「給食ソフト麺」豊かになっていく日本
「僕の昭和スケッチ」イラスト229枚目
<学校給食>
僕らの時代の給食はそんなに美味しいものではなかった。
脱脂粉乳のミルク*が出されていた時代だ。
途中でチーズなるものが登場するが、これも臭くて石鹸のようだった。今の美味しいチーズとは似て非なるものだ。戦後の僕ら貧乏小僧を救おうと奮闘してくれた大人達には大変申し訳ないのだが、この脱脂粉乳とチーズは僕らを苦しめた二大悪魔だった。もう昼休みなのに、臭いチーズを細かく割って少しずつ飲み込んでいた女の子もいた。残すことは許されず、見ていても可哀そうだった。
時代が下がると少しずつ給食が改善されていく
戦後の学校給食の目的はまず子どもの栄養補給にあった。戦後まもない日本には餓死する子供もいたのだ。僕らは彼らのほんの少し後に生まれた。
そして、日本経済が復興するにつれて学校給食は救貧から次第に「子どもたちが美味しい」というものを出そうという気運に変わる。
それは、給食が美味しくなっていく幸せな時代だ。
残念ながら、この頃に僕らの世代は小学校を卒業し、その恩恵には預かることができなかった。無念!(笑)
記録によると、1965年(昭和40年)に初めて東京の学校給食にソフト麺*が登場する。ミートソースのような和風のひき肉あんが添えられ、これも人気を呼び、全国に広がっていったという。この頃になると僕らを苦しめた悪魔達、脱脂粉乳と臭いチーズはもちろん姿を消していた(笑)
「みんな、今日の給食はソフト麺だよ〜〜〜」
と当番が給食を教室に運んでくると、拍手喝采だったとか(笑)!
・・・う〜ん、悔しいけれど、僕らはソフト麺を知らない! (>_<)💦
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