過去と不登校と息子

「不登校」というその壁には、私の子供時代と親になった自分と二度、この「不登校」という壁にぶつかり深く悩んだ経験がある。私がぶかったこの経験が、今苦しんでいる誰かの為になるように願う。

私のつまずき

あれは小学4年生の時。両親の離婚により、母方の実家に引っ越してきた。そこは南の島国で、住民が親戚同士で繋がった結束力の高い島だった。当時は、まだ珍しく少なかった『シングルマザー』としての母と、祖父母宅へ同居することになった。元々通っていたマンモス校のような小学校から、全校生徒数50人ほどの小さな学校に転校し私を取り巻く環境は一変した。

北の地方から南の地方へ。

転校初日、最初に笑われたのは「方言」
東北の方言を話す私は、全校生徒に笑われ、からかわれる的となった。小さい頃は人前で話すどころか人見知りだった私は、方言を笑われたことで余計に馴染めないと感じ萎縮していった。

これが、初めのつまずき。

両親が離婚する前は、とても厳格な祖父母(父方)と同居していて、「躾」に厳しく、子供であっても、部屋でくつろいで寝そべるなんてこともしたことがない。そして、女の子は日舞を習うように言われ、髪はロングヘアでショートヘアも許されなかった。

そんな生活を生まれてきてから過ごしてきた私は、島の子供たちの日焼けした肌や、元気いっぱいでアクティブなショートヘアーの女の子たちがとても新鮮で、天真爛漫さに衝撃を受けた。それは、相手からしても同じだったと思う。色白でロングヘアーに方言を話す子がいきなりくれば相手も衝撃を受ける。
そんなある日、私のロングヘアーを同級生の女の子達が一斉に触ってきたことがあった。私はそれが嫌で、一度拒否をしたことがあった。そのことが同級生から一斉に反感をかうことになった。

これが、次のつまずき。

シングルマザーで私を育てる為、必死だった母。今では珍しくないことが、当時そんな小さな田舎では、話題の的だった。そして「父親がいない」「よそ者」という現実は、それだけでありもしない悪口を言われる元となった。

母方の実家で祖父母と同居していたが、母は仕事で夜まで帰らず祖父母といる時間の方が長かった。祖母は馴染めない私に優しく接してくれたが、祖父は風当たりがとてもきつかった。そのせいもあって、母が仕事から帰って来るまで私はよく部屋に閉じこもっていた。

そしてこれは最大のつまずき。

「拒否する」ついに強行

数々のつまずきを上手く消化できず、耐えられなくなった私は、学校に行くだけで体調不良になり、校門をくぐれなくなっていた。どんなに悩んでいても、先生にも母にも相談できず、とにかく消えたい思いでいっぱいだった。

そんなある日、子供ながらに逃げたくて考え出した計画「登校するふりをして、こっそり自宅へ戻る」をついに決行した。そして、先生にバレないようにと、学校には公衆電話から欠席連絡をする。

もちろん、不審に思った先生は母に連絡をし、ある日ついにバレてしまう。

「常識」「普通」という言葉を常に連発するような真面目な母には、私の行いは許されるべきことではなく、ひどく怒られ、腕を引っ張りながら無理やり学校に行かせようとした。一方で私は、泣きじゃくりながら柱にしがみついて、必死で拒否をした。

これが毎朝続く…
きっとこの時の母は、「娘をどうにか学校に行かせないと…」という思いと、泣きじゃくって抵抗する私に苛立っていたのだろう。私はそれまで溜まりに溜まった「つまずき」が溢れ出てしまい、泣きながらもこの苦しみを分かってほしい気持ちでいっぱいだった。

行くための「条件」

毎日泣きじゃくり抵抗する日は繰り返し、母からは「ダメ人間」呼ばわりされ、母娘共に疲れ果てていた時、私はある条件をだした。

それは
「この島をでて、本土に引っ越すこと」
これが条件。
「そうしてくれるなら、朝が早くても船で学校に通う」と母に申し出た。

なぜこんな申出をしたのかというと、島の小学校を卒業すれば本土の中学校に入学でき、小学校の嫌な同級生と離れる事ができると、子供ながらに考えたのだ。祖父母との同居生活も解消され、家が安心できる場所になるのではないかと考えていた。

何度も何度も母に訴え、ついに引っ越しをしてもらえることになる。こうして、私は母と約束通り、卒業まで小学校に通った。友達に無視されても、つまらなくても、辛くても。授業さえおわれば、この島を出れると思えば、そんな事は耐えられた。こうして、私の登校拒否との戦いは終わった。

再び巡ってきた「壁」

それは息子が中学1年生の夏。ある日、宿題が残っていた息子は、なかなか登校しようとせず、必死で宿題の残りを終わらせようとしていた。前日、宿題の途中で寝てしまい、ひとつやり忘れてしまっていた。

私「遅刻しちゃうから、学校行って、先生に正直に事情話して謝れば?」

息子「ダメなんだ。先生がやれって言われた事やらなきゃダメなんだ!怒ら   れるんだ!だから、終わらさなきゃ、終わらさなきゃ、終わらさなきゃ…」

そうやって言う息子は、何かに憑りつかれているように「先生」に対して恐怖を感じているように見えた。

息子のつまずき

恐怖を感じているように見えた息子は、しばらくすると学校に行かず、子供の頃の私と同じように、「行ったふり」をした。私はショックを受けたが、自分の子供の時を鮮明に思い出した。辛かった記憶の感情を昨日のことのように感じた。

「私のようにならないでほしい」という気持ちから、息子と何度も何度も話をした。息子によると、「ある日、宿題を忘れ先生に怒られた時、みんなの前で胸ぐらを掴まれ、その拍子に壁にドンっと当てられ、それがとても恐怖を感じた」と。

私と同じ、母子家庭で育った息子は、「大人の男性が怒る」というのは初めてで、みんなの前で胸ぐらを掴まれ壁にあてられたことが「恐怖」としてトラウマになってしまっていた___
これが、息子のつまずき。

「死」というショックな言葉

宿題ひとつ、授業中のノートをとることひとつ、全てにおいておっとりしたマイペースな息子は、みんなと同じペースで物書きをすることは大変なことだった。宿題も眠くなる頃までに終わらないこともあったりした。本人は頑張っていたけれど…

夏休み前の不登校から、夏休みに入り、そして休み明けの9月1日の朝。
その日の朝のテレビで、「9月1日は、最も自殺する生徒が多い」というニュースが流れた。息子もたまたま一緒に見ていた。

息子「僕も死にたい…学校も怖くて行けなくて、ダメ過ぎて死にたい…」

そう、ボソッと呟いた。
その瞬間、私はなにしてるんだとハッとした。自分が子供の頃、母に気持ちを分かってもらえず、辛かったのにと。

壁の壁になると決めた

私「学校何て行かなくてもいいよ。行かなくてもいくらでも道はある。休みたいなら休むといいよ」

そんな風な言葉を息子に発していた。私の母からは、学校に行かせない事に怒られ、先生にも何度も連れてきた方がと、説得をされた。それでも、母にも先生にも、何度も言った。

私「学校に行けた方が良いのかもしれない。でも、実際自分の足で行かなきゃいけないのは息子で、私ではない。だから私が行かせたくても、息子自身が自分から行こうと決めない限り、無理やり連れて行っても意味はない」

そんな事を何度も何度も周りの大人勢に伝えた。担任の先生も謝りにも来た。先生はトラウマを作ってしまった事にとても胸を痛めていて何度も訪問し電話をくれた。息子は先生を嫌っていたわけではなく、訪問しにくれば普通に話をしたり、笑っていたりした。それでも、学校に行けば恐怖が蘇ってしまう。

何度も謝る先生に、「自分を責めないでほしい」と伝え、「学校だけが学びの場ではなく、必ずしも行かなければならないと私自身も思っていない。ただ、息子の口から『死にたい』と出た限りは、私は学校に行く事を強要するつもりはないし、息子自身が自分の足で学校に行こうと踏み出さない限り意味はないという事をどうか分かってほしい」何度も何度も伝えた。

「不登校」という壁に立ち止まってしまった息子の、大人勢の不協和音から守る壁になろうと私は腹をくくった。

壁が崩された日

不登校の間、息子の友達が何度も遊びに来たり、先生がきたり、賑やかだった。そんなある日、学校のイベントで合唱コンクールがあり、見に来るだけでもと息子にお誘いがあった。

当日の朝、息子は自分で準備をし、自分の足で観賞しに出かけた。自分の足で最初の一歩を踏み出し、みんなが待つ会場へと一人で行けた。帰って来るまで心配していたが、帰ってきた息子は晴れ晴れとした表情で安心した。

壁が崩れるまで、とても長く時間がかかったし、親子でたくさん泣いた。

でも、その壁は、分からなくても知らず知らずに崩れていた。

壁に対する正解は…

今日までの人生で二度この壁に当たってしまったけれど、その壁に対する対処法の正解は、人の数だけ違うと感じる。三人育ててみても正解なんて分からない。あの時の子供時代の私が、壁を脱出するため出した条件や息子の壁を崩すために一緒に止まり、私が息子の壁の壁になるという方法は私たち親子には正解だったと思う。

現在、不登校という壁に苦しんでいるお子さん自身、学校は好きなのに友達や先生など他のことが引っかかり不登校という選択をしているなど、理由は様々だろう。だからといって不登校しているあなたは、心を叫びを不登校という方法で表し訴えている。劣等感など抱く必要はない。心の叫びを表すことができるなんてすごいことなのだと私は思う。

不登校で悩んでいる親御さんは、毎日毎日、心配と不安、そして苛立ちとで戦っていると思う。私の経験は助けにならないかもしれないが、子供の心の叫びに寄り添って、親として力んでしまう自分の心を緩めてほしい。親でいることを完璧にできる人なんていない。完璧な親でいるなんてことは難しい。だから、どうか親としての自分の気持ちも緩めてほしい。そうしないと、子供の心を受け止める余裕が生まれない。

今までの経験で感じることは、人と比べる必要も、劣等感を抱く必要も、「普通」なんてことを基準に考えなくてもいいということ。どれだけ響くかは分からないけれど、そう伝えたいと思う___

忘れがちなこと、置いてきちゃった記憶を思い出せる記事に励みたい。出会える人にインプットできる記事、誰かにアウトプットしたくなる記事…そんな記事と人の出会いを求めます☆彡