意識は「グローバル経済」から「鎖国」へ

ここ数日は日本の歴史や江戸時代の文化などを振り返って、共同創造のあり方を考えています。江戸時代と言えば「鎖国」のイメージですよね。日本史わからないのでアバウトですが、だいたい200年くらい続いていたのではないでしょうか。その間は大きな戦争もなく、平和的な時代が続いていましたよね。現代人の私たちにとっては有難いことに平和なのが当たり前ですが、映画『この世界の片隅に』を観た時にも思ったように、ほんのちょっと前までは「戦争」が行われていた世の中で、空襲警報に怯える日々を過ごす日常がありました。今の平和で物質的にも満たされた世の中は、歴史的に見ても稀有な時代なのだと実感しています。

1~2月は「フェアトレード」に興味を持ち、ドキュメンタリーを観たり本を読んだりして過ごしていました。カカオやコーヒーの奴隷労働、人身売買、命の危険がありすぎる仕事、ありえないほどの低賃金。どれも植民地支配の名残です。カカオの農場で働く少年たちは、カカオがチョコレートになることを知らないし、食べたこともないと言います。「グローバル経済」となんだか名前はカッコイイですが、やはりそのしわ寄せ、見たくない闇の部分というのは存在しているんですよね。私たちが安価で様々なものを手に取れるのは、こうした低賃金で働く人々の労働あってのことであり、そんなこともあって私は大手の大量生産品を使いたくないと思ったりもします。日本では「雇用がなくなる」と騒いでいますが、それも安易なグローバル経済を推進した結果とも言えるのではないでしょうか。最初から日本で必要な分は日本で作っていればよかったのではないかと、そんな気もします。

私自身、グローバル経済よりも鎖国的、自給自足的な暮らしに向かっていく方向性がどんどん固まってきており、産業レベルではなるべく日本国内ですべてを生産、流通させていくのが望ましいのではないかと思っています。旅行に行って諸外国の文化を知ったり、様々な国の人々と交流するのはとても楽しいので、それはそれ、です。特に食べ物については自給率を上げていくこと、日本のものを食べることが大事なのではないかなと思っています。「身土不二」という言葉もあるように、その土地に必要なものはその土地に必ずあるので、日本人は日本にあるものを食べるのが一番身体に合うのではないかと思います。最近野草の講座にお邪魔して(Green Cosmoのレポ記事)、日本(人)に必要なものはその辺にすぐ生えてくるものなんだなぁと思ったこともあり、西洋のハーブやスーパーフードもいいけど、やっぱり日本古来のものを見直すのって大事だなと感じたんですよね。

歴史を紐解いてみると、やはり江戸から明治にかけての「文明開化」が近代では一番大きな転換期であり、その時から(必然で)おかしな方向へ向かってしまったのだなと思いますね。医療の面でも漢方や鍼灸などの古くからの治療法は保険適用外にされてしまったり、給食がパンと牛乳になってしまったり、英語を公用語にしようという会社が出てきたり、それはそれは西洋的な考えに見事に染まってしまいました。もちろん敗戦の影響が大きいですけどね。近視眼的に見ると西洋の文化に従って生きるのが「当たり前」のように感じてしまう部分も多々あるのではないでしょうか。特に医療と食べ物を支配されてしまったのは大きいです。何しろ命に直結する要素ですからね。

江戸時代と違って、今はもう他国からの輸入やグローバル経済に頼っているという「現実」があり、当時のように戻すのは難しいことのように思います。それでも、人々の意識次第で世の中は変わっていくので、グローバル経済に疑問を感じ、日本古来の伝統を見直したり、自給自足的な意識に向かう人が増えることで、少しずつ「現実」も変化していきます。すべての方に同意してもらえるような考えではないことは重々承知ですが、それでもこんな考え方、ものの見方もあるのだなと少しでも思っていただき、現代社会を見つめ直すきっかけの一つにでもなれば嬉しく思います。

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