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闘う相手は、自分だけにする。

自分で言うのもなんですが、私はとても平和主義です。娘の名前にも「平和」という意味を込めたくらい、平和で穏やかであることにこだわりを思って生きています。

でも、私が「平和主義です」と自分にラベルを張っているのは、張らなければすぐに争ってしまうから、という理由もあるんです。今は想像できないと言われますが、以前の昔は、そりゃもう血の気が多かったから。(笑)

小さいころから、わかりやすい評価に安心するタイプでした。テストの成績とか、運動会の一等賞とか。今思うと、それが理由で部活も陸上部を選んだのかもしれません。

結構なストイックな性格で、一位とか満点とか合格とかに執着していた時期もあります。それが結果をして自信になっている部分もあるのですが、人材育成やキャリアの勉強としていて気づいたことがあります。
闘うのは周囲の人間(他人)ではなく、自分だけにしなくてはいけないということです。

例えば、チームのリーダーには1人しかなれないけど、立候補はAさんとBさんの2名。こうなったときに、Aさんは自分のスキルアップや好成績を目指し、選ばれる人になろうと自分と闘います。
一方、Bさんは自分についての努力はせず、ライバルであるAさんのミスや業績悪化を祈って、他人と闘っています。
さて、どちらのリーダーの部下になりたいでしょうか。


私は血の気が多いタイプでしたが(笑)闘う相手は常に自分なので、自分の人生を生きているという実感が「自責」を通して芽生えています。これがBさんのように、他人と闘うことばかりに集中していると、他力本願・他人軸で物事を選択する習慣がついてしまっていたと思います。

もちろん、自分との闘いが楽なわけではないし、むしろ孤独で強い気持ちがなければ苦しいことも多いです。でも、他人と闘うよりも明らかに生産性が高くて、いいライバル関係を保持できます。何よりも、自分軸で選択する習慣がつきます。これは、人生において後悔が格段に減る方法です。

後悔が多かったり、誰かのせいにしたり、言い訳が第一声に出てきてしまいがちな人は「自分」ではなく、「他人」と闘ってきたことの方が多いかもしれません。そして他人と闘う癖のある人は圧倒的に自己肯定感低い自覚も持っているなと感じています。だったら、今すぐ他人と闘うのは辞めませんか?^^

努力の方法や方向を間違えると、望んだ結果が得られないことはよくあります。努力は必ず報われる、って言葉が万人に当てはまらないのはこういう要素もあるのでは。

努力=自分と闘う

どうですか?闘い方、闘う相手、まちがっていませんか?
比べる相手は、過去の自分だけにしましょうね^^

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最後まで読んでくださって
ありがとうございました*



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