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レールを外れに行く世間知らずの温室育ち

たぶん高一くらいの時です。レールを外れてやろうと思ったのは。たぶん日常の諸々に疲れ切っていたのもあるけど、自分オリジナルのものだと思っていた自分の長所が親の努力や親の遺伝でしかないと自ずと気づいた時、一気に人生が面白くなくなりましたね。それが「自分の人生を壊してやろう」と思った原因の一つです。

飽き飽きしていたのでしょう。この毎日繰り返されるテスト→授業→テスト→授業→登校→テスト→授業→登校、みたいなループに。でも誰でもそうです。そりゃあ同じ学校に6年もいたら、そうなります。たいていの人間は今目の前にある日常の価値になんて気づけない訳です。比較対象?があればすこしは恵まれてるし幸せな何も起こらない日常の価値を噛み締められたのかもしれませんが、当時の私は賢くなく、当たり前のように提供される日常に甘んじるどころか不満さえ感じていたようです。今思うとすごく傲慢ですね。

でも、一応私にも私なりの言い訳がありました。毎日何のためにやっているのか分からないのにやってくる勉強たち。もう来ないでよという気持ちでいっぱいでした。(お涙ちょうだいパート)余談ですが、私は理由がわからない嫌なことをやるのがものすごく、苦手です。必ず理由がほしいです。こじつけでもいいのですが納得できるものが。という訳で疲れていました。ただでさえやりたくも無い部活に追われて勉強に時間を割けなかった中学時代のせいで基礎がおろそかな状態で基礎をつみあげるのは困難だし、積み上げ直そうにも勉強しない習慣がついていたので勉強時間確保以前の問題でした。やる気はあるはずなのに上手くいかず楽しいことも無い。体力がないから短い通学時間にも疲弊してしまうし、毎日何のためにやっているのかわからないことをやらされる、非合理的なことが多い、それに人間関係構築がかなり下手で疲弊していました。その頃の記憶はあまりないです。

そんな中、うっすらと気づいたんだと思います。「私が頭良いと思ってたのってほぼ嘘みたいなものなんだな」って。「私がちょっとセンスいいのはお母さん譲りで、頭良いのは両親譲りで、勉強ができたのはお母さんが管理してくれてたからってだけ。」

お母さん、お父さん、お母さん。私オリジナリティのものはなにもない。そのくらいに思いました。自分ひとりでは何も成果を出せなかったからです。でもそのことに気づけたのは良かったと思います。というか高一は遅いくらいです。でも、それは今だから言えるのであって私はひどく失望しました。誰にでもなく、自分に。誰だ、期待をさせたのは!自分だ。もっと、できるやつだと思ってたのに!自分で自分を詰る声が聞こえました。ひどい、裏切られた。本当は自分自身と言うよりは親に言われたことのやまびこだったのかもしれません。最近なにかの本で親に言われたことを呪いのように体に縛り付けられてる人の話を読んだからです。でもどちらにしろ、私は自分のことを許せませんでした。こんなに頑張ってあげたのに、どうして……。これは母親の声だったかもしれません。どちらにせよ先ほど同様私は頑張れなかった自分を憎みました。今までやってきたことは全部茶番でくだらないことだったなんて!

人は今まで宗教のように信じ続け、時間や労力を費やしてきたものが無駄に感じられると壊れてしまうそうです。とくに、与えられたものを失うのを嫌がる生き物なので人をコントロールしたい時は事前に餌を提案し、〇〇が出来なかったら取り上げるよと言うと作業効率が上がるようです。私はそれと似た状態でした。唯一できると思っていた勉強を取り上げられ、壊れてしまったのです。私はすべてを壊してやろう、そんな気持ちで今までやってきたのと反対のことばかりをしました。今までの自分を否定しました。そうじゃないと今の真反対の自分を肯定できないから。

もちろん得たものは何もありませんでした。壮大な破壊のあった焼け野原に残るのは、萌えた残骸や石ころだけ。そこに未来ある緑の草は生えていません。大きな怒りの後にきたのは、冷たい石のような冷ややかな虚無だけでした。

私はおそらく、まだその荒野をさ迷っています。さすがに昔のようにぺたりと座り込んだままだったり、立ち尽くしたままではないけど、きっと緑の芽吹きが見られるのはまだ先です。私はまだあのあの時間に、この冷たく荒れた荒野にとじこめられています。だれか、救い出して、もしくはまた春が荒野に訪れますように。

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