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習慣の教師なり

暇ができたらあれをやろう、これもやろうとひそかに浮かんでいた思いつきなんて、時間を持て余してみると魅力も何もなくなってしまう。

あのときこうしておけば、あれをやっておけばと言いながら、今やればいいことに考えは至らず、つい眠気に負けて目が覚めたら18時を過ぎる昼寝を謳歌する生活に誰が文句を言えようか。否、言えない言わせない。

ただ過ぎていく時間に焦りを感じながら、じわじわ迫ってくる罪悪感を華麗にかわしていく。

動いてないから減らないお腹に三食ばっちり詰め込んで「お腹空いてなくても、あれば食べちゃうんだよね」と言って、ランニングに出かける。

ランニング・コースにある神社には、ボーイスカウト募集の掲示板が立っていて、その横に日替わりの格言がおまけでついている。

一家は習慣の学校なり
父母は習慣の教師なり −福沢諭吉−

グサリと心臓を貫かれて、息も絶え絶えに三十分のランニングを終えて帰宅した。

youtubeを見ながらバカみたいに笑っている娘をみて、我が家は規則のゆるい学校なり、と思いながら何か校則でも作るかと考えて、メモとペンを寝室に持ち込む。

規則を作るだけなら誰でもできるんだよなと、箇条書きにしたメモをピラっとゴミ箱に捨てて晩ご飯まで眠ることにした。

たしか今日はカレーだと妻が言っていた。

テレビは先週やっていた番組を今週も放送するはずだ。

「一週間なんて、あっという間だね」

妻はテレビを見ながら毎日こう言っている。

ついこないだまで非日常だった平日の在宅は、もう日常に変わりつつある。

これでまた毎日出社する日常がみえてきたとして、それに進んで飛び込んでいくなんて、飛び込みたいだなんて、正気の沙汰じゃないと私は思う。

サポートしていただいたお金で、書斎を手に入れます。それからネコを飼って、コタツを用意するつもりです。蜜柑も食べます。