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小・中・高で学びすぎてない?~フロントエンド教育の限界~

こんばんは。私の住んでいる地域もだんだんと寒くなってきました。夏が終わる寂しさを感じる日々です。皆さんの地域はいかがでしょうか。
さて、今日は「フロントエンド教育」という言葉について考えてみたいと思います。

教員採用試験の倍率低下の根本は”働き方改革”なのだろうか

今、日本の教育について、様々な問題が連日のニュースとして流れています。

教員になりたいと考える人材が不足しているということも大きな問題です。
大変ではありますが、ここまで人間と関わり合うことができるという、この職業に、人材が集まらないということは、とても悲しい限りです。
この問題は、”働き方改革”という言葉とセットで考えられがちです。私もそう考えていました。ただ、この問題をよくよく読んでいくと、

  • 部活動をどのように捉えるか

  • 地域との連携はどこまで行うか

  • 子ども達に教えるべきことの、どこからどこまでを教育が担うべき

  • 教育は管理される対象になりうるのか

  • 子ども達に、本当につけるべき力はどのようなものなのか

という、”教育はいかにあるべきなのか”という本質的な問いが整理されていないことが一番の根っこなのではないかと考えるようになりました。我々は、一度立ち止まって、考えてみるべき時期にあるのかもしれません。

今、子どもたちは学びすぎているのではないか

以前、学校の中に”ふとした瞬間に寝てしまう子”がいました。
障害や病気を考え、コーディネーターが保護者と連絡を取ることになりました。
すると、見えてきたのは、

平日・休日ともに習い事・塾に通い詰めており、休まる時間が無い。自分の時間を作るために夜中に起きて活動をしている。その結果、極度の睡眠不足に陥っている。

という現状でした。(当然のことながら、フェイクを含みます。)
私が教員になったころは、レアケースだったこのような子どもが、近年増えてきているように感じます。
これは家庭での習い事だから・・・で済まされることなのでしょうか。
私は、日本の(もしくは世界の)教育全体が”早期教育”という言葉に取りつかれているのではないか?と考えてしまいます。
少し例をあげましょう。現在、○○教育と言われるものについて考えてみると、

情報教育、ネットリテラシー教育、 ネットモラル教育、プログラミング教育、人権教育、主権者教育、平和教育、性教育、オリンピック・パラリンピック教育、消費者教育、 LGBT教育、起業家教育、 環境教育、交通安全教育、キャリア教育、規範意識教育、道徳教育、心の教育、外国語教育、金融教育、自然体験教育、福祉教育、国際理解教育、ボランティア教育、多文化共生教育、SDGs教育、食育、健康教育、障害者教育、法教育、図書館活用教育、NIE教育、ICT教育、著作権教育、防災教育、税教育

などなど、子どもたちは5教科(国・数・社・理・英)+芸術教科(音・体・美・家・技・書等)+総合+道徳に加えて、たくさんのことを学齢期のうちに学ばなくてはいけないことが分かります
これは、これから訪れるSociety5.0の時代を想定すると、次代を担う子どもたちが身につけなくてはいけない力だということです。

ポールラングランが唱えた”生涯教育”

社会が切り替わるとき、そこには社会からの要請が個人へと降りかかります。これは、ポールラングラン(1910-2003)が生きた時代も同じでした。
1900年代、それは産業革命が終わり”生まれた土地で、親の職業を受け継いで生きる。”という伝統的な価値観が終わりを告げた時代でした。

  • 人口が急速に都市部に集中する

  • コンピューターが生まれる

  • 国際化が目まぐるしい勢いで進む

という中で、ポールラングランは急速に変化する社会に対応するためには、人は学び続けなくてはならないということを考えます。
そして、

人生の早い段階で学ぶことが、その人の人生に大きな影響を与えている

というフロントエンド教育をやめ、生涯教育へと転換すべきであるということを、国連に提唱します。
ポールラングランは、生涯教育の父と呼ばれています。

フロントエンド教育から生涯学習へ

ポールラングランの時代と、それに伴う主張は、そのまま今の日本に当てはめることができるのではないでしょうか。現在の教育は、社会の変化をフロントエンド教育で対応させようとしているのではないでしょうか。
もちろん、たくさんの○○教育を消化しきれる子どもたちもいます。ただ、私が教員として感じることは、それらの子どもたちは一部であり、大多数が学齢期に消化しきれる量ではないということです。
私は、教員の働き方だけではなく、不登校インクルーシブ教育など、多くの教育が持つ社会課題は、このフロントエンド教育の限界が具現化されたというのが要因の一つではないか考えています。

もしも、社会人になってから、困りを感じたときに学びに戻ることのできるシステムがあり、ゆとりをもって学び続けられる体制があったとしたら・・・子どもたちは異なる反応を示すのではないでしょうか。
フロントエンド教育から、生涯学習への転換は、もっと市民レベルで考えていかなくてはいけない命題なのかもしれません。

生涯学習をもっと身近なものにするために、教員ができること

でも、

生涯学習なんて、何をすればよいのだろう。

と思いますよね。
例えば、社会人になってから大学に入る?
そのための手続き経済負担時間の確保周囲の理解を得ることを考えると、とてつもなくハードルが高いです。(もちろん、これらのいわゆる”リカレント教育”は充実させる必要がありますが。)
違うんです。生涯学習はもっと身近なものなのです。

  • 地域のお祭りに参加すること

  • PTA活動に参加すること

  • コミュニティセンターの講習会に足を運んでみること

  • 友達と一緒にフットサルをすること

  • 図書館に行って本を読むこと

これらはすべて、生涯学習の一つです。
それらを通して、私たちは”健康教育””主権者教育”などの実践をすることができているのです。
今、私たち教員が学校でできること。すなわち、子どもたちが生涯学習につながる力を付けるために出来ること。それは”○○教育”を増やすことではなく、

  • 人を好きになること

  • 困った時に学べる基礎を培うこと(学び方を学ぶ

  • 知ること、発見することを楽しむということ

  • みんなでいることの価値を知ること

を丁寧に教えたり導いていったりすることなのではないかな?と思います。
疲れた表情の子があまりに多い現状に、特別支援学級の一教員として心配しているところです。
では、またね~。

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