mune_channel

1968年生まれ、50になって外国人の友達をつくることを趣味にしています。

mune_channel

1968年生まれ、50になって外国人の友達をつくることを趣味にしています。

最近の記事

やまちゃんトラップ

 2023年12月ごろから飼料のネズミ被害が増えていた。対策としてチュートル1番のトラップを仕掛けることになった。担当はやまちゃん。初日に5匹、二日目に3匹とやまちゃんトラップが大成功。絶妙なトラップの配置で結果を残したやまちゃん。普段、褒められることに慣れていない彼だが、今回の件では「ネズミの気持ちがわかる男」とみんなから一目を置かれている。  調子に乗った彼は、チュートル1番(ペッタン)の数を増やし始めた。 すると期待どおり自分の仕掛けたトラップに自分が踏んずける頻度が増

    • 事業計画!

       今年も事業計画策定の季節となった。とは言っても数字については新規事業がないので前年を踏襲した形で計画するのであまり難しくない。  1回目の策定で終わることもないので企画管理部門から2回目、3回目の提出を求められることになるだろう。  管理の人達に是非とも認めてもらいたい事業の1つに外国人を対象にした料理教室&異文化交流会がある。仙台牛しばりになっているため、普段食べれない高級食材を使ったこの料理教室は外国の方に非常に人気となっています。毎回、いろんな国のから来ていただける

      • JAの仕事始め

        2024年がスタートしたがモチベーションが上がらない。 最近、対価の発生しない無意味と感じる事務仕事が異常に増えた。  正直、意味の解らない謎マニアック様式に数字を入れたところで後で見返してもなんのこっちゃ分からないものを作成してどうなるのだろう?  いわゆる”言いつけ通りちゃんとやってます的な仕事”を多くの職員が一斉に作業するこの仕事は謎だ。  しかも、私を含めて誰に聞いても何のためにこの書類が必要なのかまったく分からない。  この手の事務作業は、作業に取り掛かるまで3日位

        • 9連休ゲット!

          12月に入り、上司より「職場離脱通知書」を受け取った。 これは、私の会社が不正を防止等の観点から年一で行っている制度で、「ある一定期間、職場に出勤してはいけない」というもの。私の場合12月6~10日までの5日間、土日を挟んで9連続で出勤してはいけない。仕事熱心な職員であれば師走の忙しい時に「なんてことだ!」と頭を抱えるところだが、私はニヤける顔を抑えることが出来ない。仕事熱心な職員Mはというと「センター長が来週からいないぞ!」と同僚たちにハッパをかけている。その職員Mの前では

        やまちゃんトラップ

          私の大腸がん体験記14-2023年現在

           今は2023年、私はまだ生きている。2017年に大腸がん手術、S状結腸がん、盲腸がんと2つの癌手術を体験した。いろいろあって抗がん剤は結局しなかった。幸運なことに16年たった現在も転移がない。  途中、信頼していた主治医の先生は隣の県に転勤になり、悲しんだが、先生の言いつけどおり、ストレスをためないようになんとか心の平穏を保つことに努めた。2017年当時、私は38歳という若さで癌になった。 なんで自分が?とさんざん嘆いた。ちょうどそのころ、昇進し管理職になった。  でも病気

          私の大腸がん体験記14-2023年現在

          職場の愛されキャラ「やまちゃん」

           やまちゃん!39歳独身、私の部下である。目つきがちょっと悪く。人とコミュニケーションをとるのが苦手。だが話し好き。おそらく学校時代の成績は下の方だろう。ゲームやマンガをこよなく愛し、仮面ライダーが大好きだ。車は軽自動車に乗っている。思い荷物を運ぶとき、なぜかすーっとどこかに消える。反対に私が自動販売機でジュースを買うときに現れる。  誰かに思いっきり詰められても全く気にしない。話をしているときに平気で割込む。しかも全く違う話題で人の話を折る癖があり、いろんな人に注意されてる

          職場の愛されキャラ「やまちゃん」

          私の大腸がん体験記13-検査と判決

           盲腸の癌を摘出して3か月、ついに最初の検査の日がきた。退院してからというもの職場の理解もあり、残業はしなくなった。心の平準を保つために意識したのは次のとおり。 ①職場では嫌な人に近づかない。 ②土日は長女のテニスの試合と長男の野球の追っかけ。 ③夫婦喧嘩をしない。 どうも最近、涙もろくなった。病気前はそんなことはなかったが、息子が少年野球の試合でチームを救う逆転のツーベースヒットを打った時、思わず感動して涙があふれた。自分のこの複雑な感情はうまく説明できないが、心がまだ弱っ

          私の大腸がん体験記13-検査と判決

          私の大腸がん体験記12-退院Andしぼう

           手術6日目、点滴が外され、かなり身軽になった。明日は退院の日、今日は特に何もすることなく過ごす。せっかくなので病院内を散策してみよう!一人、エレベーターに乗り、ロビー近くのコンビニへ、一階のエントランスでは相変わらず多くの患者さんで混雑している。中には私と同じ状況でシリアスな状況に追い込まれている方もいるハズだ。自分だけではない(仲間がいる)と思うと気持ちが少し楽になる。  正直、コンビニへ来ても、欲しいものはない。大腸がんが発覚してから一番欲しいものは”健康”であり、家

          私の大腸がん体験記12-退院Andしぼう

          私の大腸がん体験記11-人生の分岐点

          体にまとわりついていた、管は残り、点滴のみとなった。とても動きやすい。突然襲ってくる咳は腹に響いて痛いのだが、それを除けば、当初目標にしてきた3つの壁も越えた。いよいよ入院生活を満喫してやろうかと思ってはいたが、どうも楽しめない。悪いところは全部取った。テレビでは世界陸上、西遊記の再放送、甲子園では公立高校の佐賀北高校が快進撃を続けている。 ドラマのストーリーは頭に入ってこないし、高校野球や世界陸上も集中して見ることが出来ない。退院が近づくにつれ不安になる。転移のことが頭に

          私の大腸がん体験記11-人生の分岐点

          マウント野郎!お客様は神様ではない!

           皆さんは嫌なお客さんはいますか?定期的に理不尽なクレームを突きつけられたり、無理難題を求められると言った経験はありますか?  私は毎日です。今は農業資材店舗で管理職として働いていますが、仕事のかなりの時間とエネルギーをクレーム対応に費やしてます。

          有料
          300

          マウント野郎!お客様は神様ではない!

          私の大腸がん体験記10

          術後4日目、前日尿管を抜いたおかげで尿道がまだ痛い。珍しく朝一に主治医の先生がやってきた。 主治医:「術後の経過は非常に良い、炎症反応も落ち着いたので、ドレーン取りましょう」 私:「痛いですか?」 主治医:「安心してください。痛くありませんよ(笑)」 にこやかに話す。なぜかこの主治医の先生の話し方は安心できる。 主治医:「ドレーンを外すととても楽になりますからね。研修医と一緒に来ますね」 私:「わかりました」 ドレーンはお腹に2本刺さっている状態だが不思議と痛くない。そこか

          私の大腸がん体験記10

          私の大腸がん体験記9尿管を抜く

          手術から3日後、ついに尿管を抜く日となった。今日のいつ(何時に)やられるか分からない。怖い。検温や血圧をチェックしに来る看護師さんにも身構えてしまう。妻は横で「ふふふ」と恐怖に震える私を見て笑っている。 主治医がまた、突然、やってくる。痛みや体調などいつものようなやり取りの後、「硬膜外麻酔外しましょうね」というと、ベットに横向きにさせられはずされた。これでもう、痛みのコントロールは出来ない。 そして、ついにその時が来た。今回の自分が設定した三つ目の壁だ。体格の良いベテラン

          私の大腸がん体験記9尿管を抜く

          私の大腸がん闘病記8転移

          術後3日目、傷口の痛みも落ち着いて自分で動ける範囲も広がってきた。とは言ってもテレビをつける。ベットの淵に移動するなど。歩く練習などは自分でできるようになった。相変わらず尿管のせいで体を真っ直ぐにして歩くことはできないが、回復している感は出てきた。 主治医は突然に現れる。一人病室で堺正章主演の西遊記の再放送を見ていると、突然、主治医がやってきた。妻は一旦家へ帰宅中。 主治医が説明を始める。 主治医「盲腸癌は5センチありました。病理検査のため周りのリンパ節も広範囲で取りました

          私の大腸がん闘病記8転移

          私の大腸がん闘病記⑦クララが立った!

           2019年の生命保険会社でまとめた日本人が一生のうちにがんと診断される確率は、男性65.5%(2人に1人)、女性51.2%(2人に1人)だそうだ。私のこの体験は今から16年前のこと。現在の医療技術はかなり進歩していると思う。この記事はそこらへんを加味して読んでほしい。入院中色んなことがあった。とにかく一番の苦痛は尿管だ。ありえないところに管が刺さっていてベットの横にぶら下げてある尿袋なるものに垂れ流している状態だ。傷口の痛みは背中に刺してある硬膜外麻酔が鎮痛してくれる。痛く

          私の大腸がん闘病記⑦クララが立った!

          私の大腸がん闘病記⑥術後目が覚める

          「後藤さん!後藤さん!」という呼びかけで目が覚めた。「呼吸して呼吸」と言われた後、そうだ手術だったんだ。と意識朦朧の中、気づく。私を乗せたベットがゴロゴロと移動している。どうやら病室に向かってるらしい。ひょっこりと私の顔の前に弟の顔が..「大丈夫、手術は予定どおり終わったぞ。」ん、なんのこと??と一瞬思ったが、周辺に明らかな転移はなかったんだと勝手に思い込み、妙に嬉しかった。よかったと伝えたかったが声は出なかった。 凄い寒気が襲う。足にはフットマッサージのような機械が付いて絶

          私の大腸がん闘病記⑥術後目が覚める

          私の大腸がん闘病記⑤手術当日

          ひたすら部屋で待つ、病室には妻と私の双子の弟、わざわざ、休みを取って駆け付けてくれた。今日死ぬことはないのだけれど。3つの試練の壁の1つ手術が予定通り終わるかどうかの確認を弟に頼むことにした。 私:「麻酔から覚めた時、当初の予定通り手術が終わったかどうか教えてくれ」 弟:「わかった」 もし、転移していたら開腹手術になるハズだと勝手に思い込んでいた。当時の私の一番良い結果は悪いところはさっさと取って子供たちの卒業、就職、結婚等々を見届け、普通の生活に戻ることだ。 病気になる前は

          私の大腸がん闘病記⑤手術当日