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「兄と弟」昭和からの絵手紙

僕の昭和スケッチ番外短編集4

104ニワトリ小屋
<画/© 2007 もりおゆう 水彩 サイズA3>

「兄と弟」

ある夏の午後、ヒサキと直治という兄弟が家から一里程の所にあるミミズ川という川に魚釣りに出かけた。

弟の直治が小三で、兄のヒサキが二級上の小五。
いつになく大漁で、ハヤやウグイが三十匹程釣れた。 二人を特に喜ばせたのは、その辺りでオババと呼ばれている20センチ程になるオイカワが釣れた事だった。オイカワは大きくなっても通常15センチ程だからこれは滅多に釣れない大物だった。

二人は嬉しくて、魚をバケツに入れて、家路についた。 大物を釣ったのは弟の直治で、直治はそれを自慢した。その餌を付けてやったのは兄のヒサキで、ヒサキはそれを自慢した。二人は自慢し合いながら笑い、かわるがわる交代でバケツを持って自分達の村へと歩いた。 けれど、バケツの中で元気に泳いでいた魚達は、村へ帰ってくる頃には暑さで茹だってプカプカと浮いていた。 二人も疲れて無口になっていた。最初は軽いと思った水の入ったバケツが次第に二人を苦しめていた。

そして、とうとう村の入り口にある大きな火の見櫓の前まで来た時に弟の直治が音を上げた。
「兄ちゃん、この魚どうする? みんな死んでまったみたいやぞ…」
「どうするかな…今夜食べよまいか、お母ちゃんに料理してもらって…」
とヒサキが答えた。
「けど、お母ちゃんはこんなもんさわるの嫌がるで、兄ちゃん…」
「そやな…、お母ちゃん、川魚は生臭いゆうて嫌うもんな、直…」
二人は、ちょっと黙った。
「どうしょう、兄ちゃん? …捨てよか…」
「けど、せっかく持って帰って来たんやで…」
すると、ヒサキが不意に何かを思いついたのかバケツを持って足早に歩き出した。直治は、慌ててその後を追った。

二人は自分達の家のすぐ手前にある隣家の裏までやって来た。
 そこには、鶏小屋があった。 むろん隣家が飼っているニワトリだ。
ヒサキは小声で直治に言った。
「この鶏に魚やってまぉ! 鶏の奴、きっと喜ぶぞ、なんやて普段は米ぬかばっかり喰わされとるんやからな。」
 この兄の提案に弟の直治は、すぐに納得した。
「そうやな、兄ちゃん! そら、ええ考えやな!」
「そうやろ、そしたら魚も無駄にならん。わしらもわざわざ運んで来た甲斐もあるゆうもんや。」
直治は、兄に言われるままにバケツに手を入れて死んだ魚をすくおうとしたが、その時ちょっと顔を曇らせた。 
「けど、勝手にそんな事して大丈夫やろか、兄ちゃん…? …ここのオヤジに怒られぇへんかな…」
この隣家の主人は、いつもしかめ面した中年の男だった。

だが、ヒサキは怯まなかった。
「ふん…何言っとるんや、別に悪い事する訳やないやろが。それに、只で餌をやるんやで! 感謝されたいぐらいや!」
「そやな…けど、ほんなら、なんで兄ちゃん、ひそひそ声でしゃべっとるんや…」
「俺は別にひそひそ声でしゃべってなんかおらんぞ。ただ、オレはここのオッサンのことがなんか苦手なんや。 いつも庭先で恐ろしい顔をして鶏の首切っとるからな。」
ヒサキは、ちょっと口を尖らせてそう言った。
弟の直治が自分に逆らうような事を言うのがちょっと癪に障ったようだ。 

「さあ、何をぐずぐずしとるんや、はよせんか、直! 魚を餌置きに並べてまうぞっ!」
そう言うとヒサキは、自分でさっさと魚をつかんで鶏小屋の餌置きに並べ始めた。 餌置きは、雨どいのような形をしていて、鶏小屋の隙間から鶏が頭を出して餌を啄むようになっていた。 直治も、「これ以上兄貴に叱られてはたまらん…」、と観念して魚を手早く餌置きに並べ始めた。
 鶏達は、餌場に何が置かれたのであろうかと最初は警戒して見ていたが、すぐに狂ったように魚を啄み始めた。 後ろの方にいた大きな鶏が前に飛んで来て他の鶏を押しのけ、小さな鶏を踏みつけて魚を喰らった。 下の段では二匹の鶏がウグイを奪い合い、頭と尻尾の両方から肉を引きちぎって喰らっていた。

「すげえ…」
と直治が息をのんだ。
鶏小屋は、あっという間にまるでキツネが忍び込んで来たような大騒ぎになった。 羽毛と小魚の鱗片が宙に舞い、けたたましい鶏の鳴き声が午後の農村に響き渡った。 それは、二人の兄弟が思ったよりはるかな喧噪で、その騒ぎに気づいた隣人がすぐに奥から飛び出して来た。 

「こら不味いっ、オヤジが出て来たっ、逃げるぞ、直治っつ!」
けれど、二人は、あっという間に隣人に首根っこをつかまれた。
「オッサン、違うんじゃ、わしら鳥に餌をやろうと思っただけなんじゃ…!」
と言ってヒサキは逃れようと暴れた。
直治も、イタズラや卵泥棒ではない事を必死に訴えて謝ったが、隣人の怒りは収まらなかった。 そこへ二人の母親の照子が隣の騒ぎを聞きつけて顔を出し、隣人に詫びてようやく一件落着となった。

家に戻ると、照子は呆れたようにため息をついて言った。
「タワケやねえ、あんたらは二人そろいもそろって…。そら隣のおじさんやって怒るわ。鶏に川魚なんかやると肉も卵も生臭くなるそうやで。」
そう言われて、二人ともしょんぼりと頭をたれて庭先にうな垂れた。
 そして、直治は運んで来たバケツの水を 上がり端の所で庭の草むらに詮無く捨てようとした、バケツの水はニワトリに魚をやろうとした時に二人の手についたニワトリの餌やら泥やらで黒く濁っていた。その泥水の中を見て直治が叫んだ。
「兄ちゃん、まだ魚がおる、一匹生きとるぞっつ!」  
ヒサキもバケツの中を覗き込んだ。そうして、二人は同時に叫んだ。
「オババやっつ!」
二人は互いの顔を見合って笑った。 

泥で汚れた水の中で大きなオババはハアハアと喘ぐようにエラを大きく動かして呼吸していた。そして、かろうじて水中で真っすぐな状態を保っていた。 母の照子もバケツを覗き込んで言った。
「ありゃ、ほんとや、一匹おるがね。 大きなオイカワやがね、、、。あんたら、はよ逃がしたりゃあ、前の用水路に。可哀想やに。」
二人は母親に促されて家の前に流れている小さな用水に走った。そして、流れに魚を放した。 用水の水は、村の家々の前を流れているのだが、長く手を入れてはいられない程に冷たく綺麗な水だった。
九死に一生を得たオババはちょっと石の陰にいたが、すぐに元気よく用水の中を泳いで行った。
「なあ兄ちゃん、あいつ鶏に喰われんで良かったなあ…」
と直治がしゃがんだ姿勢のまま、しみじみと言った。
  
兄のヒサキも黙ってこくりとうなずいた。

その四 兄と弟(了)



*「昭和からの絵手紙」は、昭和20年から40年頃の地方都市を舞台にしていますが、実際の出来事ではなく名前も実在の人物とは関係ありません。

<文と絵 © 2007 もりおゆう 禁無断転載 All rights reserved>
*文/最終稿2021.10.21

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