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【日記】賛否両論、否多め
昨晩、僕は無事「俺の時間」を過ごすことが出来た。
テニスをするモードに入った僕を、かまってちゃんは邪魔することが出来なかったようだ。
テニスが楽しかったのは言わずもがな、練習に来ているメンバーと話すのも楽しかった。
昨日のサークルは主催をはじめ朗らかなトゲのない人が多く、もともと居心地が良いため
他のサークルにいる時より心が「ほぐれる」感覚がある。
他人に基本興味はないのだが、会話すること自体は好きらしい。
また、僕は趣味の一つにレザークラフトをしているのだが
それを知ったメンバーの一人が僕に財布の作成を依頼をしてくれており
昨日はその財布をお渡しする日でもあった。
(ちなみにサムネイルの画像は実際にお渡しした財布である)
お渡しした結果、とても喜んでくれた。
余談だが、ものづくりという趣味は自身が「生きていた証」を残せる手段の一つだと思っている。
しかもそれが人の手に渡った時、僕という存在が
誰か一人の人生に刻まれる。
それにより、僕の存在が認められたような気持ちになれる。
今まで賛否両論、否多めな人生を送ってきたため
僕という存在が認められることはとても嬉しいし
その度に今までの苦しかった経験が少しずつ成仏していくような気がする。
僕はこれからも死に絶えるその時まで「ものづくり」を続けていくだろう。
練習後、主催の方と小一時間ほど雑談をしていた。やっぱり楽しい。
雑談をしていて、詳しい流れはあまり覚えていないが、また僕の病気について話すことになった。
(その方には以前ほんの少しだけその件について話している)
そんな風には全く見えないから意外だと言われた。
その方から見ても僕はどうやら「陽キャ」の部類に見えるらしい。
嬉しいような、小恥ずかしいような心境だった。
ただ、見るからに病的で心配されてしまうような状態ではなくてよかったと思えた。
スーパーポジティブの(僕が苦手ではないタイプ、所謂"光属性"の)陽キャに見える主催の方も、話を聞くと色々な事を経験しているらしい。
やっぱりみんな何かしら抱えて生きているんだな。
不謹慎かもしれないが、自分だけじゃないんだと思うと少し前向きになれた。
この病気になってから、というか完璧主義を自主的に辞めてから
意外と優しい人って多いんだなという事に気づいた。
そして、自身が過ごしやすい環境を作り上げるために話してしまうのも
メンタル疾患罹患者が生き抜くための術なのかなと、今なら思える。
基本自分がいれば生きてはいけるし、去る者は追わないスタンスで
他人と接してはいるが、嫌われるのが全く怖くないと言ったら嘘になる。
また、僕も一応男であるため「ダサい」と思われるのは嫌だ。
だが人に好かれたり、カッコいいと思われるパフォーマンスをすることは、余裕のある健常者がやればいいことで
1日を平和に過ごすのがやっとである僕らのような人間が
こなすべきタスクではないのだ。
自身が日常を送るための土台作りを最優先すべきなのだと思う。
(他人に依存すべきと言っているわけではないし、他人に頼り切ってどうにかなる問題ではない。)
車での帰り道で、こんなことを考えていたら
いつの間にかかまってちゃんは僕の腕から離れていた。
今日もテニスに行けてよかった。
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