見出し画像

#72 炊きたて至上主義への反撃━━冷や飯派閥の台頭を夢見て

こんばんわ。

炊き立て至上主義の社会に私は呆れ返っている。

冷たいご飯を悲哀の権化と捉えるなどもってのほかだ。

ご飯は炊きたてが一番旨いというのは一体どこの誰が流したのか。

そんな訳ないだろう。


ゆかりがかかって梅干しが乗った弁当の冷めたご飯が一番うまい。

幕の内弁当の黒ゴマがかかった俵ご飯が一番うまい。

皿の壁面に付いたカレーのルーを冷めたご飯ですくって食べるのが一番うまい。

ちょっと冷たい部分を感じながら食べる昆布のおにぎりが一番うまい。

寿司のシャリこそが一番うまい。

そういうものだ。


美味しい米とは冷めた米のことである。

炊き立てのご飯への賛辞では決してない。

これは断固として主張する。絶対に譲らない。

逆に炊き立てのご飯が美味しかった事がありますか?という話だ。

私はない。

というか炊き立てのご飯は味がしない。ただ熱いだけだ。

でんぷんの甘みも旨味も何も感じられない。

ただ炊き立てという称号があるだけ。

良く研ごうが水の量を気を付けようが10分15分蒸らそうが、炊き立てで食べた時点ですべて台無しである。


炊き立てご飯をいつでも!などという余計なお世話をしてくる炊飯器があるそうだ。

まったく、家電の設計者はいつまで経っても家事をしないからそういうズレた物ばかり作る。

最近の冷蔵庫の壁面にマグネットが付かなくなったのもそういう所から来ているのだろう。



いつかのすべらない話で宮川大輔が、おこげはガリっとして食感変わるし旨ないでしょ、きれいに炊けた方が絶対美味しいでしょ。とにかく焦がしたんやから失敗したって言えよ!謝れよ!という話をしていた。

飯ごうでおこげを作ったことを失敗だと思っていなかった後輩芸人に腹が立ったようだ。

その時私は、いやそれは流石に言い過ぎやろと思いながら笑っていた。

おこげ旨いやろと。

でも最近になって炊き込みご飯を作った際、おこげの部分が所々に現れる食感にわずかながら不快感を覚えたのだ。

きれいに炊けているところを楽しんでたのにいきなり邪魔入るやん、と。

なんか醤油だまりみたいになってるし変に味濃いしなんなん、と。

そうやって何度か炊き込みご飯を作ったのだが、最終的にいやおこげなんなん?旨ないやんけ!と完全に宮川大輔状態になった。

おこげ失敗やんけ、なんやこの炊飯器!と思うようになった。



で、何が言いたいかと言うと、宮川大輔の話を聞いた瞬間は”おこげは美味しい物だ”という意見を持った多数派とされる側に無意識に立って笑っていただけであって、実際自分が”おこげ不味い派”であることは考えもしなかったのだ。

宮川大輔をおこげ嫌いの”おかしな奴”と決めつけてあざけ笑っていたのだ。

要するに、社会通念上良しとされている常識(多数派の意見)と自身の意見とを無意識に重ねてしまっていることがあるのだ。


その常識は、人々の建前が積み重なって出来ただけの虚像の常識ではないかと問いたい。

全員がリクルートスーツで就活する光景も虚像の常識の1つだ。

失礼に当たるかもしれないというから全員が常識的にスーツを着ているのだけれど、実際に会社の採用担当者に私服では失礼ですか?と聞きに行った人はほぼいないのだ。

失礼だろうという一見常識的な判断に思える意見に無意識に賛同してスーツを着ているにすぎない。

だから、スーツを着るという常識的な行為がよくよく考えると非常識な行為にもなり得るのだ。



私もおこげ嫌いかも、とか

会社を最低3年続けなくてもいいかも、とか

それこそスーツ要らんくね、とか

他にももっと色々あるけれど。

最近でも印鑑文化が廃れてきたり出勤自体の意味を再考してみたり、そういう社会上・建前上好ましいとされてきた虚像の常識が変化しつつある。


で、ここまで大きく風呂敷を広げて私が言いたいことは、やっぱり冷めた米が一番旨いんだよってこと。

いやいや絶対あったかい方が旨いでしょと冷笑する前に、自身のことを振り返って考えてほしい。

建前の常識に縛られてお互い牽制しあう時代は終わろう。

その常識の方が実は非常識だったりするから。

あなたの考えはどうなんだってことが大事。



大声で冷や飯最高!!と叫ぶ時代がもうすぐそこまで来てる。

もう選別は始まってるんだよって話。

めっちゃ文章長いけどもっと短くできたよねって話。



ふと気が向いたらでいいので投げていただけると手をたたいて喜びます!