Vol.156 私の臨死体験

信じてもらえないかもしれないが私は一度、臨死体験をしている。

機会があったら書いてみようと思っていたが先日心筋梗塞で倒れ2週間昏睡状態だった従兄弟が奇跡的に目を覚ましたので書いてみる。

【前提】

私は高2の丸1年をアメリカのロードアイランド州で過ごした。そこで暴漢に襲われたのだ。しかも到着からたった10日後に・・・
尚、時間は朝8時頃。学校へ行くため歩いている最中だった。場所は大通り沿い。車がビュンビュン通っている中でも白昼堂々襲われるから流石アメリカである。って感心してる場合か。

詳細は省くが私は後ろからナイフ(らしきもの)を突きつけられ路地裏に連れ込まれた。そして強く首を絞められ意識を失った。ここからの数分間が私の臨死体験だ。

【私の臨死体験】

よく臨死体験をした人の話として「体外離脱」が挙げられる。自分の死体を上から眺めているというアレだ。私の場合はその逆だった。意識上での自分は地面に倒れいていたのだけど物理的な意味での肉体は動いていたのだ。ちょっと分かり辛くて申し訳ない。つまり、自分は倒れているつもりだったのだけど実際は起き上がり助けを求めに行っていた。そして無事一軒のお宅に保護され病院に運ばれている。ちなみに私は首を絞められただけでなく左目までぶん殴られており、1ヶ月くらい目がお岩さん状態だった。多分相手は私が死んだと思ったのだろう。逆にそれが幸いした。もし意識を失わず抵抗したら本当に刺されていたと思う。では、肝心の 〝いつ「意識上での自分」と「物理的な肉体の自分」が一致したのか?〟 それはハッキリしない。多分ホストマザーに電話した辺りだと思う。番号を調べるために手帳をめくったこと&紙の手触りを覚えている。


以上、私の臨死体験である。
なんだかインパクトが無くて申し訳ない。
ちょっとドラマにはなりかねるストーリーだが現実とはこんなものである。


しかしこの一件は私の人生を変えた。
死生観と言っても良い。

諦念たいねん

一言で表すならこれだ。
自分は一度死んだのだ、これからの人生は余生なのだ(←この時点で16歳w)、生きてるだけでめっけもの。その思いが仏教における「四諦したい」を自ずと実践したのだろう。やたらと肝の座ったJ Kが爆誕した。

後に【人生には「終」ボタンが必要だ】という思想の持ち主となった事も、回り回ってこの事件が影響していると言えよう。



尚、仏教を学び始めたのもこの事件からだ。
父の実家が寺なので下地はあったが大学進学後、寺院主催の仏教学講座に通ったりした。


人は生まれた瞬間から死に向かっている。
この世の一切は「苦」である。

こんな仏教の考え方を知っていれば、ちょっとだけモノの見方が変わるかも……しれないネ。


と、最後に余計なウンチクを失礼。
長々お付き合いありがとうございました。





【猫ムスメより】
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