ずうっと、ずっと、大好きだよ

日本の公教育は捨てたものではないというのが私の信念である。確かに現在の政権による2020年度教育改革には私自身ツッコミ所や不満がたくさんあるのだが、実はさほど心配はしていないのも本音である。
一例として、私が小学生のときに国語の教科書に掲載されていた物語を紹介する。

1年…「ずうっと、ずっと、だいすきだよ」
2年…「スーホの白い馬」
3年…「ちいちゃんのかげおくり」
4年…「ひとつの花」
5年…「おはじきの木」
6年…「石うすの歌」
※私は5年生のときに北海道に海浜留学していた都合、他の学年とは出版社の違う教科書(教育出版)を使っていた点を付記しておく。

これらの物語に共通するテーマにお気づきだろうか。
それは「死」である。
「ずうっと、ずっと、大好きだよ」は飼い犬の「エルフ(エルフィー)」の死、「スーホの白い馬」は白馬の死。「ちいちゃんのかげおくり」と「ひとつの花」は戦争による自身や家族の死。「おはじきの木」は戦争で娘を失くした「げんさん」が、「石うすの歌」は戦争でいとこを失くした「千枝子」とおばあちゃんが主人公だ。学校で採用される教科書は各年齢の発達状況を考慮して、「死」というものを少しずつ考えさせるようにしていたのだ。
さらに「各年齢の発達状況」という観点から、気づくことがもう1点ある。低学年(1・2年生)の教科書のテーマは「人ではない身近な存在の死」、中学年(3・4年生)の教科書のテーマは「自身・家族の死」がそれぞれテーマになっている。そして高学年(5・6年生)は「身近な人の死から立ち直る」ことがテーマなのだ。低学年からいきなり「人の死」を教えるのではなく、「死ぬということがどういうことなのか」を少しずつ考えさせる課程になっているのである。そうすることによって、家族や自身の「死」という避けられない人生上のイベントを迎えるための準備を始めさせている。
私たちはいわゆる「ゆとり世代」であり、学力の低下や重大犯罪の低年齢化が叫ばれていた世代である。「ゆとり教育」や週休2日制の是非が問題となっていたが、小学校の国語の教科書で採用されている教材は、今日に至るまでほとんど変わっていない。教育においてハードをアップデートすることはもちろん大切であるが、より重要なのはソフトの面ではないだろうか。もし「死」というものを悲しんだり恐怖したりすることが無い若者や、「死」というものを軽んじる若者が「ゆとり教育」で統計上増えたのなら、それは間違いなく教育の失敗だ。しかし、幸いにも私はそのような話は聞いたことがない。
日々変化する教育情勢を前にして、ハード面で多少失敗やミスがあることは避けられないことだ。だからそのミスが「大失敗」にならないようにするために、ソフトの面の充実が重要なのである。そういう意味でなんだかんだ言われながらも学校の先生の質が維持されているのは、誇らしいし、尊敬の念を感じずにはいられない。
現政権になって「軍国主義化している」「右傾化している」といわれている。それが真実かどうかは時間がたってみないとわからない。ただ、国語の教科書で「死」について順を追って考えさせているあたり、意外と心配はいらないのかもしれない。本当に軍国主義化しているのなら、「死」について「何とも思わない」子どもを育てるよう、そういった内容の文章を掲載するか、あるいはまったく教科書に触れないように指示をしているはずだからである。
私が大学生のとき、同期から「ナガシマは教育の模範作品のような人間だよな」と言われた。彼らは学校で採用される「善い」とされている教材に対して、「善いと思えなかった」「批判的に感じてしまった」のだという。ただし私に言わせれば、そのような感想を抱けたのであれば、間違いなく教育として大成功である。「死」に限らず、学校教材に採用されている文章に関して「無感動・無感想」な子どもが育ってしまったら、それこそ本当の意味で「教育の失敗」なのだ。
日本の教育は捨てたものではない。なぜならば教科書会社や学校の先生が全力だから。そう思っているからこそ、私も私教育の場面で私なりに全力でありたい。


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