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ただの日記

学生のときに、チャリンコでよく通った道も、今ではすっかり綺麗に生まれ変わっているときがあります。

きっと人生もおなじなので、ひととの関わりが、人生につよい影響をあたえ、変化をもたらすのは間違いないことだと感じています。なぜだか人は、どこからかちょっとずつと変わってゆくのです。

平坦な道をただ歩きつづけることに退屈し、なにか新しいことが起きないだろうかと想像する。自分だけは特別だと思いたくなるときだって、あるかもしれない。そうでも思わないと人生やってられねぇなって思う。現実をみるのはいい。しかし、現実から逃避するのもときに大切だ。

じぶんはどちらかというと、「こっちにいきたい」と思える選択がとれて、後悔とか挫折などあまり味わうことなく、生きてこれたように感じる。当たり前に努力することは前提として、むしろ運は良かった方だと思う。ただ、いつもギリギリにまで追い込まれて、救われるパターンしか経験したことがないのは、自分の性格が影響しているからなのか、本当のことはよくわからないけれど、卒業したあとの進路についても、僕自身、一人のファンとして気になる次第です。

ふらふらと街中を歩いてみる。すると、たまに珍しい人に出会う。全く顔見知りではないんだけど、話しかけてみたくなるときがある。「コイツなに考えてるのかな」って興味をもてるのが出発点で、そこから派生して、「普段なにしてんの?」とか「どんなこと好きなの?」って、会話のキャッチボールをするんです。こういった小さな積み重ねが、人見知りを克服することにもつながり、出会いの数を増やすことによって、しぜんと運も良くなっていった。テクニックとかそんな高騰なものではなく、ただ打席に立つ回数を増やしただけのように感じる。

友達をつくろうと熱心に頑張る人もいるけど、そんな気を張る必要なんてないと思ってる。できるなら毎日でも、外にでて誰かとコミュニケーションというキャッチボールをするのがいい。べつにそれは特別、仲が良い人だけと限定する必要はないし、とりあえずやってみる、ちょっぴりはなしてみるだけでも、十分、効果はあると思うのです。そういった小さな積み重ねが、自信をつくる、一つのキッカケになるのは間違いないな。

新しいものにふれてみる。やってみたことがないものを体験してみる。話したことのない人に、はなしかけてみる。飲食店でバイトをし始めてすこし思ったのですが、意外と自分が思っている以上に、自分のことってよくわからないものだと思うのです。勝手に壁をつくって、越えられないものだと思ってたけど、「案外、やれるもんなんだな」という成功体験は、必ずしもどこかで生きてくると、私は思うのです。

居場所ってほどじゃないけど、大学以外に、もう一つ、自分のことを曝け出さなくてもよい場所に出会えたのは、偶然にも良かった。自分のこと、よく知りたいと思ってもらえるのは、とても嬉しいことだけど、逆に、知られたくないこともたくさんあるんですよね。だから、そういった意味で、ひとの目を気にすることなく、曝け出さなくてもよい関係性をもてるのは、とても幸せなことです。

同世代の子たちとつるんでると、毎回と言っていいほど、「SNSなにやってるの?」って聞かれることが多い。たとえ、友達であっても、家族であっても、その人のSNSをのぞいてみたいと思ったことは、ほとんどない。それはきっと、傷つきたくないからであって、その人のこと、知りたいと思わないからではないと思うのです。

きっと心の中では、「言っちゃいけないこと言うかもしれないけど、傷つけてしまったら、ごめんね」っていう申し訳なさと、誰もみてないから大丈夫だろという無神経さがあって、そのお陰なのか、あまり気にせずやってこれたところは大きい。普通の人と違うって言ったらおかしいけど、どこか感覚がキレてないとSNSなんてやってられないと思う。

と、そんな日常をここでは書いてます。
よかったらまた、きてくださいね。
以上、現場からお伝えしました。

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