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【後半】ローマ精神医療の旅

 いよいよ、サンタ・マリア・デッラ・ピエタを訪問した時の記録を書いてみる。イタリア精神医療の歴史を少しだけ振り返った【前半】はこちら。


サンタ・マリア・デッラ・ピエタ(Santa Maria della Pietà)を訪ねる

 国際列車の行き交うRoma Termini駅からサンタ・マリア・デッラ・ピエタまでは、直線距離で約8km。東京駅から新宿駅までの直線距離よりも、更に2kmほど離れている。電車もバスもいつ来るか読めないため、片道約1時間程度と予想して出発した。
 滞在先のホテルからバスでValle Aurelia駅まで行き、ローマ近郊鉄道FL3線でRoma Monte Mario駅下車。全て1週間乗車券(CIS、Carta Integrata Settimanale)を使用した。

使用した鉄道駅は赤、他の主要駅は青で囲った
Valle Aurelia駅の2番ホーム。ここからCesano di Roma行きの電車に乗る。電光掲示板には、反対方向(Roma Ostiense、Roma Tiburtina行き)の電車も一緒に表示されるので注意
平日昼間の運行は1時間3〜4本程度

 Roma Monte Mario駅から4〜5分歩くと、門の先に大きく開けた空間が見えてくる。噴水、ベンチ、大きく育った木々。そして、何人かの歩行者がありながらも、ひっそりと静まり返った空間。

少し見にくいが、「Manicomio Provincia」(州立精神科病院)と大きく書かれてある

 サンタ・マリア・デッラ・ピエタに入って最初に目にするこの建物が、パビリオン26だ。向かって右に曲がり、敷地内を反時計回りに一周することにした。

複数の建物が工事中だった。取り壊しているのかリノベーションしているのか不明だが、廃墟のような佇まい
お目当ての心の研究所博物館(Museo Laboratorio della Mente)はパビリオン6にあるが、改修工事と展示ルートの拡張のため、一般公開されていない。ウェブサイトを事前にチェックしていて分かってはいたものの、残念

 患者はその振る舞いごとに「静かな者(tranquilli)」「興奮した者(agitati)」「騒々しい者(chiassoni)」「不潔な者(sudici)」「危険な者(pericolosi)」と区分され、それぞれ別の病棟で生活していた。また、「犯罪を犯したが、精神疾患と認められたため、責任能力なしとして無罪になった者(prosciolti)」が収容される司法精神病棟もあった。
 ちなみに、イタリアで最初の犯罪者精神科病院(manicomio criminale)はナポリ郊外のアヴェルサに1876年に開設されている。後に司法精神科病院(ospedale psichiatrico giudiziario)という名称に変わる。19世紀末、「犯罪は遺伝的であり、一度犯罪を犯した者は必ずまた繰り返す」と学術的にも信じられていたため、司法精神科病院という特殊な施設を設立するに至った。といっても、「無政府主義者」「山賊」「共産主義者」「娼婦」「詐欺師」「南部出身者」等が、国家に対する危険を表している「犯罪者」として全て一括りにされていた。この司法精神科病院は、設立当初「犯罪を犯した後、監獄にいる時に、精神病の徴候を示した者」を対象としていたが、後々「犯罪を犯したが、精神疾患と認められたため、責任能力なしとして無罪になった者」にも拡張された。
 当時のサンタ・マリア・デッラ・ピエタの司法精神病等と司法精神科病院との立ち位置の違いは不明だが、公的なウェブサイトや敷地内の案内を読む限りは、暴力的な犯罪者や、責任能力なしとして無罪になった者がサンタ・マリア・デッラ・ピエタに収容されていたことは間違いない。

工事中の建物と、アート
消火栓
またしても、消火栓
廃墟と化した建物(入院棟と思われる)
ところどころ窓も割れている。昼でも若干おどろおどろしい雰囲気
もう1つの広場にて。ほぼ同じ色の建物に囲まれた空間
別角度から撮った広場
崩れかけた建物に近づいてみると…
社会協同組合(cooperativa sociale)の看板を発見
廃墟アートのような美しさ
突如として現れる教会
朽ちた病棟の数々
地域保健機構(USL、Unità Sanitarie Locali)の表示を発見。1992年に地域保健公社(ASL、Azienda Sanitaria Locale)に変わっているはずだが、時が止まっている

お目当ての心の研究所博物館(Museo Laboratorio della Mente)には行けず

 サンタ・マリア・デッラ・ピエタに行ったら絶対訪れたいと思っていた、心の研究所博物館(Museo Laboratorio della Mente)は、改修工事と展示ルートの拡張のため、現在一般公開はされていないのが残念だった。
 しかし、ウェブサイト上には「パビリオン26の博物館展示『Remembering the Future』は予約制でアクセスできます」と記載されている。

 来訪する1週間ほど前にメールで問い合わせてみたが、返事は今も来ていない。これはご愛嬌。
 2000年に開館し、「ナラティブ博物館」(narrative museum)と自称しているこの博物館は、医療機器や当時患者が使用していた衣類・食器等の展示は勿論、没入型のマルチメディア・インスタレーションが随所にあり、ちょっとした幻覚体験ができる。見どころ満載のバーチャル・ツアーに繰り出してみよう。(2階を訪れるのも忘れずに)
 また、ネット上で見つけた体験記もご参考あれ。

イタリアの精神病院「遺跡」
Museo Laboratorio della Menteおよび Museum Guggingへの訪問体験とアウト サイダー・アート省察——文化人類学の地平からの視点

 (…)一般来館者たちが装置の趣向の面白さとアート性にまず強い印象をいだくが、それから、擬似的なかたちにせよ、また、よしんば、とば口だけの範囲にせよ、幻聴に悩む患者の体験を普通の来館者たちが思いやる手立てとなるような〈感覚経験機会〉を提供しようとしているわけである。(…)
 記録帳があるのでめくると元患者の映像が現れ、当時の入院生活をめぐる自己語りが始まったり、昔の病院風景の写真や動画を見ることができた。回想の動画は元患者の同意のもとで制作され、バザーリア法導入以降の過去の治療法への反省に基づいて彼らに応えてもらったインタヴューから構成されている。それらも含め、病院の過去の文書や映像記録を反省的に再構成した資料が、メディア芸術の技術を駆使して、思った以上に大量にアーカイヴとして収蔵されている。(…)
 かつて病院で使っていた治療器具や病室などの過去の実物も展示されていたが、それとともに、ジャンフランコ・バイエリ Gianfranco Baieri(1946 –1999)など、かつての入院患者の描いた絵やデザイン、すなわちアウトサイダー・アート作品が思いがけず、少なからず展示されていた。(…)
 実験美術館の最後のスペースの壁には、電気痙攣(電気ショック)療法の機械装置や病院ベッドなどが、垂直に取りつけられている(1938 年にローマ大学の精神科医ウーゴ・チェルレッティ Ugo Cerlettiとルーチョ・ビーニ Lucio Bini が世界ではじめて電気痙攣療法を創始して以来、ローマ市街のこの病院でその療法用の医療機械がずっと使われていた)。これまで 1世紀あまりの長きにわたってやってきて、結局、収容施設型の治療は間違いであると判った。この壁の展示は、「過去の治療の過ちは霧散してしまえ、当時の7つ道具の医療器械や病室風景ともども風で飛ばされて無くなってしまえ !」、という気持ちのイメージで展示しているのだという説明であった。(…)

「Museo Laboratorio della Menteおよび Museum Guggingへの訪問体験とアウトサイダー・アート省察——文化人類学の地平からの視点」より

これで私/あなたも、イタリア精神医療通?

 猛暑の中ではあったが、1時間ほどかけてサンタ・マリア・デッラ・ピエタをゆっくりと回り、イタリア精神医療通になった気分を少しだけ味わえた。関係者に呼び止められたり退去するよう言われたことは一切なく、パビリオン26の中に入って自販機で買い物をすることもできた。

 シンガポールへ戻った後、名著「プシコ ナウティカ—イタリア精神医療の人類学」を再読し、振り返りつつこの記事を書いている現在。脱施設化、反精神医学の流れでR・D・レインも読みたいが、ずっとAmazonのウィッシュリストに入ったままだ。
 イタリアでも、精神疾患を持つ人や社会秩序を乱す可能性があると見られた人を「国家のため」「社会のため」に隔離・収容した時代があった。日本ではなぜ未だに脱施設化が進まないのだろう。【前半】で少し触れた構造的な問題は勿論だが、公共(パブリック)とは違う、「世間」という主語がいまいち分からないものが与えるプレッシャーの強さも関係してはいないだろうか。
「病状が不安定なのに、退院して1人暮らしなんてありえない許されない
そもそも、誰に許される必要もないはず。

 我が国何十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし

呉秀三の言葉より(1918年)

 日本精神保健福祉士協会は、「この国で生きる幸せをすべての人が実感できる社会をみなさまと共に創り上げていきたい」という高い目標を掲げている。地域移行が進まないのは社会のせい、とやさぐれている場合ではない。

 たとえ、
「ワーカーが介入すると、ケースがややこしくなる(入院期間が延びる)」
「余計なお節介はするな」

等と他職種から疎ましがられることがあろうとも、全てのソーシャルワーカーはクライエントファーストで、かつソーシャルアクション志向だ。

 根を下ろしたいと思える社会
 自分が危機(crisis)を迎えた時に、あたたかく迎えてくれる社会

 その実現のために日本でできることは今ないにしても、まずはシンガポールで自分の居場所作り/探しを進めてみたい。

参考:

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