(仮)吉本的マーケティング概論 破壊的イノベーションの110年 (序)

新潮新書の「芸能界誕生」という本を読んだ。帯の惹句とかを見ると、「日経エンタテインメント!」と同様に、業界内だけど中心から遠い人や芸能界に興味のある一般の方が読むと面白いかもしれないが、僕が読んでも面白くないだろうなと思っていたが、まさにその通りだった。
この本は、芸能界の誕生ではなく、戦後日本のポピュラー音楽業界史、もっと言えば日劇ウエスタンカーニバル史だった。それも、今まで渡邊美佐さんを中心に語られてきたそれを、ホリプロファウンダーの堀威夫さんにスポットを当てて、彼に関わった人達が今の芸能界を創り上げてきたという文脈で語られていた。
それは大変意味のある試みだし、僕とて異論があるわけではない。ただ、吉本興業については、芸能界の傍系として興行系のプロダクションとして例示するたった1行だけしか費やしていない。
まあ、どれだけ今のテレビ番組出演者のシェアをジャニーズ事務所と争っていても、大阪の興行会社は、所謂「芸能界」のサークルには未だに受け入れられていないのであろう。吉本出身の僕が音事協の専務理事をやっているなんて、かなり異例な事態であるに違いない。

また、この芸能界は放送業界とレコード産業と伴に成長してきたと言っていい。
昭和の時代は、免許制度に守られて新規参入が無い放送業界(昔も今も、ネットワークは朝毎読産経日経の五つしかない)が、戦後の高度経済成長に合わせ広告費の売上が右肩上がりで来て、利益率の高い(原価の低い)レコード、CDが面白いように売れていたという環境の中で、芸能プロダクションも大きな利益を得てきた。今では信じられないだろうが、フジの月九ドラマの主題歌に選ばれればCDシングルが200万枚売れるという時代だったのだ。みんな儲かって楽しいねという「芸能界1.0」の時代だ。では、それから2.0、3.0と進化したかというと、依然1.0のままなのだ。
日本の民放、レコード産業ともに、あまりにもよくできたビジネスモデルだったので、捨てたり、見直したりしたくなかったのだろう。レコード会社の場合は、CD売上の落ち込みが大きく、売却、合併など再統合が進んではいるが、イノベーションを起こさずとも、放送局(キー局)が倒産の危機にさらされているという話は聞いたことがない。


生産実績 過去10年間 オーディオレコード全体 出典:日本レコード協会
*ピークの1998年には売上が6,000億程度あったことを考えれば落ち込みの大きさがわかる。

音楽業界の構造的な苦境については、別のところで書つもりだが、お急ぎの方は、この本を読んでください。

話を芸能界に戻そう。
昭和のビジネスモデルの芸能界1.0が平成を経て令和の今まで残っているのは、まだ破壊的イノベーションを起こさなければ継続し得ないという危機的な状況になく、何となく持ちこたえられるのではという空気があるからだ。
コロナ禍により音楽や演劇、演芸等のライブエンタテインメントは甚大な被害を受けた。しかし、テレビを中心に活動している芸能プロダクションは、もちろん大きな痛手を被りはしたものの、表現活動の場をネットにシフトしたりして何とかギリギリのところで持ちこたえている。
驚くべきことに、芸能界というのは、70年近い長い間危機的状況が無かった業界なのだ。
だから、業界のプレイヤーも変わらず第一世代の先輩方が活躍されている。

一方、吉本興業は1912年4月1日(明治45年)創業で、ことし110周年を迎えた。テレビが一般家庭に普及する50年ほど前に、演芸場の経営を振り出しに芸能ビジネスを始めた。当然のことながら創業者は他界しているし、経営者も何代も変わっている。また、水商売と言われる興行の世界なので、会社存続の危機に瀕したことも一度や二度ではないし、業態そのもの改廃を迫られたこともある。
吉本興業に関する本は沢山あり、創業者の吉本せいの物語は小説やドラマにもなっているが、起こしてきたイノベーションについてマーケティング的な側面から語られたものはあまりないと思う。船場の女商人の知恵とど根性みたいなものや、弟の林正之助の一代記みたいなものがほとんどだ。

僕自身、1981年に入社して2015年に退社しているので、110年のうち3分の1にも満たない34年間在籍しただけなので、あまり古いことは体験していないが、脈々と受け継がれてきた精神とか空気に触れてきたので、開業時からのイノベーションの歴史を探ってみたいと思う。
史実については諸説あるものや、間違ってそのまま語り継がれたものもあると思うが、そのあたりの細かいことは無視して、次回からは、マーケティング的な側面からの分析をしてみたいと思う。


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