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「用水人(じん)の出た夏」昭和からの絵手紙

僕の昭和スケッチ番外短編集7

これは、「僕の昭和スケッチ」を始める以前に僕が描いた「昭和からの絵手紙」という短編小説の内の一編です。「僕の昭和スケッチ」の原点になったこの幾つかの未発表の短編は、僕個人としては今も愛着があるものです。

この夏、ぜひ貴方に読んで頂きたくて、その内の一編をお届けします。

<「用水人の出た夏」 © 2023 画/もりおゆう 水彩/ガッシュ 禁無断転載> 


「用水人」 

夏に黒野村に行くと 時折不思議なことがあった。
黒野村は岐阜市の北の在にあり肥沃な農村地帯なのだが、古くからの民話や不思議な逸話の残る地域でもある。

ある日、在所の従兄弟とミミズ川に魚釣りに行ったのだが、あいにくその日はウキはピクリとも動かなかった。いつも竿を入れればすぐに魚が針に掛かるのだが、その日は全く生き物のいない川のようだった。

「今日は魚も機嫌が悪いようや あかんてな」
と久喜(ヒサキ)が言った。
久喜は私より二つ年長で、在所の従兄弟だ。久喜は学校の成績はあまり芳しくない様だったが、釣りや虫取りの名人でよく私の面倒を見てくれた。

「まぁ こんな日もある」と久喜に慰められながら私たちは何時もとは違う道を帰った。その道は途中に溜池があり、そこで竿を入れてみようか、と久喜が言ったからだ。そうして歩いていると道端に小さな地蔵がある所に差し掛かった。その地蔵の奥の茂みに大きな灰色の塊があるのに私はふと目をとめた。

「何や あれ?」
と茂みに分け入ると、それは大きな古びた用水だった。
中を覗くと、黒い水が満々と満ちていた。

「こん中に魚 おるかな」
と用水を覗き込みながら私は久喜に尋ねた。
泥水の面には小さな泡が浮かんでは消えていた。

「知らん 早よ行こまいや ユウくん」
久喜は農道からそっけなくそう答えた。

暗い茂みから見ると久喜のいる農道には燦々と日が当たっていた。久喜は「戻って来い」とばかりに農道から手招きをした。けれど、川で一匹も釣れなかった私は久喜のいう事を聞かず、餌をつけて用水に糸を垂らした。

「ちょっとだけ やらしてや 久喜」
と。

「ここで釣ったらあかんて 村の人に怒られるぞ」
と私をたしなめる様なことを言いながら久喜も茂みの奥に入って来た。
糸を垂らすと すぐにピクピクとウキが動いた。
淀んだ水の中に何か棲んでいるようだった。

暫くやっていると、小さなモロコが釣れた。
こんな所に魚がいるのが実際不思議でもあったが、よく針にかかったな、と思う程に小さかった。

「さぁ 一匹釣れたんやで もう行こうや」
と久喜が促したが、私は聞かず「もう一匹」と言って又糸を垂らした。
「もうちょい大きいの釣れたら行くで 待っとって」
と。

だが、それからウキはピクリとも動かず、諦めて帰ろうと水面から目を上げたその刹那、声も出ないほどに私は驚いた。

いつの間にか私の対面の水槽のヘリに大きな男が座っていたのだ。
その男は足を用水につけ、衣服はずぶ濡れだった。目深に帽子をかぶっているせいか、顔は全く見えない。顎からポタポタと水が滴り落ちていた。どう見てもその男は今用水の中から出て来たのだ。
だが、それはあり得ない事だった・・・

咄嗟に助けを求めるように隣にいたはずの久喜を私が見ると、久喜は既に農道に戻りスタスタと向こうへ歩いていた。そして、振り向きもせず私に言った。

「ユウくん もう帰らなあかん」
と。

私は茂みから飛び出て慌てて久喜に追いつくと、二人で黙って足速にその場を離れた。

暫く行ってから二人で振り返ると茂みの奥から地蔵の所まで先の男が出て来てこちらを見ていたが、すぐに霧のように消えた。

膝が諤々と震えた。
「あれは、なんや・・・」
と私が言うと久喜が答えた。

「用水人や」
と。

久喜は続けた。

「ここには ずっと前に大きな百姓屋があったんや
この辺りの名主さんでそりゃぁもう大きな百姓屋やったそうや
今はもうあの用水しか残っとらんけど

その家の人(じん)は 裕福でみんな幸せに暮らしとったんやが
ある夏に一人息子がこの用水で溺れて死んでもうたんや
まだ、三つやったそうや

母親は気が狂うたみたいになって 結局一家で他の在に移り住んだんや  
この用水が嫌で嫌で・・・ そりゃあ、そうやわな

ほんで その後 家は荒れて朽ち落ちて この用水だけが残ったそうや 」

「それは いつ頃の話?」
と私が聞くと
「知らん ワシらが生まれるずっと昔や」
久喜は続けた。

「じゃが いつの頃からか 変んな噂が立つようになったそうや・・・」

「噂?」
と私が問うた。

「ああ 噂や 残ったこの用水から声がする言うて・・・」

「声?」

「そうや 声  子供の声や  声だけやない そのうち変なものを見たという人も出るようになったそうや」

「変なもの?」

「今見た奴や  用水人や  

恐ろしい話や
その子は自分が死んだことを知らず そのまま用水の中で大きくなったんや
それを見た人が次々に現れて 村の人らはそれをいつか用水人と呼ぶようになったんや  

あの地蔵さんは用水人を供養するために村長が置いたと言う話や・・・
ただの作り話やと思っとった・・・」

久喜はそれきり何も言わなかった。

それから、家に戻って門口で叔母にその話をすると、叔母は屋内から塩を持ってきて私たちを清めてくれた。
そうして二度とそこへ行かないように私たちをたしなめ、、、
「タワケがお盆に殺生なんぞしに行くもんやで、そんな目に遭うんぞ」
と久喜をさらに強く叱った。

以来半世紀の時が流れた。
久喜は、その後大工になり、先年亡くなった。
用水人の話を知る村人も今は少ない。

-了



*この物語のベースには私の幼少期の実体験がある。けれど、長い年月の過ぎた今になってみると、その実体験がどこまで本当の事だったのか、それとも私の暗い頭蓋の中で我知らず創られた奇譚なのか、それが自分でも判然としない。

*昔、岐阜では「人」をよく「じん」と言った。
もちろん標準語でも「外国人」などと言うが、それとはちょっと違う使い方をする。
例えば、標準語では「あの人(あのひと)」という。
それを岐阜では「あのじん」と言ったりする。
<例>
「あの人(じん)はお金持ちやでな」
「あの人(じん)は気が短いでな」

<©2023もりおゆう この絵と物語は著作権によって守られています>
(©2023 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)


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