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井の中のアイツ、実はすげーやつだったりする?……捉え方次第?

またまた「中国古典名言辞典」より。
只今、「荘子」のところ。

井鼃せいあもって海を語るべからず。

せまい井戸の中に住んでいるかえるには、広い大きな海のことを話してもわかるはずはない。
見識の狭い者に大きなことを話しても分からない。
「井鼃」は、井中に住む蛙のこと。
(鼃の字が違うかも……)

「井の中の蛙大海を知らず」って、
ここからきてるのかな?

坎井かんせいを聞かざるや。

あの古井戸の井げたに足をかけていたかえるの話を聞いたことはないのか。
井げたに足をかけていた蛙は東海に住んでいる大きな亀に向かって言った。私ほどの楽しみはおまえにはあるまい。私はここにいても晴天を望むことが出来る、と自慢した。そこで、亀はその壊れている井げたにそっと足を入れようとしたが、足さえもつかえて入れなかった。そこで亀ははじめて大海の広さを知らない井戸の中の蛙の見識の小ささにあきれたという。
小さいことに得意になる者は井蛙せいあのたぐいだ。
「坎井」は、井げた。
井桁いげた」は、井戸の上部のふちを、地上で井の字形に組んだ木の囲い。井の字の形。 また、材を井の字の形に組み合わせたもの。(コトバンクより)

そういえば、
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」
これは、誰が考えたんだろう。

うまいことつくったなー。
でも、
「空の青さ」はみんな知ってるんじゃ?

って思ったけど、
「青さ」のとこが「深さ」というのもあり、
「空の深さ」というと、意味深。

そうなってくると、
このカエル……
なんかスゴイ域に達してる!?

なんとなく、
広い見識を得るよりも、
一つのことを深く追求した
ような。

と、話が変わってくるな。
むしろ、ここでいうと亀さんの方が、
小物感がでてくるか。

でも、このカエル、
どうやら小さいことで得意になってるようなので、
やはり小物か。

いや、でも
「私はここにいても晴天を望むことが出来る、と自慢した」(カエル)
これは、捉え方によっては深いような……。

とまあ、
捉え方によって全然変わってくる。
ていう教訓にしとこ。

そういえば、
これ、
面白いんかな?

↑🐸↓



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