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広い海を見ているとちっぽけな自分を心地良く感じる話



海、好きですか?

「見てると心が落ち着くかな。」

という人は結構いませんか?


私は海が好きです。
子供の頃から海を見るのは好きで、デートなどでも海に行くことが多かったです。
見ているだけでも心穏やかになっていく。


泳ぐのも好きです。
お日様の下で海に浮かんでいると、音はあまり聞こえず、ゆらゆら揺られながら瞑想しているかのような気持ち良さ。


小さな悩みや心のモヤモヤは、すごくちっぽけな事のように感じられます。

インドネシアのバリ島で海を見ていた時は、日本での生活と離れているけれども繋がっているような、不思議な感覚がありました。

バリでシュノーケリングした時には、透き通った綺麗な青い海と、そこに泳ぐ色とりどりの魚がすぐ近くに見えて、一緒に泳げる自分も魚になったような気分でした。

そんな時、人間も自然の一部だなっていうような感覚があります。


それは今までなんとなく感じていましたが、言語化したことはありませんでした。

今それを言語化してみると、それは「諸行無常」と似ていることに気がつきました。


諸行無常

諸行無常の、辞書での分かりやすい説明はこんな感じ。


「世の全てのものは、移り変わり、また生まれては消滅する運命を繰り返し、永遠に変わらないものはないということ。」

まさにそれ、そんな感覚。

広い海を見ていると、

「広い世界の中にいる自分という存在はちっぽけで、諸行無常の大きな流れの中でちっぽけなりに頑張って生きている」

という感覚があります。


同じような感覚を持ったことのある方いらっしゃいませんか?

ちなみに、私は特に仏教信者というわけではなく無宗教です。


中学校の時の先生が、授業で諸行無常の説明をした時のことをなんとなく覚えています。


「人間は諸行無常という大きな流れの中で生きている。

その流れの中で生まれる命は奇跡であり、過去の何十代にも渡るご先祖様達の不思議な運命な繋がりの中で私達の命が作られてきた。

そして次の世代に伝えて、いずれ死を迎えていく。

だから、人間も自然の一部みたいなものだ。」

そんな説明だったと思います。

それを最近になって急に思い出しました。


その説明と、広い海とちっぽけな自分の存在の対比が重なったんだと思います。


ちっぽけな自分。
それを感じる時に寂しさや悲しさはありません。

大きな海に向かっても勝てるはずがないという、なんだか心地良い諦めと共に自分を客観視できるのです。


あなたは海を見て何を感じますか?



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