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『この世への片想い』

死ぬ為にまだもう少し生きてたい、と思っています。
普通なら「死にたくない」だとか「生死なんて真逆の存在なのに何を言ってるんだ」ってなるでしょう、普通がどういうものなのかよく分からないですが。


先日「痩せ姫 生きづらさの果てに」(エフ=宝泉薫 著)という摂食障害についての本を読みました。
ネットで購入しようとしたら絶版されているためか定価の何倍もする値段だったので必死に図書館を探して見つけてきました。ずっと読みたかった本です。

私自身"痩せ"に固執している摂食障害者です。普段は幼児の食事程の量のご飯を食べながら、突然、普通ではありえない量の過食をして故意に吐き出すことを毎日繰り返しています。

何故私がそこまでして"痩せ"に固執しているのか。

【太ってるから痩せたい!→過度なダイエットによって摂食障害となる】
だと思われがちですが私は自分のやってる行為をダイエットだとは思っていません。
大まかに理由を述べるなら、
・女の身体が気持ち悪くてたまらないから
・可能な限り『性別』を無くしたいから
・細ければ細いほど人間のあるべき姿から遠ざかっていて美しいと感じるから
・生きることに対する果てしない苦しさを表現するため

周りの人達を見ても自分と同じような思想や行動をしているのを見たことが無く、自分の考え方が一般的では無いのを分かっていました。それでも同じような人はいないのかとネットで調べてみたりしても思うように見つからずぼんやり苦しかった。

でも「痩せ姫」には、同じような仲間がいること、私の心を代弁してくれて摂食障害を優しく肯定してくれる言葉たちがたくさん書かれていて感動し、読みながら泣いてしまいました。

「胸も生理もいらない」

憧れるのは第二次性徴を迎える前の少女もしくは少年のような体型。

「中学生のときから、大人の体型になることに抵抗があって、胸が大きくなるのも、腰が大きくなるのも嫌でした。少年のような体型に憧れ続けてきました。小学生の細い女の子とかを見ると、すごくうらやましいから。ああなりたい、あれだけ細い脚になりたいと思います」

「できるだけ死に近い場所で生きていたい」

痩せ姫は「死なない」ために、病んでいるのではないかと。
(中略)
たとえば、自殺をしたい人のなかには、致死量の睡眠薬などを常に持ち歩くことで「死にたくなったらいつでも死ねる」という安心感を得て、そのおかげで自殺をしないで済んでいるような人がいます。
この場合、死にいたる毒が「お守り」代わりになっているわけです。

↑実際に私自身も首吊り自殺の未遂をしてきましたが「意外と簡単に死ねるんだな」と思えたことで逆に心が幾分軽くなった経験があるのでよく分かります。

生きることをもっと好きになろうと模索し始めます。それがなかなかうまくいかず、彼女はそのもどかしさを「この世への片想い」だと表現していました。それでもいつか、もっと生きやすい自分になれるのではないか、というかすかな希望は持っていたように感じます。


生きることが辛くて虚しくて目に映るもの全部がニセモノに見えるから、私は自分の中の理想だけを信じることでしか生きていられない。自分の理想を実現して、死ぬ時に自分が望んだ綺麗な体のまま死にたい。
チューブ吐きを習得してから本当に人間を辞めたと感じます。人間じゃない存在になりたいともずっと思ってたからひとつ理想が叶ったのかもしれません。

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