見出し画像

「ラジヲの話」昭和の暮らし

 「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ119枚目

<「ラジヲ」画 ©2022 もりおゆう 水彩 サイズF5>

昭和の頃、ラジオは僕らの暮らしと共にいました。

1953年にテレビ放送が始まっても、値段の高いテレビは中々普及せず、ラジオはまだまだ娯楽や情報伝達の花形だったのです。音楽やドラマ、さまざまな名番組がラジオから生まれました。

□子供たちの大好きだった「赤胴鈴之助」.
□お風呂屋を空にしたというラジオドラマの伝説的番組君の名は」.
□「野球放送」や「相撲放送」、「落語」!
□少し時代は下がりますが、「オールナイトニッポン」や「パックインミュージック」、「セイヤング」、深夜から早朝にかけて働くタクシーや長距離トラックの運転手の方達に愛された「歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ」などの深夜放送.
□「小沢昭一の小沢昭一的こころ」なんてのも長く愛されましたね.

ノイズが入るのをツマミで調整しながら聴いたものです。
特に深夜放送は、公衆に向けて発信しているにも関わらず、深夜まで起きて聴いている一人一人に直接話しかけているような雰囲気があり、それが大きな魅力で深夜放送ブームにもなりました。技術開発によるラジオのトランジスタ化はラジオの可能性を広げ、それはカーラジオの発展にもつながりました。ラジオは一家に一台から一人に一台というパーソナルメディアの方向へ向かったのでした。

戦後のまだまだ皆が貧しい時代。
そんな時代に娯楽や情報を、街や家庭に届けてくれたラジオ、、、

皆さんは、何を聴いていらっしゃいましたか?

<©2022もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています>
(©2022 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?