「可哀想の君へ」~妊娠・出産体験記①
先日、学期末ということで、息子の幼稚園で生活発表会があった。
息子のクラスの出し物は、「桃太郎」の劇。
息子はおじいさん役を見事にこなしており、トップバッターで「山へ芝刈りへ行ってくるぞ!」とはっきりとした発声で言えていたのには驚いた。
実は息子はとても緊張しやすいらしく、こういった発表会系はことごとく苦手だったのだ。
去年などは、生活発表会で歌の出し物があったのだけれど、息子はまったく歌えずに突っ立っていた。
それが、今年は微笑みさえ浮かべて、堂々とセリフを言っているではないか!
どういう風の吹き回しなのだろう?
と驚いたのだけど、やっぱり精神的に余裕ができたのかもしれない。
息子の成長は、素直に嬉しかったし、妙に胸のつかえが取れて、ホッとした。
去年までの生活発表会と大きく異なる点としては、引っ越しをして新しい幼稚園になったということと、ママが仕事を離れたということ。
去年までの息子は保育園に通っていたのだけど、「生活発表会」なるものがあっても、正直まったく当日まで関わってあげることができないでいた。
そして、当日に観に行って、「まったく歌えない息子にビックリ!」というダメな母親だった。
そんな時によく聞いたのが、「お母さんがご自宅で練習に付き合ってあげないからでは?」という声。
そう。以前の私は、息子の生活発表会の練習など全く付き合う余裕もなく、仕事に邁進していた。
私のことをよく知っている方であればお気づきだと思うのだけれど、私自身は休むことが苦手な人間だ。
けっして子育てを手抜きしたかったわけではないし、子どもにも愛情は持っているのだけど、やらなければならない案件があると、どうしてもそちらを優先してしまう。
そんなママはことごとく家族に不評だったし、自分でも申し訳ない、でも治すことができない、というジレンマに陥っていたと思う。
実は、この仕事モードと家庭モードの両立には、早くから苦しんだ。
特に苦労したのは、やはり妊娠・出産の時期。
すべてを書くと大変な量になってしまうのだけど、今日は少しだけでも、胸の内をお話できればと思う。
息子への敬意も込めて。
結婚の頃
私が結婚したのは、20代前半と、平均よりやや早かった。
家族からの紹介でのお見合い結婚だったのだ。
私自身が、親がある程度年を重ねてからの子どもだったこともあり、花嫁姿を心待ちにされていたように思う。
私としては、20代後半ぐらいまでは少なくとも仕事で実績を積み上げたいと思っていたので、かなり迷ったのだけど、せっかく良いご縁をいただいたので、家族の推薦を信じて飛び込んでみることにした。
とは言え、私の周りでは結婚している同年代の女子はほとんどおらず、少し肩身の狭い思いもした。
既婚者だから仕事ができない、というレッテルも貼られたくなかったので、独身時代よりもさらに仕事に邁進することにした。
その結果、20代後半になる頃には、いわゆる一分野のプロジェクトリーダーに抜擢されるまでには成長していたと思う。
ただ、そうなると難しいのが出産のタイミングだ。
子どもを産むかどうか、というそもそもの問題もあったのだけど、実家からは「早く孫を」という雰囲気もあったので、どうにもこうにも引き延ばしづらい。
しかし、仕事においては、既に代わりが利かないポジションにまで入り込んでおり、上司にも「急な産休とかはやめてね」と言われたりしたものだ。
(上司がそんな事言ってはハラスメントになるのかもしれないが、実際に回らないのだから仕方がない)。
衝撃の病気発覚!
結局、私は全く妊娠・出産の気配のないまま3年を過ごし、さすがにそろそろどうなのか?と実家に苦言を呈されるようになった。笑
そうは言っても27歳。まだ比較的若いし、同年代で結婚している女子は少ない方だった。
それでも、念のために身体の健康チェックぐらいは行った方が良いだろう、と思って婦人科に通い始めた。
そして、そこでまさかの現実を知ることになる。
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