見出し画像

「嫌われている」「人と なじめない」と思ってしまうあなたへ ー後編ー

前編はこちら↓

さて、自己肯定感が低い発達障害人が、人に嫌われていると感じやすかったり、人となじめないと感じがちなことを前編で触れた。

この、ネガティブバイアス

という現象だが、もともとは心理学で、ポジティブな出来事よりもネガティブな出来事の方が強い印象として記憶に残りやすいという現象である。

人間はもともと、命の危機から生存するために、
マイナス思考で不安を感じやすいように創られている生き物なわけだが、
このネガティブバイアスは、

そんな余計な機能というか…
余計な特徴というか。

とにかく、死なないためにはマイナスの要因や不安を感じるものを記憶に残すことで、そこから逃れようとする行動を取ることで生き残るという本能から分化したようなオプション能力というわけだ。

個人的には、もっと馬鹿になってもいいから、
不安を感じないようにあっけらかんと生きてみたい。

それでたとえ、死のリスクが上がるとしても、
日々の憂鬱さと苦しみから解き放たれるのであれば、
かまわないとさえ思ってしまう。

勝手に自分の気ままな持論を述べてもよいならば、
不安を強く感じて、生き残る確率を上げなくてもいいから
不安を感じずに、危険なことであろうと、しでかしてしまうくらいな方が楽しく生きられる気がする。

…と、少し脱線したが、

生存率を上げようとするがための、この余計な機能のせいで、いまではすっかり安全で平和ボケさえしている日本という国で生活している自分たち

=(イコール)

『このように不安を強く感じる特性なんてもう不要なのでは?と思ってしまうような世を生きている現代人』も、
このネガティブバイアスのせいで生きづらく、苦労してしまうという。

そういうことだ。

さらに、発達障害人たちは、
前頭葉の機能不全もあってセロトニンなどの幸せホルモンの分泌も低いと来るので、輪をかけて不安を感じやすいのだから、本当に辛い。

前編で触れた、間違った推理と結論を結び付けてしまう現象だが、

いよいよ、この辛い思考パターンから自分を救う方法について話したい。

それは、実に単純で簡単なのだが、
頭のいい発達障害人、思考が止まらないみなさまに、是非とも
「さらに一歩踏み込む」ということをしてみてほしい。

「嫌われているから」という偽の結論を導き出した結果、何が起きてくるかというと、脳は根拠となる証拠をどんどんと集め始め、その仮説を強化し始める。

つまり、

「相手の口調がきつい」
「目を合わせてくれない」
「返事を返してくれない」
「イヤミったらしい言い方を故意にしていると感じる」
「他の人とはたくさん話をするのに、自分には話しかけようとしない」
とか、
そういう事実を証拠として集めたのち、

「以上の証拠から、自分は嫌われているという結論は間違いない」
と。確定の割合を強めていく。

心が病む前に、一度この方向性に走り出すと、
なにが起きるのかをよく知っておかなければならない。

なぜなら、こういう方向に走り出すことは、
自分を傷つける。

どんどんと、
自分の心を、自分の日常を。

苦しめて、苦しめて…
苦しまなくていいはずだった時間を、辛い気持ちで過ごすことになるから。

そんな時間、少しでも ない方がいい。

毎日を、生活するだけでも ものすごい疲労感を感じている発達障害人は、
ただ生きているだけでも、ほんとうに偉い。

過敏症やフラッシュバックに襲われながら、
生活を全うしているんだから、すごくよくやっていると思う。

ということで、
1ミリでも平穏に生きられるように、以下の対処法を伝授する。

その①
「嫌われている気がする」「浮いている気がする」と思い始めたら、
自分がネガティブな情報を集めまくろうとしている体制に入っているという事を自覚し、いったん立ち止まろう。
自分は人から嫌われるに値する存在だなんて思わないで。その感覚は、脳が誤作動していることによる、気のせいかもしれない。

その②
ぜったいに自分を責めないこと。自分のことを嫌いだから相手の態度が悪い、とは考えず、「この人間の性格が悪い or 短気で感情的な性格の人間なのだ」と、すべては相手の性格のセッティングの問題だと思おう。
じぶんのせいでなく、相手の性格の問題だという事。

その③
「自分を気分悪くするようなやつとはうまくやろうとしなくていい」
エネルギーをその方と仲良くやるために1kcalでも使わないことを決意しよう。これは本当に大切。
人間関係の悩みの本でも、名言でも、結局はこのテクニックによくたどり着いている。

芯の部分で何が言いたいかというと、そんなにも人との関係で苦しんでいる根本は、
そんな風に辛い気持ちになっても、「相手といい関係を築きたい」という切なくも優しい気持ちのせい。

(これもまた、社会的動物に生まれてしまった人間の悲しさなのだと思っているのだが、
「周囲の人間とうまくやらなければ命が危険」というDNAに刻み込まれた本能で、周囲と仲良くしたいという余計な感情を感じるように人間は作られてしまっている。)

この周囲と仲良くしなければと脅迫的に思ってしまう本能、
遺伝子を消去したいのだが、
消しきれずに苦しい思いをしている我々。

だがここは、理性で、
「自分を悪い気分にするような動物(ヒトという動物)とは、仲良くするという未来を抹消し、関係づくりにはゼロカロリー消費=関係なんて放棄する。」という方針を決める。この決意が一番大切だと思う。

人は、一度烙印を押した相手に対してその印象を変えることは容易にはできない。
そして、本能のレベルでストレスを感じる相手というのは、
例え言語化できるレベルに至っていなくとも、
その根拠となる違和感を伴う行動を言語化レベル以前に見せているものだ。

見えない悪意、とでも言おうか。
やはり、人間も、動物。
「この人、なんだか落ち着かない」
という相手は、何かしらの見えない攻撃や敵意を向けてきていることがある。

受動攻撃といって、直接的ではない手段で攻撃を仕掛けてくる類の攻撃パターンを取られることも、現代日本の職場では横行している。
日本のように、高コンテクスト文化で空気を読む文化、かつ、遠まわしな物言いが好まれる雰囲気が根強く存在する中では、
「無視」「人間関係の切り離し」(自分だけを仲間から外す行為)「不機嫌ハラスメント」(不機嫌な態度を取って周囲に影響を及ぼす)こういう陰湿なタイプの攻撃をしてくる輩も多い。
(欧米では、もっと直接的に言葉ではっきり言われる。)

ネガティブバイアスのせいで、他人の負の行動が目につきやすい、という事実も認識しつつ、「違和感」という感覚は、動物的な感覚として案外いちばん正しかったりするので、
「冷静に考えてみても、やっぱりおかしい」と思うような事態に遭遇したときは、
やはり相手方との関係で問題が起きているとしていいと思う。

あとは自分をどう守るか、というところなので、
がんばる方向を間違えないようにしていきたい。

良い我慢、悪い我慢

ストレスの研究でも、
我慢という感情について、
良い我慢と悪い我慢というものについて触れられている。

職場での「いい我慢」というのは、

新しい仕事を覚えるとき、など
新しいものに直面したストレスや、
知らないものを学んでいくときに感じる我慢。
我慢といっても、
「あと少し能力を磨けば、この仕事はうまくいくようになるはずだ」
と、先につながるポジティブな目標に向かってする我慢。
我慢した先に、我慢しただけの成果や明るい結果がイメージできるもの。

対して、「だめな我慢」
こちらは、

業務やスキルなどを磨くことに対してではない。
理不尽な扱いや、人間関係で自分の努力ではどうしようもないことに対して
「受け流すことにエネルギーを使う」「自分の感情を押し殺して平静を保つために力を使う」などの方向での我慢だ。
こちらは、我慢の量×時間で、どんどん精神が蝕まれていく。
だめな我慢の方を続けていくと、生身である人間にはひずみが来て、
体を壊す。

ちなみに、ダメな我慢をしているときは、
不眠の症状、寝つきが悪いなどの睡眠障害があらわれることが多い。
あるいは、休日にも仕事のことを考えてシミュレーションしたりフラッシュバックしたりということも起こりやすくなる。

少し振り返ってみてほしい。

…と、

気持ちのままにいろいろと書いてしまった。

私自身の現状をお話しすると、悲しいかな「悪い我慢」
こちらを数週間していて、あまりいいとは言えない。

明日、職場には相談をさせてもらうつもりだ。

心が優しい人、純粋な人ほど、搾取され、傷つけられる間違った世の中だが、
繊細に色々を感じられる心を持って生まれたことを美しいことだとでも思って、静かに目を閉じたいと思う。

こんな気分の日は、例のアレだ。
目を閉じて、呼吸に耳を澄ませ、自分の肺の動きに意識を集中。
体中の細胞が、生きるために一生懸命頑張ってくれていることを感じよう。

なにも、人間だけが世界のすべてではない。
自分の心が自分を責めてしまう時でさえ、細胞たちは健気に生命維持の活動を頑張ってくれているのだから、じぶんは一人ではない。

(後半の締めくくりが独自路線に走っていることをお許しください。)











本当にありがとうございます!応援してくださる気持ちが本当に嬉しいです。「サポートをいただきました」の通知が、わたしの人生のうちの今日一日という日を幸せにしてくださいました。色々ありますが、あなたの一日も素敵なものになりますように。