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”障害児の分離教育 日本に中止要請”という記事に特別支援学級教員が思うこと

※2022.09.20一部訂正

こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。だんだんと秋の気候に近づいてきました。息子は虫取り網を持って公園へ行っては「虫、いなくなってきたね」とどこか寂しそうです。
Yahoo!ニュースに”障害児の分離教育 日本に中止要請”という記事が掲載されていました。”中止要請”という強い言葉に驚かれた方も多いのではないでしょうか。今日は、特別支援教育の観点からこのニュースについて整理していきたいと思います。

障害児の分離教育 日本に中止要請

9月10日のYahoo!ニュースのトップにこの記事が掲載されていました。国連が日本政府に対して

障害児を分離した特別支援教育の中止を要請

を勧告したということです。勧告には拘束力は無いものの、尊重する必要があるということです。Yahoo!コメント欄には、

障害と言っても、軽度から重度まで様々である。特別支援学級の方が合っている子も居るのではないか。障害の子を優先する余り健常児が負担を感じるようになるのではないか。障害のある子も苦痛を感じてしまうのではないか。障害をもちながら生きていくための機能訓練などが必要な場合もある。通常学級では難しいのではないか。

  • 障害と言っても、軽度から重度までさまざまである。特別支援学級の方が合っている子もいるのではないか?

  • 障害のある子を優先するあまり、健常児が負担を感じるようになるのではないか。

  • 障害のある子も苦痛を感じてしまうのではないか。

  • 障害をもちながら生きていくための機能訓練などが必要な場合もある。通常学級では難しいのではないか。

  • 親のエゴやメンツで通常学級へ入れようとすることへは反対。

という内容のコメントが見受けられました。どれも納得できる意見だと思います。一方で以下のような意見も見受けられました。

  • 将来的にはインクルーシブ教育を進めていくべきだ。でも今はそのシステムが整っていない

  • 交流を増やす方向で調整していくのはどうだろうか。

  • 海外の事例を合わせて紹介してもらわないと、何に向かっていけばよいのか分からない。

個人的にはこのように議論が起きるということ自体が有益だと考えています。2022年9月10日21:50現在で、5000件を超えるコメントがあるということは、このニュースの関心の高さを示しているのだろうと思います。
議論を肯定するという前提に立ちながらも、特別支援教育を専門としている人間として、いくつか整理したい事項があるので、以下整理させていただきます。

インクルーシブ教育って何だろう

分離教育・統合教育・インクルーシブ教育

そもそも、インクルーシブ教育とは何でしょうか。類語として、分離教育・統合教育という概念があります。
分離教育という言葉は、Exclusion教育とも言います。いわゆる排除教育です。分離教育論者は発達保障という観点を強調する傾向にあります。

【分離教育】
障害のある子どもは、その障害を克服すること、発達を保障することの権利を有する。そのため、場を分け、専門性の高い教員における教育を保障しなくてはいけない。

というような具合です。それに対して統合教育論者は、社会参画という観点を強調します。

【統合教育】
障害の有無にかかわらず、全ての子どもは通常の教育(メインストリーム)から排除されずに学ぶ権利がある。そのため、場を分けずに、通常の学校での教育を保障しなくてはいけない。

という論調です。掲示板のコメントを見ていると、分離教育派と統合教育派が入り混じっていることが分かります。しかし、今回の国連の勧告は、あくまでも”日本政府に対するインクルーシブ教育の是正”なのです。
実は、統合教育=インクルーシブ教育と誤解されがちですが、統合教育とインクルーシブ教育は厳密に言うと異なります。

【インクルーシブ(インクルージョン)教育】
インクルージョンは多義で誤解も少なくないが、最大の誤解は、障害児をふくむ特別な教育的ニーズ児をことごとく通常教育に必要な手立てを講じないで教育措置することとしての理解であろう。インクルージョンは、障害児の特別なケアへの権利を無視するものではない。むしろ、インクルージョンは、子ども一人ひとりに必要なサポートを付けるサポート付き教育(supported education)である。

キーワードブック障害児教育ー特別支援教育時代の基礎知識ー

このように、インクルーシブ教育は、Supported Educationであるということを考えると、国連の語っている”インクルーシブ教育に関する国の行動計画を作成することを求める”という行動は納得できるものなのだろうと思います。

インクルーシブの生みの親:サラマンカ宣言

それでは、国連は何を根拠に日本のインクルーシブ教育を批判するのでしょうか。”余計なお世話だ。国の現状を無視している。”というコメントもあったので、インクルーシブ教育を進める上での国際的な指針をまとめます。
その代表的な宣言は、”サラマンカ宣言”と呼ばれています。サラマンカ宣言の1条を紹介します。

1.92カ国の政府と25の国際組織を代表し、1994年6月7日から10日にかけ、ここスペインのサラマンカに集まった「特別なニーズ教育に関する世界会議」の代表者であるわれわれは、特別な教育的ニーズをもつ児童・青年・成人に対し通常の教育システム内での教育を提供する必要性と緊急性とを認識し、さらに、各国政府や組織がその規定や勧告の精神によって導かれるであろう、「特別なニーズ教育に関する行動の枠組み」を承認し、万人のための教育へのわれわれのコミットメントを再確認する。

すももの会 サラマンカ宣言(サラマンカ声明)より

世界各国の代表者が、”特別な教育的ニーズをもつ児童・青年・成人に対し通常の教育システム内での教育を提供する”ということを目的として1994年に宣言をしています。
イギリスのブレア首相は、就任から8か月でイギリスをインクルーシブ教育の方向に舵を切り、大きな成果を上げました。その根拠になったのもこのサラマンカ宣言であると言われています。
サラマンカ宣言から28年も経っている状態で、日本のインクルーシブ教育はどのような立ち位置なのかということを、国連は示したのではないでしょうか。以下、サラマンカ宣言における具体的な条文を抜粋します。

・別のようにおこなうといった競合する理由がないかぎり、通常の学校内にすべての子どもたちを受け入れるという、インクルーシブ教育の原則を法的問題もしくは政治的問題として取り上げること。
特殊学校—もしくは学校内に常設の特殊学級やセクションに—子どもを措置することは、通常の学級内での教育では子どもの教育的ニーズや社会的ニーズに応ずることができない、もしくは、子どもの福祉や他の子どもたちの福祉にとってそれが必要であることが明白に示されている、まれなケースだけに勧められる、例外であるべきである。
・両親は、子どもの特別な教育的ニーズに関し、特別な権利をもっているパートナーであり、可能なかぎり、子どもに対して望んでいるタイプの教育施設の選択が認められるべきである。

とてもとても長いのですが、1990年代に作成されたとは思えないほど過激で刺激的な文章ですので、興味がある方は、ぜひお読みいただければと思います。インクルーシブ教育を語る上で、サラマンカ宣言は避けては通れません。

国連は現在の日本の特別支援教育のどこを批判したのか

以上のことから、通常の教育を求めるということが、世界基準においては”子どもの当然の権利である”ということが分かります。サラマンカ宣言は、具体的な条約として、障害者の権利条約にその精神を継承させます。日本は2007年に批准しています。

かとも様より下記のご指摘をいただきました。
日本は障害者の権利条約に署名していましたが、障害者に関する国内法が整っていなかったので、批准を承認できたのは7年後の2013年(国連の承認は2014年)でした。
謹んで訂正いたします。
かともさん!ありがとうございます!

さて、現在の日本がしっかりとインクルーシブ教育を実施できていると言えるでしょうか。観点は

  • すべての子どもたちを含めることを可能にするよう教育システムを改善することに、高度の政治的・予算的優先性を与えているだろうか。

  • 障害の有無に関わらず、通常教育(メインストリーム)へのアクセスは容易に行われているだろうか。※特別支援教育に入った後に、通常学級への転籍ができるかも含めて

  • 特別なニーズがある際に、しっかりとしたサポートを付けた状態で通常教育に参加できるような制度は整備されているだろうか。

  • 特別なニーズにもこたえられるような柔軟なカリキュラムは準備されているだろうか。

などがあるかと思います。さて、胸を張って

日本はこれらの課題をクリアしている。

と言えるでしょうか。国連が指摘したのは、これらのインクルーシブに関する日本の対応の遅れだと言えるでしょう。

制度が整備されるのを待っていても、いつまでも整備はされない

インクルーシブ教育が”サポート付き教育”であるということは、その制度を整備してからでなくては、インクルーシブ教育は展開できないのではないか。という意見はもっともなものでしょう。
しかし、例えば特別支援学校に寝たきりの障害を有する児童がいたとして、通常学級と接点が無かったとします。だれが問題意識をもって制度を改革しようとするでしょうか。
やや過激かもしれませんが、動くことによって動くことがあると考えは、ひとつの方向性なのかもしれません。

世界のインクルーシブ教育

イギリスのインクルーシブ教育

イギリスの特別支援教育の考え方については上の記事に書きました。
それでは、インクルーシブ教育についてはどうなっているのでしょうか。
アイルランドウッド初等学校という学校では、特別支援学級という固定式の学級は無いということでした。その代わりに、障害のある子どもたちは、ニーズに応じて教室内や廊下の個別指導スペース、あるいは別室の小集団指導室等で特別な指導を受けられるようになっています。

詳しい内容は以下のリンクからPDFで見ることができます。

https://www.nise.go.jp/nc/wysiwyg/file/download/1/6765

イタリアのインクルーシブ教育

イタリアでは1977年に急進的なインクルーシブ政策を打ち出しました。
ごくわずかの特殊教育の対象児童・生徒を除いて、ほとんどの障害のある児童生徒が通常学級へ統合されました。1988年には後期中等教育段階(高校生以降)のインクルーシブ(当時はインテグレーションと言いました)を推進する法律ができました。
ただし、これらの政策に対しては「乱暴な統合」という批判もあります。そのため、地域による取り組みの差ができているという報告もあります。

スコットランドのインクルーシブ教育

スコットランドでは通常学校においてすべての子どもの教育を行うことを打ち出しています。

こちらにもスコットランドの教育については書きました。大阪大学の伊藤駿さんという方の論文からの引用です。
学級内で同様の活動を行いながらも、習熟度による差異化を図っているとの報告があります。
また、年に3回のアセスメントを行い、習熟度別学習のように教室を分けて別の学習をすることが取り組みとしてあるようです。
なによりも面白いのが学級編成です。スコットランドでは、子どもの状況に応じて2学年を一つの学級にすることができるということです。編成の自由さが、子どものニーズにこたえるのに有効だということでした。
また、英語の発音に関する習得に差があるというスコットランドならではの特徴として、「ハリーポッターの読み聞かせをする」という授業には1~5年生が学級に入ってきて授業を受けるということでした。なんという自由さでしょうか!!

ベトナムのインクルーシブ教育:ホアニャップ教育

ベトナムのインクルーシブ教育に関しては、京都大学の白銀研五先生の報告が面白いです。
ホアニャップ教育というのは、「教育機関において障害者を障害が無い人と一緒に教育する法」というものです。ベトナムでは障害者への教育は「学校、家庭、全社会の責任」とされ、「安全で質が高く効果のあるホアニャップ教育環境を整備すること」が目指されてきました。
ここでいうインクルーシブ教育は、もちろん通常の学校で障害のある子どもを教育するということも含まれます。一方で、ベトナムでは特殊学校が障害種別を越えて教育を受けられるようにするという動きもあるようです。アジアには、欧米型のインクルーシブ教育とは異なる流れがあると言えるでしょう。

”Aちゃんも一緒の教室に来れば良いのに”に私たち大人はどう答えるか

特別支援学級の教員として交流学習に付き添うことがあります。
一年が終わるころになると、通常学級の子どもから

なんでAちゃんは○○学級にいるの。
いっしょに勉強したいよ。

という声が、想像以上にたくさん聞かれます。
私は保護者との打ち合わせ通り

今、Aちゃんは自分のペースで勉強できるように、○○学級にいるんだよ。

と答えます。
声をかけてくれた通常学級の子は、「フーン」だの、「そっかー」だのといった適当な相槌をうってくれます。
でも、私は答えながらこうも思います。

でも、なんで通常の学級では自分のペースで学ぶことができないのだろうか。

と。私はまだ、この質問に胸を張って答えられていません。
現在、通常の学級で起きている様々なこと。それは不登校であったり、学級崩壊であったり。それらのことは、今現在の教育システムが彼らに合っていないことを示しているのではないでしょうか。
イギリスのように、ニーズに応じて誰もが個別指導を受けられたり、スコットランドのように、読み聞かせに色々な学年が参加出来たり・・・インクルーシブのシステムが進むことによって、様々な子が救われるかもしれないなと、想像します。
国連の勧告は、現状の日本の教育システムに一石を投じたと考えて良いでしょう。
いつの日か、Aちゃんがみんなとともに学べる日を夢見て、日々の実践を積み重ねていこうと考えています。
では、またね~!

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