疑おう、考えよう。それが正しいと「思わされてきた」かもしれないから。
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疑った数だけ幸せを守ることができると思うし、考えた数だけ幸せになれると私は思う。
「疑う力・考える力」は自分らしい人生を作るための必須道具で
それなしでは幸せになんてなれないといっても過言ではない。
そんな超大切な2つの能力を奪おうとしてくる人たちはいたるところにいる。物心がついたときから、あの手この手で奪ってこようとする人たちがいる。
でも、絶対に奪われてはいけないものだ。
守り抜いてほしい。
私は大人になり、ある大きな疑問や絶望感を抱いた。
学生時代、優秀な子というのは
宿題をちゃんとして、テストでいい点数を取って、言われたことを言われたようにできる「まじめな子」だった。そんな子はえらいね!って褒められた。
宿題をやらず、テストは赤点で、言われたことを言われた通りにやれない、その割には口が達者で頭の回転が早いような非常識な変わり者は「やばい奴」「問題児」としてマークされていた。
でも社会に出て蓋を開けてみると、その「やばい奴」や「問題児」が経営者となり「まじめな子」を使っていたりする。
「優秀じゃなかったはずの人」が「優秀だったはずの人」に指示したりしているのだ。
しかも、「やばい奴」「問題児」の方が、圧倒的に幸せで自由そうだったりする。
え、いったいどういうこと….なにこの残酷な事実….と思わざるを得ない案件だった。
私たちは優秀になれと言われ、優秀さを成績によって測られてきた。
優秀になれば幸せになれる、豊かになれると信じてきた。
でも、優秀を目指したからといって、豊かになれるかと言われれば、そうでもないようだ。
悪いのは大人でもないし、先生でもない。
私たちも、彼らも、むしろそういう風に信じさせられてきた被害者のように思う。
本当におっかないのは
優秀の基準を都合よく作って浸透させた
ひと昔まえの、えらい地位にいる人たちだ。
学校でも会社でも「優秀とされている人物の基準」は変わらない。
言われたことを
言われた通りにちゃんとやってくれる人 だ。
圧倒的優秀まで上り詰めた一部の人たちは、甘い優遇を受ける側に回れるかもしれない。
でも、たとえば会社で働く限り
「言われたことを言われた通りに引退するまでやり続ける人生」という仕組みの中にいる。
当然、知ろうともしないかぎり
そのことは教えられない。
もちろん、サラリーマンの人々を否定したいわけではない。
私がこわいと感じているのは、サラリーマンという「システム自体」だ。
という感じで
「社会的に見て安定してる人」になる代わりに
背負うものや代償が大きすぎるのだ。
ルールが多い上に、我慢すべきことも多い。
出世や給料アップと同時に背負うものも大きい。
資産家の税金に比べて、高年収のサラリーマンにかかる税金が多すぎる。
構造的に、大半の人が幸せ・お金持ちになりにくく作られている。
問答無用感が否めず(会社にもよるかもしれないけど)自分や家族を第一にした生き方がしづらい。
私は新卒で会社に入って、半年間だけサラリーマンとして働いたのだけど今思い返せば
安定だと思っていた未来は
安定だと「思わされてきただけ」だったのではないか….と疑わずにはいられない。
でも、当時はそれがおかしいのではないか?と疑おうとしたこともなく、当たり前だと思い込んでいた。
話を少し変えてみるのだけど
私は翻訳の仕事で利用規約を訳すことがたまにある。
利用規約とは「サービスを開始するために読む必要のあるルール」のことだ。
小さく点のように書かれた文章のかたまりは読む気が失せるし
普段とりあえず「同意」で進める人がほとんどなんじゃないだろうか。
私もいつもそうしていた。
しかし、いざ利用規約をじっくり読んでいると毎度びっくりさせられるのだ。
表面的には甘い誘い文句やお得感満載!な文言がズラリと並んでいるのに、利用規約の内容はとってもシビアなのだ。
すごく短く要約すると「ま、責任は負わないけどね★」という内容だ。
利用規約には、ありとあらゆる状況を想定し尽くされいて
それぞれに対して「ま、責任は負わないけどね★」と書かれているのだと気付いた。
大事な情報なのだから、大きな文字で分かりやすく書いてほしいところだ。
ところが、利用規約にある文章は小さくて細かくて「読む気を失せさせる」。
どうしてだろう?
大事なことをでっかく書いてしまうと、申込者が減るから「読む気を失せさせる」文章で敢えて書いているのではないか?
冒頭で、大人になって絶望感を抱いたと書いた。
なぜなら、この世には
誰かが得をするために張り巡らされた
誰かを損させるための嘘や仕掛け
があまりにも多すぎるからだ。
街で見かける広告もそう、雑誌もそう、お店もそう、ありとあらゆるサービスも、組織も、ぜんぶ、ぜーーんぶ
誰かが得するために作られたものだ。
もちろん、それ自体は悪いことじゃない。
それを作った人も、それを体験した人も両方幸せになれるのならばそれは良いことだ。
でも、作った人だけが得して、それを体験した人が損をするというケースも多い。
だからこそ、これは誰が得するためのものか?って常に考える必要がある。
あなたのためなんです!
あなたにとって、いい話なんです!
と言いつつ
そうじゃないことがあまりにも多すぎる。
このセリフの「あなた」の部分に入っているのは
「私」だったりすることがほとんど。
誰かが得をして、誰かが損をする
こればかりは、いつの時代もなくならないと思っている。
日本が悪いとかじゃなく
どの国でも例外なく行われていること。
だからこそ
疑う力と考える力を駆使しないといけない。
ぜったいに奪われちゃいけないって思う。
まずは疑おう。信じるのは、それからだ。
自分を守るための強力な武器になるはずだから
疑った数だけ、考えた数だけ
あなたも私も「自分らしい選択」「自分らしい人生」を選べるようになるはずだ。
*
ちょっとシビアな内容だけど、最近思わずにはいられないこと(・_・
読んでくれてありがとう!
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