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第23話 いつか

Rに病気のことを打ち明けてから、彼女はとにかく尽くしてくれた。

体調が優れず、プラン通りのデートをするのが辛い日は文句ひとつ言わず休ませてくれたり
鬱が酷く、外出ができない日にはわざわざ車で自宅まで会いに来てくれた。
鬱やパニック障害に関して色々調べては、体に良さそうなものを持ってきてくれたり
僕の調子がいいときは一緒に喜んでくれた。


ああ、恋人に優しくされるってこういう事なんだ。



だが、甘え下手かつ自信の無さから斜に構えがちな僕は
その優しさに寄り掛かるのが怖くて仕方なかった。


「早く自立しなきゃ。年上なのに情けない。」
「僕のせいでこの子は友達に馬鹿にされてはいないだろうか。」
「一番青春したいであろう時期の貴重な時間を、こんな男に浪費させてしまうなんて申し訳ない。」

優しくされればされるほど、自責の念が頭の中を堂々巡りするようになる。


2022年6月2日、横浜開港祭。
3年ぶりの開催という事もあり、見渡す限り人の波。

人混みに完全に包囲された僕ら。
楽しみにしている彼女の横で、密かに溺れる僕。

不安と恐怖とが、人の波と一緒に押し寄せてくる。

今失敗する訳にはいかない。頼むから消えろ。


その祈りを打ち消すように、激しく打つ鼓動。滲み出る冷や汗。
これ以上は無理だ。

「ちょっと喉乾いたから、あそこの自販機行っていい?」


平然を装い、人の隙間を縫い自販機へ向かう。

水を飲んだ瞬間、膝の力が抜けた。


そこで初めて彼女が気付く。

「具合悪いのになんで言ってくれなかったの?」





「どうせ言ったところでどうにもならないだろ。」




強がりのつもりだった。僕一人でこんなものどうにでもなるんだ。
優しさに慣れていない、いい歳こいた天邪鬼の虚勢。

負担になりたくないという不毛なプライドによって
僅かに残っていた人生のメッキを完全に削ぎ落とされた瞬間だ。




薄れた意識を取り戻した頃には
彼女が目の前で泣いていた。


「酷い事を言って本当にごめん。もう二度と無理はしないし、ちゃんと頼るって約束する。」




その日から、Rと僕が会う頻度は減っていき
1か月後の7月。
僕は別れを告げられた。


「あの日の言葉が抜けなくて、もう何を言われても信用できない。一緒にいて窮屈。」


死ぬほど苦しかった。やっと幸せになれると思ったのに。
また失敗した。

しかし、微かに聞こえてくる心の声。

「やっと解放される。」

あの時と一緒だ。
今回も僕は幸せになるために無理をしていたんだな。
もっと早く気付いてあげられなくてごめん。




こうして、長くて短いメッキ塗り生活は終わった。



月日は経ち、2023年5月。
約半年の「完璧な人生」を前借したツケを、今も精神疾患罹患者として
返済し続けている。
恋人のみならず、僕から離れていった人間も多い。
だが不思議と、病気になる前より今の方が幸せだ。

休職していた職場は辞め両親が経営している会社に雇ってもらい、社会復帰のリハビリをしながら
"本当の意味で"自分のために生きている。


周りの人間を見返すためではなく、生きがいを見つけるために社会復帰をする。

嫌われないように自分を殺すのではなく、素の姿を受け入れてくれている人間に感謝をする。

近しい人間に捨てられないためではなく、自分一人でも前向きな人生を歩めるようにするために病気を治す。




今、僕は何者でもない。

Hといた時のような「完璧な人生」は送れなくても
決して羨まれることのない泥臭い人生を送ることになろうとも
これからも歩み続け、ここに僕がいた軌跡を描き続ける。








いつか何者かになるために。













いとその独り言「轍」    終





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