つまり単に競技を強くすることだけが市民権を獲得する手段ではない、というわけです。逆にどれだけ過去の実績が凄かったとしても人気がなかったスポーツもある(かつての男子卓球とか、僕も一競技者でしたが、、)。なのに、建築界隈の多くはいまだに自分達がどれだけすごいかを自分達の中で競って語っているように見えてしまうのです。それはより良い建築や場所を作ることにおいてはもちろん重要なことで必須ではあると思うですが、「自らが社会性を語っている」ことで「自らに社会性がある」と錯誤してしまっていると思ったわけです。ものごとを対象物や図の範囲だけで見ているだけであって、社会で生きている存在になりきれていない。

では、そんな2つの大切なことを掲げて私はどうしていきたいか。答えは簡単で、自分が建築界隈の一部だけではなく、ある実際の市民領域に属しながら、創造していくということです。

それは、研究テーマそのものにはならないのに大学院時代から長崎に通ったり、本での思想が重んじられる学校の評価には一切ならないのに、実際に現地の人と仲良くなって意見を取り入れながら実際に課題を進めてみるという、自分で見たものを信じて、架空の構想ではなく、実際の世界の中で創造していく延長線上にあります。

この前のイベント。今も長崎市内の有志の活動を通じて、まちに関わっている。

今も実は会社とは全く関係なく、とある長崎の市民活動の中にいて、空間のデザインや、表現の監修であったり、今年は実際に空間の使い方を設計・設営に取り組むことが決まっていて、少しの時間を絞り出しながら、自分がやってみたいことをまずは小さくてもいいので実現させてみることに取り組んでいます

ライスワーク(仕事)では要求やコンテクストに応える必要があって、やりたくてもできないことや、やりたくなくてもやらなければならないことは必ず出てくるから、その外側でもライフワーク(自分の生き方)としてやってみる。

こういう行動は一般には理解され得ない結果になるというリスクもあると思います。まず基本的な仕事のスキルを身につけてから社会で活動していくことが先だろうとか。一般的な意味で建築家が評価できないことをやっていて無駄だとかお金になってないとか。けれども、いつも3年くらい時間をかけていけば何かしら見えてくるだろうな、という実感はあるし、文脈に乗ることではなくて、自分で見たものを信じてあえて文脈に乗らないという行動自体を適切に前後で文脈化できれば全く問題ない、むしろ、はみ出したことを従前の文脈に対して定義できるという点で明らかに創造的なのだと思います。そもそも、勝手に長崎に行って直接話し、受け入れ、受け入れられていくスタイルに近づいている時点で、コンペや学校で発表して偉い先生に評価されることが社会的に受け入れらることにとって大事だなんていう建築界隈に蔓延る価値観を、学校や公式に残る形で一回ひっくり返しているのだから。

そのような結果できてきた創造物や関係性などは、かつての「建築家」や既にある他の職能の成果の括りにするのか、できるのか。もはやいっそのこと新しい職業として明快に定義するか(そんな活動建築の人がやることじゃないと建築界隈から理解されなかったら、それはそれでとっても喜んで自分の新しい生き方として定めていくでしょうが、、)。

どちらになってもよいし、むしろこれからが問われる。そもそも私は職場では新人でまず仕事を覚えないと話にならないのだから。しかし私には野望しかない。

長崎・島原の美しい景色。広々とした環境が好きです。


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