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赤鉛筆が示すこと



人生とはやり直しの効かないテストである。
と、私は思っている。

小学校教諭をしている私は今、生徒のテストの採点の真っ只中だ。
放課後、職員室でコーヒーを飲みながら採点をするこの時間、割と嫌いでは無い。

ただたまに、私に話があるふりをしてテストの点数を見に来ようとする子がいる。

明日まで待てないものなのだろうか。

そういう時はさすがに全て隠してしまうけれどね。

お、この子は満点だ。しっかり勉強しているようだ。でもさっき、算数は56点だったか。

この子は…割と独創的な答えを書くみたいだ。国語の成績が今後もっと伸びればいいのだが。

私はコーヒーを一口飲む。

この時間も、今回のテストで最後か。

私は少し、寂しくなった。

というのも、来週からタブレットを導入した授業になるようで、テストも伴ってタブレット式に変わる。

紙でのテストは、もう無いのだ。

「あ」

丸を書いている途中で、赤鉛筆が折れた。

「こんなに、短くなってしまったね」

テスト採点用に、と買ったばかりの時は10本セットだった赤鉛筆。
今ではこの短いやつ、ただ1本。

「さすがにこれだけ残っていては、今回のテストで使い切ってやれそうにないな」

私は赤鉛筆を見つめ、小刀で削る。

何人もの紙の上で、丸や真の答えを書き綴ってきた赤鉛筆。

削るとまた、しっかりとした芯を出す。

私が受け持った子どもたちは、皆こう育ってくれているのだろうか。

私は少しだけ、思い出に耽る。

窓から吹く風が夏の終わりを感じさせる。
少し肌寒い秋の匂いがした。

「アイスコーヒーの時期も終わりかな」

また冬が来る。

今年は、私にとって最後の冬でもある。
定年退職を迎えるのだ。

とはいえ学校職員。何かしらの形で学校には関わることになるであろうが…

削れた赤鉛筆で、途中まで描いた円をなぞる。

少し歪で、無理やりな丸がそこに置かれた。

きっと子どもたちはこの私の失敗にも気づかないのだろう。

まぁ、まだそれでいい。

これが丸かバツか、それだけをわかってくれたらいいのだ。

この丸の形は歪で、それでも丸としての役割を果たしている。

そこに気付く頃、私はみんなの傍にはいない。

赤鉛筆が小さくなるように
対してみんなが大きくなるように

私もどんどん、変わっていくものだ。

最後の子の国語のテストの採点が終わる。

私は席を立ち上がり、コーヒーを入れに共用シンクへ向かう。

ケトルでお湯を作り、インスタントコーヒーに注ぐ。

香ばしい香りが職員室に蔓延する。

夕暮れ前、夏の終わり。
私は社会のテストの採点を始めた。

外から子どもたちのさようならや笑い声が聞こえる。

私はそれを聞きながら、短い赤鉛筆で正解を示し間違いを正す。

どうかこの子達も人生の中で
赤鉛筆で先を示してくれる
そんな素敵な人に出会えますように。

歪な丸があればその意味を
ちゃんと考えることができる人になれますように。



赤鉛筆が、また少し短くなった。

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