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服を買うことが喜びだった

カッティングの綺麗な、はっとする色合いの、シャンとして見せてくれる服を買うのが喜びだった。ただ、服を買うのは喜びだったけど、たぶんそれ以上にストレス発散だった。忙しい、疲れた、喜びが欲しい、服を買おう、の繰り返し。振り返ると、我ながらちょっとどうかしていたと思う。

そんなわけでわざわざアメリカまで持ってきたにも関わらず着ていない服がたくさんある。おしゃれして出かける機会がない、平日も土日も90%の人がショートパンツかレギンスで出歩いている、日本でははるか昔に卒業したようなデザインのワンピースが“おしゃれ”でそれは着たくない、などなどが理由だ。街に日本の服装が何だか似合わないということもある。

ナチュラルボーンおしゃれスキーではなかったので、自分を貫いて常に気合の入った格好をする気概は早々にシュルシュルと萎んでしまった。気分じゃなくなってしまった服たちは、申し訳ないことに2年もの間眠ったままだった。

家に閉じこもっているのを機に服を整理してみると、まつわる思い出がいくつも蘇る。出掛けた場所、一緒に遊んだひとの顔、その頃の自分… とはいえ今着ない服はこの先も着ないと自分に言い聞かせて、ドネーションストアに託すことにした。

手元に残っているのは動きやすくて心地いい服ばかり。東京基準で考えると電車に乗るのはちょっと躊躇するほど着古していたり、ピタッと体の線が出るシルエットは浮くだろうななどと考えてしまうような服たちだ。

帰国したら、働くためにまた服を買わないといけない。靴も。化粧品も。
でも、ストレスをガソリンにして、際限なく買い物する自分には戻りたくない。アメリカで環境問題と共存しようとするファッションブランドをたくさん知ったし、大量に服を買うことへの嫌悪感も自分のものになった。

シンプルで生きていきたい。できればおしゃれが両立する形で。




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