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悩んだ時こそタロットを引け!発信について思うこと

たまにはタロットのことを絡めた文章を書きたくなったので、今回はそんなことを書いてみることに。

つい最近、あることで私はまたちょっとした壁にぶち当たり、ぐるぐると泥沼に落ちていった。どうやら私は泥沼が好きなようだ。ホントに困った性質だ。
そんな私がその沼から這い上がるプロセスを書いてみようと思う。


ニーズとウォンツのズレ


プロフィールにも書いたけど、私は
『Heal the blue』というカウンセリングサロンにてタロットリーダーという肩書きのもと【占わないタロット】というものを担当している。

一般的には「占い」として浸透しているタロットカードであるにもかかわらず、【占わない】ってどーゆーこと?って思われるかもしれないが、タロットって勉強すればするほど「占い」からは遠ざかっていく。
と私は個人的に思っている。

おみくじや「あなたはいついつに結婚します」などといった未来予測のツールやおまじない的ツールではなく、

人間の、そしてこの世の真理を知ることができ、自分の内面を見つめ直すきっかけをくれるツールであるというのが私の超個人的な持論です。
他人の未来予測で未来を決めるのではなく、たまたま出たカードで自分の内面を見つめ、視点や考え方を変えて自分の手で未来を切り開いていく。
そのためのツール。

だから【占わないタロット】

そんな超個人的な持論を持った上で、サロンのことをいろんな人に知ってもらうべく、インスタにTwitterにこの【note】にと日々発信をしているわけではあるが、エンターテイメント性の高い"カード"というものでそんな堅っ苦しいことを発信してもなかなか共感を得られない。

一般的に人がこういったカードに求めるものって、3択未来予想とか、1枚引きでの今日の運勢みたいなもの。要するに「占い」。

こういったものがウケが良くて賑わってる感がある(ような気がする)
だけど逆に私にはそういうのが出来ない。そもそも占い師ではない。
この世間のニーズと己の発信になんかチグハグ感を感じたため、今私は「発信」においてはカードはいったんさておくことにした。

カードはいったん置いておいて、自分の考えや思いを発信することに切り替えたのだ。そしてそういった発信の方が好きなのだ。そんな風に試行錯誤ではあるがしばらくそれで続けてきた。けれどある日やっぱり思った。


カードを扱っている者がカード使った発信しなくていいんだろうか…と。


発信におけるポイントとして
"自分が何をやっている者なのかを発信していくことが大切なことだ"
ということは他の方の発信やブランディングノウハウにおいてはよく見かけるし、私自身もそれは基本であり大切なことだと思っていた。

だけど自分の今の発信というものはそれが出来ていない。
でもだからといって自分が思うタロットの発信をするとウケが悪い。


ニーズとウォンツのズレ。
またもやこの壁にぶち当たってしまったのだ。


そして発信はしたい。だけど今私はカード関係ない発信がしたい。
でもそれはタロット扱う人になっていない。
でも自分がしたい発信をしたい。
でもでもタロットが…

ぐるぐるぐるぐる


好きな"沼”へと足を踏み入れる


沼落ちした時こそタロット

悶々と考えこんでしまい、考えれば考えるほど答えがでなくなってしまった。あーだこーだと考えて泥の沼落ち。
やばいな…このままではまたグルグルの渦にはまり込んでしまう。いや残念ながらもうハマってる。どうしよう…。どうしよう…。どうしたら…。

とひとり頭を抱え込んで悩んでいると、同じサロンのメンバーであるひろがポツリと言った。


カード出したらいいやん。

なんで今まで気づかなかったんだろう。私にはカードという最強ツールがあるではないか。こんな時に使わずしていつ使うねん。沼落ちすると視野がすっかりミジンコ化する。いやミジンコに謝れ。


いやカード引けよ。ばかなの?


ひろ師匠ありがとう。いつも、いや今も絶賛すぐ目の前にあるカード、今から引くわ。

ということで一枚出したカードがこれだった。


17. 星



17.星の世界を通して自分を見つめる


何も身につけない素の状態で、これまでのやり方を水に流す

そんな世界観を表すカード。
「素の自分」というのは物事に対するべき・ねばといった価値観やこだわりを捨てた自分であるということ。

そんなカードを通して自分の世界を眺めてみると何に気づく?ということだ。


私が固く握りしめていたこだわりや価値観というものは

"自分が何をやっている者なのかを発信していくことが大切なことだ"

というもの。要するに

タロット扱う人間が、ただただ自分の考えや思いを発信するといったスタイルではダメだ。ちゃんとタロットの発信しなくては。そうしないと自分が何者であるかが伝わらない。

というものを握りしめていたということだ。

そしてそこへ、そんな私とは真逆のカードが出た。真逆の世界。こういった真逆のカードが出た時こそが自分のこだわりや囚われといったものに気づき、現実世界を変えていくチャンスなのだ。


こだわり、期待、執着。
そういったものを抱えた上で自分が好まない発信をするとして、その発信は素敵な発信になるのだろうか…。何より自分が楽しいと思えるエネルギーが乗っている発信になるのだろうか…。


答えはNOだ。
自分が楽しくないことをしていてそれを他人が受け取って楽しいわけがない。楽しくない発信なんてそもそも伝えたい人には1人も伝わらない。


期待、執着を抱えるということは自分をコントロールするということにつながる。けれどこのカードはそんなものを全部捨てるカードだ。いったんそんなものを全部捨てて真っ裸の自分になった時、いったいどんなことが見えてくるの?


自分が好きなスタイルでの発信でいいんじゃないか?



もう1枚出せと、とある人物からの司令


17.星のカードのおかげで気づいた大切なこと。
こだわりやノウハウや小手先のスキルといったものよりも、もっと大事なことがあった。「好き」という土台を大切にするということだ。

自分の「好き」を土台にした好きなスタイルでの発信。
それでよかったんだ。

そんな風にカードの中の女性のように、ぐるぐるしてたものを全部ジャっと水に流せてスッキリしているところにひろ師匠から

もう1枚出して

との指令が出た。これは正確には師匠の指令ではなく、私の亡くなった母方の祖母からの指令らしい。私にはさっぱりわからんが沼落ちした私がカード出しつつあーだこーだやってるところ、心配して見にきてくれたらしい。

私にはさっぱり見えへん、おばぁごめん。
でもおばぁの指令ということなんでもう1枚出す。

そして出たカード


19.太陽


生まれ変わりのプロセスが完了し、新しい価値観や在り方を身につける



ノーコントロールの世界を通してさらに見えたこと


思い通りにはいかないこと。それは想定外の出来事に阻まれているように感じ、辛かったり苦しかったりを味わうことになる。けれど思い通りにしようとコントロールするその手綱を手放すことで「思ってもいなかった」「面白い」展開の可能性も出てくる。"ノーコントロール"の世界。


コントロールせず、期待せず、変なこだわりを捨て、「これでいいんだ」と受け入れて好きな発信を続けていれば、そこで生まれる"自分スタイル"。
自分にしかないオリジナルの発信。私流の発信。


そうか。そういうことやったんや…。


別に最初からタロットの人やと思われなくてもいいやん?

どんな人かと思ったらタロット読む人やったんやぁ。意外!

これでいいやん?
好きな時に好きなことを好きなように発信していく。世間一般から見ればノウハウもスキルもあったもんじゃない、へんてこりんな私かもしれない。でもこれが私。これが私のスタイル。


誰かにとっての正解は自分にとっての正解ではない。その逆も然り。自分にとっての正解こそが自分だけのオリジナルスタイル。


これが今回のタロットによる内省で導き出した答え。
正解かどうか、そんなのはわからない。だけど好きかどうか、心地いいかどうかははっきりとわかる。それこそが今私が何よりも大切にしていきたいものだった。


めっちゃスッキリした。この上ない爽快感。
ひろ師匠ありがとう。そしてスペシャルゲストとして来てくれたおばぁ、ありがとう!私がんばるね。


…ということで。私、日々こんなんやってるんです。
っていうお話でした。

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