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大アジア思想活劇ーー仏教が結んだ、もうひとつの近代史

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教談師・野口復堂、神智学協会・オルコット大佐、スリランカ人仏教徒ダルマパーラ、そして田中智学などなど、十九世紀から二十世紀の正史、秘史を彩る人物たちがアジアを股にかけ疾駆する近代…
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2023年2月の記事一覧

18 釈興然 日本にテーラワーダ仏教を伝えた留学僧(上)|第Ⅱ部 オルコット大菩薩の日本ツアー|大アジア思想活劇

18 釈興然 日本にテーラワーダ仏教を伝えた留学僧(上)|第Ⅱ部 オルコット大菩薩の日本ツアー|大アジア思想活劇

日本スリランカ仏教交流の始まり──釈雲照の祈願

野口復堂がインドに向かう途上に滞在したセイロン(現スリランカ)には釈興然、吉連法彦、釈宗演の三人の日本人僧が留学し、スマンガラ大長老らのもとでパーリ語とテーラワーダ仏教(上座部仏教,上座仏教)教義を学んでいた*16。復堂が「日出づる国からの特別使節」としてインドを沸かせた明治二十一(一八八八)年には、日本からセイロンへの留学僧の派遣にまで到る仏教国

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19 釈興然 日本にテーラワーダ仏教を伝えた留学僧(下)|第Ⅱ部 オルコット大菩薩の日本ツアー|大アジア思想活劇

19 釈興然 日本にテーラワーダ仏教を伝えた留学僧(下)|第Ⅱ部 オルコット大菩薩の日本ツアー|大アジア思想活劇

林董と明治仏教

前章で名前の出た林董(はやしただす 一八五〇〜一九一三) は明治時代を代表する外交官のひとりである。嘉永三年に佐倉藩の蘭医佐藤泰然の子として江戸に生まれ、幕医林洞海の養子となる。林董の父佐藤泰然は長崎で四年間遊学し、蘭学と外科術を学んだ。佐倉に移住した天保十四年十月、同地に病院を開き、順天堂の額を掲げ施療のかたわらで医学教育も始めた。その後門人も増え、西の適塾(緒方洪庵塾)となら

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20 「十九世紀の菩薩」オルコット日本来訪(上)ペリー総督の再来?|第Ⅱ部 オルコット大菩薩の日本ツアー|大アジア思想活劇

20 「十九世紀の菩薩」オルコット日本来訪(上)ペリー総督の再来?|第Ⅱ部 オルコット大菩薩の日本ツアー|大アジア思想活劇

オルコットの上陸

日本を発ってちょうど五カ月後の明治二十二(一八八九)年二月九日、野口復堂こと善四郎青年は、オルコット大佐とダルマパーラを伴い凱旋帰国した。一行を乗せたフランス郵船が接岸した神戸港小野濱桟橋には、歓迎の僧侶七十人余りが待ち構えていた。復堂曰く、「神戸に着くや波止場は丸い頭の山、この間より毛のある頭が二つ来て復堂を抱えて泣いたのは平井金三氏と佐野正道氏であった。」

神戸に上陸した

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