連続体という考え方
こんにちは。特別支援学級の教員12年目のMr.チキンです。
今日は”連続体”という考え方についてお伝えします。
障害とは何なのだろうという問い
こちらの記事でも書きましたが、特別支援学級の教員として10年以上勤めていて、究極の問いのひとつが、”障害ってなんだろう?”というものです。
という保護者の切実な問いに、どのように答えるのか。私たちは専門家としていくつかの柱を持たなくてはいけません。何を基準とするのか。何かの数値でしょうか。
前回の「特別支援学級教員が”障害”について考えた」では、環境と障害の関係性について話をしました。
今回は、心理的側面から、障害を考えてみたいと思います。
心理学の授業で突然出てきた”連続体”という言葉
私の通っていた大学では、”教育学””生理学””心理学””教育史”の4観点から特別支援教育について学ぶことができました。
心理学の授業の際に、教授に
と言われました。連続体?なんだそれは?と、突然出た言葉に戸惑いましたが、聞いていくうちに、自分の考えの核となるほど大事なものとなりました。
法規上の”障害”
”連続体”の説明をするために、現行の学校教育法施行令の法規を見てみましょう。
障害の程度についての規定があります。
「知的発達の遅滞があり・・・」とあります。
つまり、知的障害養護学校等に入るためには、知的発達の遅滞があることが条件となります。
では、知的発達の遅滞とはどのようなことを呼ぶのでしょうか。
基本的に、分類はIQを用いて図ります。IQ100を基準として、70以下を知的障害と分類します。ここで大事なのが連続体という言葉です。
IQ70以下はすべて知的障害なのか
では、制度上知的障害と分類された場合、すべて知的障害という判定なのでしょうか。ここにはいくつかの問題があります。
心理テストというものが測れる範囲
心理テスト(WISCやビネー検査)が測れるものというのは、かなり限定的です。その人のすべてを測ることはできません。そこで、テストバッテリー(複数の心理テストを組み合わせて状態を知る手法)を組んで測るなどの工夫をします。
しかし、それでも一人の人間のすべてを知る手法は今のところ確立されていません。
知的障害という枠はだれが、なんのために作ったか
では、知的障害という枠組みはだれが作ったのでしょうか。
もちろん作ったのは人間です。そして、行政上の便宜として作成されています。
つまり、「ここからここまでが障害」という枠は便宜上のものであって、
生物学上の根拠があって作られたものではないということです。
境界域はどうなるのか
例えば、IQ70を知的障害の基準としましょう。
では、IQ71はどうなるのでしょう。
はたまた、IQ69はどうでしょうか。
基準を決めたとして、では、境界域はどうなるのかという問題があります。
心理テストを受ける際の不安定さ
心理テストは、テストを行う側のスキルに大きな影響を受けると言われています。
ラポール(信頼関係)の形成が行われてきたか、
緊張はどの程度か
前日の睡眠時間はどうか
などなど、かなり不安定なものとなっています。
そのため、WISCなどでは、結果に対する幅を設けています。
障害は明確に分けられるものではない
上記の事から、障害を分けることの基準というものが不明瞭だということが伝わったでしょうか。
つまり、健常者といわれる人間と、障害者といわれる人間の間に明確な差があるわけではなく、その間は連続性があるということです。
このことを、障害の連続体というものです。
最初の問いへの答え方
という問いへの答え方。連続体という考え方を用いると、
確実に”総検査IQが70以下だから知的障害学級”とはなりません。
本人が、生活上、学習上のどのような困りを見せているのかという所に集約されます。
心理学的な知識を得ることで、より、子どもの生活に根差したアセスメントができるのかもしれません。
では、またね~!
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