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「保育園義務教育化」古市憲寿著を読みました。
非常にロジカルで温かい本でした。
子どもを育てている家庭の気持ちを汲んでくれている。特にママの。それでいて、子育てに関する支援についての問題点を根拠立てて述べてくれている本です。
子育てしているひとだけではなく支える側の教育関係者や企業、子育てに関わる制度を作っている方々にも広く読んでほしいと思いました。
「母親も人間です。」この、フレーズが響きました。メンタル面の話だと、母親は子どもを産ん
子どもにミルクをあげる時は、一瞬の全身全霊の判断力が必要です(笑)
子育てしてるパパママは、瞬時に子どもとパパママの状況を見極め、コスト面を鑑みて一瞬でミルクを使い分け調合しているんじゃないかなー🍼✨✨✨✨
赤ちゃんは、お腹が空いた時に泣くのは命がけです。全身全霊で泣きます👶✨✨
パパママは赤ちゃん達の命がけの叫びをうけとめ、せっせとミルクの準備をしてると思うのです🤱🍼‼️
例えるならば、病院や施設の夜勤中、ナースコールが同時に数件鳴ったレベルの集中
私のダブルケアはこんな感じでした。(情報あり)
私のダブルケアの話をしますね。ダブルケアは、100世帯いれば全部違うと思いますが、私が体験の中で学んだことや感じたことをシェアさせていただくことで、何かのヒントになれば幸いです。
私のダブルケア体験
私は、実の両親の介護をしていました。父親は、2017年に健康診断で肺がん(ステージ3)、すい臓がん(ステージ4)が見つかりました。当時、自覚症状は全くなかったです。
父親の主治医は、当時私が勤務
NPO法人を作って何をしたいのか。
何でNPO法人を作ろうと思ったのか?凄く個人レベルで言えば、自分の子ども達の為です。
子ども達が大人になった時、仮にダブルケアに直面した場合に、子育ても介護も仕事も遊びも諦めず楽しんで欲しいのです。(私は、ぽっくり逝く事を目指していますが(笑))
子ども達が、ダブルケアになっても大丈夫!と言える社会のベース作りをしたい訳です。
なので、私は自分の子どもの為に仕事をする事にしました^ ^
後、2
看護学生時代は、崖っぷちから始まりました。
優秀な人達の中に偶然紛れてしまった自分は、入学して間も無くの学期試験で自分の立ち位置の危なさを思い知ります。
私の入学した看護学校は、試験を落とせば追試が一度だけ許されますが、追試を一教科でも落とせば留年になるというルールがありました。
試験はとにかく膨大な量が出ます。授業でサラッと習った数十ページの試験範囲✖️確か10教科に満たない教科数の試験が1週間ほどの期間で行われます。
入学当初は再
特養から在宅に職場を変えた理由。そして、なぜ看護師になろうと思ったのか。
モチベーションの維持に迷子になっていました。介護職として特養で働き始めて3年経過した頃、実習担当や身体拘束に関する仕事を任せて頂けるようになり、仕事にやりがいを感じ始めていました。
現場サイドでは、急変時やターミナルケアでは必死に命と向き合う場面がありますが、その反面、仮におじいちゃんおばあちゃんが元気になり要介護度が下がれば、施設に入る介護報酬が減ってしまうという現実。おじいちゃん、おばあちゃ
ガン専門の精神科医である、精神腫瘍医の存在をご存知でしょうか?
日本では、2人に1人はがんの診断を受けています。
一人でも多くの人が「あ〜!いい人生だったな!」と悔いなく人生を全う出来ることを願っています。
今回は、がん専門の精神科医である精神腫瘍医の存在をお伝えさせて下さい。
以前、私がライターをさせて頂いている介護情報サイト KAIGO LABで取り上げた精神腫瘍医の記事です。
精神腫瘍医は、がん治療に関する専門知識を有しています。
がんによる段階
おばあちゃん達は、「ぽっくりいきたい」というネタで盛り上がっていました。
特別養護老人ホームでの一コマ。
おやつの時間になると部屋で過ごしていたおばあちゃん達は、車イスを自分達で何とかこぎながら食堂に出てくる。
おやつの時間と食事の時間は、おじいちゃんやおばあちゃん達の数少ない楽しみの時間のようだった。
そして、お茶とおやつは出された瞬間にあっという間に無くなってしまう。
食堂でのんびり過ごしていたおばあちゃんの誰かが、もう後先短い命みたいな事を語り出す。でも、
想いを発信し始めたら、愛読していた本の著者と繋がれるという嬉しいミラクルが起きました‼︎
最近は文章を書くことで、過去の自分と再会し、現在の自分の立ち位置を確認し、その先に未来への自分へバトンを渡すような事をして遊んでいます^ ^
そんな想いから、ツイッターでも遊んでみることにしました。
丁度、読み終えたばかりのこちらの本。
その著者、岡崎杏里さんがツイッターで私をフォローして下さっていたことに気づきました‼︎ビックリ‼︎ツイッターマジック💓✨✨✨
コミュニケーションも取らせて
93歳のおじいちゃんに、一生のお願いをされました。
介護職2年目に入り、私は経管栄養の寝たきりの方々が生活しているフロアーから、軽い認知症の症状は有しているが、自分で車椅子で何とか移動ができる方々が暮らしているフロアーに移動になりました。
ある日の出来事ある部屋には、90代の夫婦が暮らしていました。
もともと心臓に病気を抱えていたおばあちゃんは、ある時具合が悪くなり始めていました。
その様子を、夫であるおじいちゃんは横でずっとみていました。
なぜ介護の仕事を選んだのか。
私は、東京都清瀬市という自然豊かな場所で育った。
清瀬市は、戦前のころから感染性のある疾患の患者さんを隔離する施設があり、結核の療養所や全生園というハンセン病の方々が暮らすコミュニティーがある。
子どものころから、身近に病院や施設があって、夏休みには各施設で行われる夏祭りに遊びに行くのが楽しみだった。
高校生の頃に将来の進路を考えた時、大学に行きたい気持ちはあったが、具体的に勉強したい分野が
真意を貫くひとこと。
3人集まれば、もんじゅの知恵。
介護業界の先輩をおとなと称して、相談者をこどもと称し、おとなはこどもの悩みを傾聴し解決に導くというNPO法人もんじゅのイベントに参加させて頂きました。
先輩(おとな)2名、相談者(こども)1名の三人1組で、おとなはこどもの話に耳を傾け続けます。
私は、おとな役で相談者さんの仕事での今後の展望に対する葛藤について話を伺っていました。
私と一緒におとな役を担って