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ステイホーム・ライオン

ゴリラに両手で絞り上げられたみたいに胸をしめつけられている。

妻が娘に勉強を教えるのを横で見ていた。

娘は妻の顔色を伺うように勉強している。

普段は晴れた日の道路標識のように親切な妻。

だけど今はマントラより早口で意味のない言葉を発していた。

妻が言う。

「これがこうだからこうなってつまりこれがここに関係してそれで繋がるでしょう?そしたら、ここはどうなる?」

小さい声を絞り出して俯いた娘の顔が見えなくて、私は心配だった。

「わからない」

伝えたいことは一本道なのに地続きで繋がっていない。娘に伝わっているのは不安と恐怖だけのようにみえる。

知らないことを知りたいと思う気持ちと、問題が解けたときの爽快感を体のなかに蓄えておくと勉強はそれほど苦にならない。

わからない=怒られる の方程式こそ、勉強が苦痛になる解である。

なんでこれがわからないのという教師(大人)はわかっていない。

なぜこの子はこれがわからないのかということを。

そうすると、自分もわかっていないことに直面しているので恐れる。

それは苛立ちとして顔をだし、心の中の不安を隠してしまう。

感情と理論が片足立ちで交互に揺れている子供と同じ状況なのだ。

苦手意識を持ちながら相手とどんな関係性を築いているか察すること。

これはすごく難しい。

妻は教えることは苦手だ、と言う。

普段は人の話をよく聞いて相手の気持ちを汲もうとするのに、それは途端に顔を隠す。

娘に教えている妻はまるで春のクマくらい正気を失っているようにみえる。

娘の胸を締めつけるものがクマであれ、なんであれ、今すぐ助けてあげるべきか、それとも千尋の谷に突き落とすべく、無言を貫くか。

ステイホームの困りごとに思いを巡らせた末に、私は無言を貫いたパパ・ライオンになった。


劇団四季の「ライオン•キング」でもみにいこうと思った。

いつか鑑賞に行こうと思いながら10年くらい経っている。

コロナの騒動が終わったら人を笑顔にするパワーが必要だ。

サポートしていただいたお金で、書斎を手に入れます。それからネコを飼って、コタツを用意するつもりです。蜜柑も食べます。