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この社会は「マルトリートメント」ばかりだ。①

わけあって「マルトリートメント」について さらに掘り下げていくことにしました。

今回も、こちらの本を引用しつつ、僕自身の経験と共に説明していこうと思います。


人を傷つける言動は全て「マルトリートメント」


友田先生の著した本では、親子関係での「マルトリートメント」が重点的に紹介されていて、それに関する記事も書いてきました。


しかし、家庭以外の人間関係においても、
「マルトリートメント」と呼ぶべき言動が存在し、
被害者の心身に悪影響を及ぼすことがある

と指摘している場面もありました。

…マルトリートメントの問題を扱うとき、「親」という語を多用しますが、当然のことながら、実父母に代わる養育者や教育の現場などで子どもに接する身近な大人の場合もあります。(p.31)

学校での先生・生徒という関係も、
職場での上司・部下、あるいは先輩・後輩という関係も、
親・子の関係と同じように考えて問題ない、ということなんです。


つまり、犯罪とは明白に認められなかったとしても、

誰かの心身や尊厳を傷つけたり、愛情や信頼を裏切る結果になってさえすれば、
その言動は全て、不適切な接し方を意味する「マルトリートメント」
と言いくるめていいのではないか という結論に至りました。



そういう言動というのはたくさんありすぎて分かりにくい…という声が聞こえてきそうですが、

どんな場面でも、誰かの尊厳を傷つける行動をとってしまえば、必ずその報いがやってくる、という理屈に変わりはありません。


そんな大人たちの姿を、僕は子どもの頃からたくさん見てきました。

反省の色も謝る素振りすらない姿も、嫌というほど見てきました。


 実際、子どもに対して非常に不適切な行為をしていても、「虐待というほどではない」と考えるせいで、行為そのものが見過ごされてしまう可能性があります。
 たとえば大人が理由もなく子どもを殴るのは明確な虐待だと分かっていても、「殴り方を手加減すれば虐待ではないはず」、「子どもの行為を正すために、やむなく殴るのだ」、「一度きりなら許されるだろう」という理由で、子どもに暴力をふるうケースが少なくありません。目を向けるべきは、不適切な行為の強弱ではなく、そのときの子どものこころの状態です。
(pp.29~30)


「相手の嫌なことをしてはいけません」
「悪いことをしてしまったら、すぐに相手に謝ること」

幼稚園や保育園の先生に口酸っぱく言われてきたはずなのに、

その教えに沿って行動しようという意識がいつの間にか消えてしまっているように見えて、僕はとても悲しい気持ちになります。

それに、反省も 謝罪もない人たちのせいで僕が孤立しているんだと思うと、自然と怒りが湧いてきたりもしてしまいます。


友田先生は著書で こう指摘しています。

 子育ては、たいていの親にとっては初めての経験であり、トライ&エラーを繰り返しながら子どもへの接し方や愛情のかけ方を学んでいくものです。どんなに気をつけて育児をしていたとしても、マルトリートメントの経験がまったくない親などいないでしょう。
 告白しますが、わたしも二人の娘に不適切な行為をしたことが何度もあります。子どもを思うあまり(たいていの親はこう言います)、度の過ぎた行動に走ったこともあれば、高まったストレスを子どもに向けてしまったこともあります。
 ……
 このような話を始めたら、恥ずかしながら、まだいくらでも出てきますが、大事なのは、そうした行為が誤りであったと認め、子どもとのかかわり方を改善しながら、自身の行為を正していくことだと考えます。自らの不適切な行為に気づかず、あるいは気づいていても改めずに何度も繰り返していると、子どものこころに深い傷が残ってしまい、それが子どもの健全な発達を妨げることになるからです。
(pp.32~34)



僕が受け取ってきたものの正体


…子どもの脳は、…毎日の生活のなかで親や家族、周囲の人たちの愛情に触れながら、さまざまな体験を通して学習し、ゆっくりと成熟していくものです。ところが、この大切な時期に、強いストレスにさらされ、孤独や悲しみ、恐怖といった感情を抱き続けていると、脳の発達そのものに変化が生じてきます。
 とりわけ、子どもがもっとも頼りとしている身近な存在――両親や養育者――から、こうした過度なストレスを受け続けることになると、その苦しみを回避しようとするかのように、「脳が変形していく」のです。
 マルトリートメントは、子どもにとってストレスそのものです。
 大人にとっても、当然ながらストレスは脳に大きな影響を与え、それが引き金となって、心身の疾患を引き起こすことが多々あります。発達途上のやわらかな子どもの脳からすれば、その影響は大人以上に深刻です。
 また、複数のマルトリートメントを受けたとき、脳へのダメージは複雑になり、また、深刻化することも忘れてはいけない点です。
(pp.101~102)

「マルトリートメント」という概念を知って、僕が今までの人生で受け取ってきたものを簡潔に説明できるようになりました。

僕は生まれてからずっと、
多種多様のマルトリートメントを受け取ってきたんだ
、と。


「レガシー」の記事にも書きましたが、
家庭でもそれ以外の場所でも 当たり前のように「マルトリートメント」が溶け込んでいる生活を経験してきた僕らの世代は、
大人になるまでに見えない傷を抱えた人がたくさんいるように思います。

そういった人たちに、これ以上 心身を傷つけるような言動を浴びせるべきではないし、その環境に居させる必要は無いんだと 僕は強く言いたいです。


実際 「マルトリートメント」が常態化している環境には、僕は合わないことが分かりました。

「そういう負荷に耐えられない人間はプロ意識がない」「甘ったれるな」と言いたくなる人たち、どんな困難にも逃げることなく歯を食いしばって耐え抜いてきた人たちには、特に共感しにくい内容かもしれません。

でも、そういう人たちで作られている社会は、少なくとも僕にとっては邪魔物以外 言いようが無いんです。
やめる(辞める・病める・キャリアや人生を止める)理由がたくさん出てくる環境に 居る意味は無いんだってことを、この身で経験してきました。

そして僕は、「マルトリートメント」を理解してくれない人たちの命令に従っていてはいけないんだなと実感しました。

受け身になったらいいことがなかった僕には、
「皆やっているからお前もやれ」も通じません。


例えば、恋愛(→結婚→子育て)。

恋愛感情が伴わないのにできるはずがないし、
その様子を見て 相手の家族が結婚を認めるわけがないじゃないですか。


それから、アルコールを伴う飲み会。

はめを外せば 誰かに迷惑をかけるのは間違いないし、
水を飲んで黙って居るだけでも体調がおかしくなるし、
翌日以降の業務に確実に悪影響を及ぼすイベントなんです。


僕ができる仕事(事務やパソコンを使った業務)はというと、既に皆やっているから 障がい者の僕には回ってこないし、
皆が敬遠しがちなことは 僕も敬遠しなきゃいけない内容だったりするし、
常に競争意識を持たされて 利害関係が発生する者同士では、頼れる味方としてずっと居てくれる保証はないし、
そもそも保証人になってくれる人もいないから、自分一人で抱えられない責務を任せてもらえない。
ワークライフバランスを軽視する行動を選べば 収入を超える出費も待っていることも分かってしまったし…。
(憂さ晴らしの行動にお金をかける、精神状況が悪化して病院での費用が増える、すると 将来への貯金が思うようにできない…。)



このように、ありのままの表現を無視したり 肯定してくれない言動自体、「マルトリートメント」で悪い事なんだというのを今すぐ知っていただきたいんです。

また、それが当たり前の状況を「機能不全な環境」に言い換えられて、
「アダルトチルドレン」独特の行動傾向が表れやすくなる事実も、別の記事でお伝えしました。

そういった人たちが自分の感情をコントロールする術を知らないまま、この社会を背負わせること自体 無理があるように感じています。

その人たちの心の痛みを直に経験し(or 正確に想像し)、それを集団生活に反映してくれる環境でないと、自立した生活が手に入れられないんだ という教訓を僕は得ました。



では、どういった言動が「マルトリートメント」にあたるのか、
いくつかの記事に分けて 具体的に説明していこうと思います。


<②へ続く>

オーノ

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