OP#1 読書感想文
さて、読書感想文(まとめ)シリーズ1冊目はこの本から。
「仕事に必要なことは全て映画で学べる〜映画監督 押井守〜」
概要
初版は2013年10月、出版社は日経BP
組織の中で働くには、組織を動かすなら、そして組織の中で自己実現を図るにはどうすればいいのか?
そんな疑問について、往年の映画を通じて押井監督が考える「答え」を読める。そんな一冊。
反映されるかは分からないけど、とりあえずDMMブックスのリンクを貼っておきます。
この感想文の使い方
今回が初回の読書感想文だけど、方針としては「自分が読みながらメモしていた気になった・頭に残った・大事だと思ったこと」をまとめて、それぞれについての概要や感じたこと、考えたことを書いていくつもり。
ビジネス書の目次と同じで、気になった見出しがあればそこだけ読むくらいの気持ちで読んでもらえたら嬉しいです。
では早速始めていきます。
勝敗論はそれぞれ違う
組織において、大きな目標があったとしても、それが個人単位では目標や勝利条件ではない。ということ。
例えば映画製作で考えると、興行的な勝利は映画が大ヒットすること、監督としては自分の作りたい映画が作れること、俳優にとっては自分の中で最高の演技ができること。
みたいに、同じ場所にいてもそれぞれゴールは異なる。
同じ組織に所属していてもそれぞれにとっての勝敗は異なる。
それを考えずに、自分にとってのゴールが全体や全員のゴールだと考える、勘違いしてしまうことは避けるべきなのかもしれない。
聞かれたことだけ答えればいい
誰かに何かを報告する時や自分のやりたいことを押し通したい時、必要以上に情報を出していないか?
「これは成功すると思うか?」
そんな質問をされた時、普通ならどう答えるか?
「こうこうこういった理由で成功すると考えられます。ですが失敗する可能性も…云々…ごにょごにょ…」
みたいに、必要以上の答えを出していないか?ということ。
成功するかと聞かれ、自信があるのならこう答えればいい。
「成功する」と。
そこで追及をしないならそれはその人の責任だし、説明不足と糾弾されることではない。聞かれなかったから答えなかった。
バカ正直さは時には不要。
管理職に必要なもの
管理職にとって必要なもの、それは「自分にとっての優先順位が揺らがないこと」だそうだ。
これは前に書いている「勝敗論がそれぞれ違うこと」にも通じることだけど、その場その場で自分にとってすべきこと、自分しかできないことを変えてしまうことは悪手だろう。
例えば「○日までにこれだけの仕事をしなければいけない」のなら、それは絶対に守らないといけない。
その最低限のルールを破ってしまう者に次はない。それを肝に銘じなければいけないのではないか。そんなことを考えた。
その場以外の立場が変わったら自分は何者になるのか
自分の役、存在を理解できているか?
その職場にいる自分、プライベートの自分、町内に住んでいる自分など。
それぞれは独立しているし、共存していたっていい。
それでも、自分がすることが許される空間と許されない空間があることを前提にするべきだ。ということ。
どこでもありのままの自分ではいられないし、その場に応じた自分になれるよう、自分の使い分けをすることが出来ると仕事は楽になるのかもしれない。
自分にとってのテーマを持つ
自分は何をテーマにしているか?
勝敗論がそれぞれ違うことにもまた通じるけど、一つのトピックについて何が大事か、大切か、自分自身がどう在るべきか。
揺らがないテーマを持つことができれば、選択肢がたくさんあっても迷うことはない。テーマに沿って決めればいいのだから。
好きなことは「飽きないこと」?
「好きなことで生きていく」みたいなコピーの広告が昔に流行った覚えがある。そんな感じのことについて書いた記事があるのでよかったらこれもどうぞ。
「好きなこと」とは何か?
よくある質問のネタ、「趣味はなんですか?」
この質問、割と毎回困っている。
好きなものはある。趣味もある。でも、それを趣味と言えるのか?特技だと言えるのか?そんな不安と疑問が入り混じって結局「映画鑑賞」です。みたいな無難どころしか言えない。
まぁ映画好きですけど。その辺の人よりかは好きですけど。
そんな感じで迷っていたからこそ響いた言葉。
これだけ情報が溢れていて、摂取する情報よりも取りこぼす情報の方がはるかに多い世界に生きている今、そのことについて飽きずに関心を持っていることは、すなわち「好きなこと」なのだろう。
好きなこと?そうですね、映画が好きです。
ナンバー2はトップのスペアではない
「ナンバーワンよりナンバーツー」
代表をするのも好きだけど、副がつく役職も好きだ。
ある程度自分の思い通りになる裁量があるのはリーダーだけど、それに干渉しつつそこより下の役職の人に向けて仕事や根回しをするのはサブリーダーの仕事になる。
リーダーって、慣れてきたらそこまで仕事しなくていい気がしている。もちろん仕事はするけど、あくまでも最終決定をする立場の人間としての仕事がメインになるだろう。
それに、トップって疲れる。矢面に立つことがストレスで仕方ない。処分をするのも自分、何かを決める責任を持つのも自分。だからこそ、代表は好きであり、嫌いではない役職だ。
少なくともヒラで働くのはどうにも性に合わない気がしている。まぁ、もしそうなったらそれはそれで楽しんでいる気もするけど。
そんな自分より下の立場の人間をどう動かすか、決してサブという立場に甘んじるわけではない。いかにサブという立場を活かして周りを回すか。
だからこそ、ナンバー2の人間がいきなりトップに何かあったからといって代理になれるわけではない。
決してナンバーワンよりも劣っているから二番手になっているわけではない。その認識を持ち、そして二番手ならそれを誇りにして働かないといけない。
今自分が所属している団体では、副執行委員長を務めている。まさしくそうだ。
それならば、一番上手い中間管理職になってやろうじゃないか。そんなことを考えさせられた。
いかに優れた答え合わせが出来るか
何かあった時、「どうしてそうなったか?」を考えることは当たり前だけど、根本的な解決を考えられているか?
よくあるやらかしに対して、「これからは気をつける・チェックを増やす」みたいな感じで「とりあえず考えた間に合わせの対策」をしていないか?
どれだけ高い質の答え合わせをできるか。そこが大事なのかもしれない。
過去は今による捏造
おはようはじめよう、1秒前は死んだ。
そんな歌い出しの曲がある。星野源の、『crazy crazy』
自分はいつ生きているか?
今この瞬間しか生きてはいない。過去は過去であり、今の延長線上に存在するものではないだろう。未来も同様に、少なくとも今ではない。
過去をどれだけ思い出し、再現できるか。
そんな過去はいつだって今の自分による捏造でしかない。
不可逆的、再現不可能の空間をどれだけ抱えられるか?
未来が不確定だからこそ、人は今を生きることが出来るのだろう。
確かなことは、今生きていて、過去に生きていた。ということ。それだけ。
未来は確かに存在はしている。でも、それは不確かで、やはり現在よりも確かなものではない。自分がこうありたいと思っていたことが「過去」たりうるのだろう。
寺山修司はこう書いたそうな。
『過去を変えるのは人間だからこそできる。むしろそれが人間にとっての自由なんだ』と。
それこそが刹那に生きるモノであり、リアリスティックというものなのかもしれないとふと考えた。
再現できるものには根拠がある
なぜか分からないけど上手くいった。
「勝ちに必然なし、負けに偶然なし」みたいな言葉を思い出す。
古典がなぜ今でも読まれているか?
今も昔も人はヒトであり、そのままある程度の業を抱えて生きているからではないかと思ってしまう。
まぁ、古典が好きでも成績は悪かったから何とも言えないんだけど。
あらゆるものには原典がある。全て何かしらのアイデアや思想のつながった先に存在するものであり、それはこれからも続いていくだろう。
どれだけ先鋭的で見るものを楽しませる芸術的な一皿であっても、懐かしい母親の味である肉じゃがであっても、「レシピ」は存在するだろうし、それもこれまでに連綿と受け継がれてきた歴史の延長線に存在するもの。
そんな必然を飛び越えてその前がない、「初めて姿を現した何か」を作るのが俗に言う天才なのだろう。
少なくとも今の自分では天才にはなれない。それでも、再現可能な手札を増やせるだけ増やしたい。
今の段階では、俺だけのオリジナルカレーは作れないだろう。でも、どのスパイスを調合すればそれっぽくなるかは想像できるだろうし、何を入れたら味に深みが出るかだって考えることはできるのかもしれない。
デジタルネイティブの利点と欠点
最近はテレビのCMがどうしてスキップできないか聞く子供がいるそうな。
触っても反応しないことが特別だとして、液晶について説明する図鑑があるらしい。
思っている以上に時代に応じて子供は進化している。
説明書がなくても使い始めることができる、「デジタルネイティブ」
そんなデジタルネイティブを押井さんはこう評していた。
『長い時間一つのことに集中できないが、アンテナが多く色々な情報に関心を持ち、大量に入ってくる情報を瞬時に統合できる年齢層』
ほんまや…と思ったのでメモしたまで。
情報のソースが山ほどある以上、それらをどう集め、処理し、情報として統合していくのか?
それが可能なのはどうしてか?
自分の中の「検索力」を磨いていかないといけないと思ったところ。
それならこんなものがあったなと思い出したのが、読書猿さんの「脳内図書館分類思考」だった。
何か分からないことがあれば、頭の中に図書館をおいて、十進分類表それぞれに自分が求める情報がないか考えていく。
そこでヒットする分類の場所で実際に調べたらいい。雑に見えるけど、確かに有用な調べ方なのかもしれない。少なくともググって一発目に出てきた情報を信じるよりかは情報の精度は高いだろう。
リーダーは最初に歩き出す人
「どうして日本でジョブズが生まれないか?」
その答えはずっと前から出ている。
「アメリカでもジョブズは1人しかいない」
ジョブズを育てることが優れた経営者のレールではないだろう。
見出しにも書いたけど、リーダーとは、最初に歩き出し、後ろや隣に一緒に歩く人が増える人だそうだ。
自分の足で一歩目を踏み出すことができる人を育てるべきか、それともその人を見つけて隣に並べる人か、後ろを目掛けて追いかけられる人か。
どんな人ならファーストペンギンになれるのだろうか。
失敗のリスクを限りなく低くすればいいのか?
幼少期からこういった教育をするべきか?
リーダー論は、リーダーになる人や既になっている人に向けて書かれている場合が多いけど、リーダーになれるかもしれない人に向けて書かれたものはあまり見たことがない。
潜在的なリーダーが自信を持って歩き出せるような仕組みや教育をすれば人は変わるのだろうか?
最後に
感想文1回目、ざっと12個のトピックについて書くことができた。
これがアウトプットかと思っている。
自分が一回読んだ以上に頭の中にしっかりと浸透している感がするし、何よりも自分が読んで感じたことや考えたことを新たに言語化することによって、自分自身が勉強になった。
この調子で感想を書いていけるような読書生活を送りたい。
今はコーチングに関する本を読んでいます。
ではまた次回、お会いできたら幸いです。
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