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「マルトリートメント」に出会って「みかた」が変わった。②

①に引き続き、
友田明美著『子どもの脳を傷つける親たち』を読んだ感想を述べます。

ここでは、「愛着」と、マルトリートメントの「負の連鎖」に焦点を当てようと思います。

父の家族も母の家族も異常だった


 昨今、「愛着障害」という言葉を耳にする機会が増えました。
この「愛着」という概念は、英語では”attachment(アタッチメント)”といい、「子どもと特定の母性的人物(もちろん父親でも構いません)との間に形成される、強い結びつき」を指します。つまり、親子(あるいは養育者と子ども)の関係の根幹をなすものです。
 子どもは親の腕に抱かれ、親と見つめ合い、微笑み合うことで安心感、信頼感を身体で覚えていくものです。この「愛着」の感覚が健やかに育つことで、子どもは成長とともに、少しずつ外の世界へと踏み出していけるのです。親に愛されているという自信と安心感さえあれば、健全にこころの成長を遂げていきます。
 たとえ困難にぶつかっても、ぼく/わたしは安全な場所に戻ることができる。いつでもそばに、安心できる人がいる――このような「こころ」の安定が、ひいては子どもの社会性を育むのです。
 愛着障害(反応性愛着障害<Reactive Attachment Disorder>)とは、安全が脅かされるような体験をしたときに、こころを落ち着けるために戻る場所がない状態を指します。親が子どもに対して虐待やネグレクトなどのマルトリートメントをする、あるいは養育者が何度も替わるなどが原因で、子どもにとっての安全な場所が用意されていない状態です。
(pp.49~50)


 子どもに必要なのは、安心して成長できる場所です。それを与えることができるのは、われわれ大人だけです。
 大人と子ども――その小さくも、いとおしい結びつきがいくつもいくつも集まって、社会は成り立っているのです。
(p.213)


マルトリートメントを伴う家庭で育った子どもは、健全な人間関係の築き方が分かっていないために、社会に順応する際に様々な問題を引き起こす傾向がある ということです。


そういえば、父も母も、子ども時代にマルトリートメントを経験したようなことを言っていたなぁ…。


マルトリートメントによって、実家が心のよりどころになっていない感覚。
人間関係を築く上での基本が、ちゃんと備わっていないような行動傾向。

父も母も僕も、健全な「愛着」が紡がれなかったことで 人間や社会に対してネガティブな思いをたくさんしてきた想像が、
この本を読んでいる内におのずと浮かんできました。



父は、4人きょうだいの末っ子として生まれ育ちました。

どんなマルトリートメントを受けたかは正確に分からないまでも、
「家族全員と縁を切る」と言い放って一人 実家を出ていった経験を聞いただけで、
コミュニケーションがうまくいかずに不仲になった関係が 皆さんも思い浮かぶはずです。


しかし、この世には昔も今も、血縁関係を切るシステム自体 存在しません。

その一方で、血のつながった人たちが全員集まらないと解決しないものごとが存在します。


相続がその一つです。

父が実家を出た後に両親とも亡くなっているため、少なくとも一回は話し合いの環境を整えなくてはいけなかったのですが、
そのための連絡すらも受け取らず、
「俺には関係ない」という姿勢を崩すことはありませんでした。


この状況のまま父が亡くなったとしたら、僕がこのもめごとに強制参加させられます。

わけが分からないまま僕が対処するだけでなく、父が長年抱えてきたものや きょうだいたちの複雑な思いに直に接する必要も出てくるわけです。

避けるすべがない僕は、今の時点で心がしんどいです。



一方で、子どものころ「精神的なマルトリートメント(親同士の激しい口論)」が日常茶飯事だったという母は、

父の姿を見ると今でも、
心拍数が勝手に上がって冷静でいられなくなる他、
実家でのトラウマ体験も呼び起こされる
と言っていました。


パートナーに先立たれ 80代で一人暮らしになった父の見守りも、他の人に任せて、老人ホームに入るまでなんとかやり過ごしました。


この精神的なマルトリートメントは、結婚相手からも受け続けてしまいました。

僕が二十歳の時に、長年抱えたストレスが心臓にきて 生死の境をさまよう経験をさせられ、別居する決断に至りました。



こうした背景を持つ父母に育てられた僕は、
それらを受け継ぐかのようにマルトリートメントを受け続け、
特に思春期を過ぎてからは、実家という環境も、父母の存在自体も、恨めしく思うようになっていきました。

結局 僕も父母と同様に、社会人になる段階で実家を離れる決断をしました。


 負の連鎖が断ち切れない要因の一つとしては、…マルトリートメントによる弊害が考えられます。現代社会で求められる、良好な人間関係を築くために必要な脳の機能が損なわれているため、日常生活に困難をきたし、それがストレスとなって、うつ病や人格障害などの心の病へと発展するということも、お話ししてきたとおりです。
 このような障害や病気が親側にあることで、わが子にマルトリートメントを行ってしまうというのは見逃せない事実です。
 また、誰かにやさしく守ってもらいたい子ども時代に、無視されたり、暴言をはかれたり、叩かれ、殴られてきた人たちは、モデルとする家庭の形を知るよしもありません。人は模倣しながら生きていくすべを身につけていく生物であるため、愛情を受けとっていなければ、与える方法もよくわからないはずです。
 彼らは加害者である前に、被害者なのです。
(pp.200~201)


父は そのきょうだいや親たちの被害者であり、その苦しみもあってか アルコールに依存する人生を選んでしまった、とも言えます。

その父の被害者だと言える母に関しては、両親の被害者でもありました。

ちなみに母の母も、実家で"仕打ち"という名の暴力を受けてきた思い出を 生前語っていましたし、

父のきょうだいは、父が実家から出ていった時から今まで、結果的に父の存在を無視した行動をとり続けています。


「マルトリートメントによる負の連鎖」が、何世代にもわたって受け継がれてきた事実が、この本を読んで明白になりました。



まとめ

この本を一通り読んだ後、色んな思いが湧いてきました。


家族や親戚に どんな悩み事も聞いてくれる"味方"が、僕にはいない…。


血のつながっている人たちに気軽に頼れなくなっているこの状況が 本当に悔しい。

それも、僕のせいでこうなったわけではないから なおさら恨めしく感じてしまいます。


それから、
今までやってきたことが、僕らの世代にまでつながってきている事実…。

気づいて反省してほしい人にこのことが伝わらないつらさ…。

自分"だけ"が良ければ全て良し という考えが、愚かで残酷な結果を招くことを、皆に教えてやりたいです。


そして、
僕のような思いを、他の人にはしてもらいたくない!



だから僕は、こういう人生を歩もうと決めました。


・どんなにストレスを抱えても、アルコールには一切頼らない。(その他 記憶を飛ばす作用のある薬剤なども同様。)


・自分の言動は、いつ どのように跳ね返ってくるか分からないから、書き留めておくなどして覚えておく。


・使える法律や権利を有効活用し、
自らの行動範囲と社会的な存在を明確に示すと共に、
僕自身が生まれながらに持っている責任を人生通して全うする。



そういう気持ちにさせてくれたこの本には、感謝の気持ちしかありません。


何年もつか分からないこの人生、よろしくお願いします!

オーノ



引用文献

友田明美「子どもの脳を傷つける親たち」 NHK出版、2017年


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