ナカムラナミ

仕事を離れてアメリカ北部で生活→帰国して仕事を頑張る30代真ん中。気になったら何でもや…

ナカムラナミ

仕事を離れてアメリカ北部で生活→帰国して仕事を頑張る30代真ん中。気になったら何でもやってみようの精神で生きてます。

最近の記事

おめでとう、でもね

アメリカで親しくしていた、今もアメリカに住む女性からメッセージが届いた。「よく***食べてたよね、どうやって食べるのが美味しいかな?」 なんでわざわざ聞くんだろう、ググれば良いのにと思いつつ、彼女はもともとYoutubeやインスタで流行りを追うタイプではないのでいくつかおすすめを伝えた。そして返ってきたメッセージには、「実はIVFが成功していま5ヶ月なの、お腹の調子がよくなくて知りたかったんだ!」と。 完全にそっちが本題じゃん!!!食べ方とかどうでもいいじゃん!!! お

    • 最近の失敗3選

      仕事に復帰し、会話が増えて生活が変わったことで、あれやこれや失敗が尽きない。もう大人になって何年も経つのに同じことを繰り返しては後悔が降り積もっている。今年こそは凛として、しなやかで誠実な人でいたいから、ここに書いて成仏させて、繰り返したくない。 強く言いすぎ問題生理前でイライラしやすい時期って自分でわかっているはずなのに、どうしても人の発言や失敗が見逃せなくて強い物言いをしてしまった。 振り返ってみると言葉のチョイスと語勢が強すぎる。落ち着いて話をすればいいのに、どうして

      • さっぱり気持ちいいことしたい

        服を捨てた。ほんの2枚か3枚だけど、それだけで心がかなりスッキリした。 雑誌を捨てた。ずっと前に購入した美味しいお店とインテリアの雑誌が山ほどあって、まずは半分くらい捨てた。 まだ行ってない店はGooglemapにピンを打った。閉業してなくて嬉しくなった。 花瓶を捨てた。ほんとはずっと好きじゃない形だった。 部屋もクローゼットも、もっとすっきりさせたい。 モノを捨てて心機一転って新年っぽいし。 たぶん、私は、本当にやらなきゃいけないことが他にあるのに 目を逸らすために

        • 2週間だけ気持ちは母になった話

          実は帰国の数日前に、ぎりぎり滑り込む形で凍結胚移植を受けた。移植前にはせっせと薬をのみ、移植後には妊娠していた場合には10週まで摂取することになる大量の薬、大量の自己注射を飛行機に持ち込んで日本に帰ってきた。2週間の隔離期間中は気軽に病院には行けないし、アメリカと日本で薬の認可が異なったら困るし同じでもすぐには買えないかもしれないと不安が膨らんだ結果、移植費用に加えて薬代が膨らんで大きな出費となった。でも買わない選択肢はなかった。 長いフライトを経て日本に到着した数日後、ア

        おめでとう、でもね

          ふたりの生活は続く

          残念ながら、初めての胚移植はうまくいかなかった。 血液検査で妊娠判定を受ける数日前から下腹部に鈍い痛みがあった。着床痛だったらいいなとか、妊娠して身体が変わってきているのかも知れない、と薄い期待を持っていけど、同時にこれは生理前のいつものやつかも知れないとうっすら考えていたのも事実。 妊娠してるかもと期待しすぎると、結果がネガティブだったらその分落ち込むから、先回りして自分を守っていたとも言える。 判定日の午後、担当看護師からかかってきた電話は「残念ながら今回は…」とい

          ふたりの生活は続く

          毎晩7時、一緒に注射に立ち向かう

          わたし達夫婦が子どもを持つに至らない理由はわかっていない。 これまで検査や検診では夫にもわたしにもこれといった問題は見つかっていないので、原因不明不妊症だ。 ふたりでずいぶん話して結婚して早々に医者にかかった。30代前半と早かったのはいい判断だったと思う。夫はすんなりと病院を受け入れ、コロナが広がる前には内診にも立ち会っていた。 日本と違い、患者と医者の間の目隠しカーテンがないので、わたしが足をバーンと広げてグリグリ内診されるのも何度も目の当たりにしている。ずっと平静だっ

          毎晩7時、一緒に注射に立ち向かう

          ママ友ですか?忘れられない銀座の寿司ランチ

          去年、一時帰国した際に妹と銀座でお寿司ランチをした。 妹に会うのも、お寿司を食べるのも久しぶりだから、特別に贅沢して銀座。バリバリ働く妹は仕事が休みだったのでのんびりたくさん話せると心の底から楽しみにしていた。実際のところ、それはそれは楽しかったし美味しかった。それでもこの時の寿司ランチを振り返ると、思い出すのはカウンターに立っていた男性職人から投げかけられた言葉だ。 「ママ友ですか?」 確かに子どもがいそうな30代に見えるでしょう。仕事っぽいかっちりした服は着ていなかっ

          ママ友ですか?忘れられない銀座の寿司ランチ

          まだ見ぬ子どもに幸せの責任を押し付けちゃいけない

          過去の自分を振り返ると、当時は必死だったけど、どう考えてもおかしい行動を取っていたと思うことがある。 前の夫との関係が危うくなり始めた時、どうにか改善したいよねと一緒にできる趣味に取り組んでみようということになった。それまでやったことのなかった海のスポーツ、陸のスポーツ、散歩、料理、色んなことに手を出してみた。試みはよかったと思う。なんだか使命感みたいなものを共有して、瞬間瞬間は同じ方向を向いてみた。でも本当は、どれも心からは楽しめてなかった。彼がどう思っていたかはわからな

          まだ見ぬ子どもに幸せの責任を押し付けちゃいけない

          「でも」を引き算

          会話をするとき、10年くらい前からいつも気をつけていることがある。出来るだけ、「でも」って言わないことだ。 きっかけは学生時代の友人の口癖だった。彼女は自分の話がしたい人で、誰かが話している時も常に口を挟むきっかけを探していた。その切り出し方がいつも「でも」で、その絶え間ない「でも」に私はほとほと疲れてしまったのだ。 ブーメランは返ってくるもので、「でも」が口癖になっているのは彼女だけじゃなかった。よくよく自分の発言に注意してみると、なんと私自身も無意識に「でも」を多用す

          「でも」を引き算

          おなかに無数の注射の痕

          絶賛不妊治療中。ここ2年半ほど、毎月病院に通っては血液検査に左腕を差し出し、診療台に上がり、薬を飲んで自己注射をして治療を受けてきた。残念ながら妊娠には至ってない。 今年に入ってから子宮筋腫を取りましょうと手術が決まったものの、あれよあれよとコロナで数ヶ月延期になり、ようやく手術を受けられたと思ったら今度は「筋腫は筋肉層内で子宮内には無かった」と告げられた。手術をした医師と普段からの医師は病院も違うのだが、その後も超音波検査のたびに担当医師から「やっぱり私は子宮内に筋腫があ

          おなかに無数の注射の痕

          素直になれない父とのこと

          母のことは手放しに好きだ尊敬していると言えるのに、父に対しては素直になりきれない私がいる。 たぶん、父と私は似ている。 余計な一言が多い。怒りっぽい。人の話を素直に聞かない。なんでも自分で決めたい性格。俯瞰から語る持論を展開するので話が長い。 父は私が中学生の頃からおよそ10年に渡って単身赴任をしていてた。ちょうど思春期で親から離れたかった時期であり、父が家にいなくて寂しいと思った記憶はない(お父さんごめん)。 そのうち私は大学生になって家に寄り付かなくなり、就職して一

          素直になれない父とのこと

          久しぶりに読んだ小説が昔の記憶を運んできた

          たとえば金木犀の香りや花火の煙、秋の風の匂いで、 たとえばかつての繰り返し聴いた曲が不意に流れて、 いつかの記憶や感情がよみがえることが誰にでもあるだろう。 最近、小説を読んだ時にも同じことが起きた。 吉本ばなな「キッチン」。小学生か中学生の頃から繰り返し手に取り、引っ越しのたびに連れて回っている文庫本は、とうの昔に黄ばんでいる。 ページをめくり始めてすぐ、一番辛くて苦しかった時間が蘇ってきた。小説で昔の気持ちを思い出すなんて、初めての体験だった。 友達にも話せない、頑

          久しぶりに読んだ小説が昔の記憶を運んできた

          不妊で悩んでる(かもしれない)人に出会ったら、お願いしたいこと

          30代半ば、結婚している、となると聞かれるのは子どものことばかりだ。 子どもはいるの?子どもはいいよ、産むなら早いほうがいいよ。ストレスない生活が大事だよ、まだ若いからきっと大丈夫。子どもが生まれて人生変わったよ、すごく充実してる。不妊治療してるの?体外受精は?うまくいかないなら養子って手もあるよ。〇〇さんも治療してるんだって。治療をやめたら子ども出来たってよく聞くよ。でも、夫婦二人の人生もきっといいよね。 ね、頼むからそっとしておいてほしいんです。望んだって誰にでも子ど

          不妊で悩んでる(かもしれない)人に出会ったら、お願いしたいこと

          身体はよくやってるよ、文字通り血を流しながら

          ランドセルを背負っていた頃から毎月律儀に出血への対応を続けている。わたしたちの身体はよくよく働いているなとつくづく思う。 月経が近づくとわたしの場合、 何にしてもイライラし(しかも最初は気づかない、毎月のことなのに) 次第に下腹部が痛み始め 決断能力の著しい低下があり 倒れそうなほど眠くなり 数日間にわたって大量に出血し 腰が痛くて仕方なくて 薬を数時間おきに飲みながら どうにかおよそ1週間をやり過ごす。 症状が軽くても重くても煩わしいことに変わりはないし、ストレスやら体

          身体はよくやってるよ、文字通り血を流しながら

          1年と3ヶ月会えていない、母のこと

          30代も半ばである。母が私の年齢の頃には、長女の私を筆頭に3人の子育てに明け暮れていた。20年近くを怒涛のワンオペ子育てに費やしながら、趣味をプロのレベルまで着々と極め、それを生かして60歳を過ぎても現場で働いている。すごすぎる。 母は、いつも笑顔でおしゃべりと甘い物とバッグが好きで、児童書を愛し、幅広い年代の友人に恵まれている。趣味が多くてアクティブで、人生を楽しむのが上手な人。一方、片付けは大の苦手。 彼女をものすごく尊敬している。ものすごくラッキーな親ガチャに当たっ

          1年と3ヶ月会えていない、母のこと

          服を買うことが喜びだった

          カッティングの綺麗な、はっとする色合いの、シャンとして見せてくれる服を買うのが喜びだった。ただ、服を買うのは喜びだったけど、たぶんそれ以上にストレス発散だった。忙しい、疲れた、喜びが欲しい、服を買おう、の繰り返し。振り返ると、我ながらちょっとどうかしていたと思う。 そんなわけでわざわざアメリカまで持ってきたにも関わらず着ていない服がたくさんある。おしゃれして出かける機会がない、平日も土日も90%の人がショートパンツかレギンスで出歩いている、日本でははるか昔に卒業したようなデ

          服を買うことが喜びだった