人はいつか死ぬ、でも / 2008, 2017, 2020, 2023
2023年4月
3年前に投稿しようとしていたらしい下書きを見つけた。3年経っていれば何か変わっているかなと思ったけど、いまとそれほど変わっていない。前よりも少し、深く納得することは増えたし、知らなくても良かったことを知ったりもした気がする。この話題は書き終わるということがないだろうし、ちょっと書き足して、それを置いておいておくのでもいい気がする。というかコロナ禍に入った時から、もう3年経ったのか! コロナ禍以降は時間間隔がよくわからない。一年、一年が過ぎていくというよりかは、まとまって「こういう時季」があるという感じがする。
僕は幼いころから感じることも考えることも、それほど変わっていないらしい。たぶん、10歳の頃から考え方もあまり変わっていない。ところで、哲学的なことを考えるとき、人によって「人はいつか死ぬ、でも」の「でも」のところの考え方とそれに対する感じ方がけっこう変わる気がしていて、僕はそこになぜか温かさと懐かしさを感じている。いつかは、もともとひとつであったところに帰ることができるし、それを感じることもできるという感覚が、なんとなくずっとある。それは生まれつきなのかもしれないし、幼少期を夢のように過ごしたからかもしれない。
人はいつか死ぬ。それはとても儚く、優しい。
2020年5月
noteでは、話題にするとスルーされてしまう、けれどみんな心のどこかで思っているかもしれないことを書こうと思っている。
自分しか見れないだけの日記にしか書かないようなことを、そっと置いておいても許されるのがnoteなような気がするから。
このところ家にいる時間が長くなり、時間の余白に目がチカチカする。コロナが終息するまで、身動きがとれないという事実によって、どうしようもなく肥大した現在が僕を飲み込もうとしている。
何かするべきだけれど、何をしていいかわからないとき、ふと思う。何を? いや、そもそも。僕は。
流れの中にある空白はいいけれど、空白だけボンと置かれると僕はぼんやりと考え出してしまう。何かをしなきゃという感覚は身体の叫びなのか、社会的な価値を生み出さなきゃ生きていけないという未来への恐怖なのかはわからないけど、そもそもこの感覚は、意識は何なんだろうと考え出してしまう。
考える余裕がないほどに忙しい方が幸せなのかも知れない。あるいは、命あるかぎり人に尽くすことが幸せな人生なのかもしれない。でも、それではわからないこがある。
気がついたときには、意識があり、僕はひとりの人間として、この地球に生きている。そして、いつか死ぬ。これはいったいどういうことなんだろう?
死んだら、こんな風に考えることもできないんだよね? 死んだら、今まで考えたこと、思い出何もかも失くなってしまうのだろうか? 人の心に生き続ける? じゃあ、すべての人類が滅びたら? 存在した事実は変わらない? 存在とは?
僕がいる世界といない世界、何か変わるだろうか。
人類がいる世界といない世界、何か変わるだろうか。
小学生の頃も、こういう考えに囚われて抜けられないことがあった。10歳になった年の秋のことだったと思う。それまで、ただ毎日が楽しかったのに、自分が存在しているということに驚き、恐怖した。怖かった。生きる意味ってなんだろう。生きてるってどういうことなんだろう。そんな問いに僕と同じ程度の重さで答えてくれる人は居なかったし、そんな考えは人生にあまり必要がなくて悪いことのような気がしていた。
2008年秋
学校に行かなくなった頃だったと思う、現実から逃げるようにしながら、ぼんやりと考えていた。僕はいつか死ぬ。それだけは分かっている。もし、いま死んだら? ここから飛び降りても大した怪我にはならないだろうな、それにどういうわけか、強い何かに守られてどう頑張って死のうとしても絶対に助かる気がする。おばあちゃんの声が聞こえる。何してるの。おばあちゃんが言うならやめておこう。家族や友人を悲しませるのは嫌だし。
いまよりもっと幼い頃、公園で、遊園地で、水族館で遊び疲れてよくおばあちゃんにおんぶされて帰ってきた。温かくて大きな背中。気づくと布団で寝ていて、おばちゃんはニコニコしながら、あら起きたの? と言う。いつも夢のなかでもおんぶされていて、どこからが夢でどこからがそうじゃないかわからなかった。どこまでも温かくて、ずっと幸せだった。きっと、天国があったらこんな感じなんだろうなって、いつも思っていた。
それから、最近になって生きることに疑問を持ち始めた。ただ、生きることそれ自体が嫌になったわけじゃない。どちらかというと、皆に溺愛されていないこと、優しくされないこと、学校がつまらないことに、それから思ったよりも大人は信頼できないことを不満に思ってるだけだ。
小学校までは1時間半かかるし、このところある友達は、そういう年頃なのか、他人の上履きを女子トイレに投げ入れるだとか、物を盗むだとか、悪口を飛ばしまくるだとか、馬鹿馬鹿しいことばかりで、しまいには僕が帰りの電車で他の何人かと友達をいじめた容疑に掛けられて、そういう馬鹿馬鹿しい奴に謝らなければならない羽目になった。その子は親が忙しくて、構ってもらえないんだろうし、その割にかなり親バカなので学校にものすごい勢いでクレームが入って、先生はなんとかして誤らせた事実を作りたい、それは察しが付くことだけれど、大人って結局そういう生き物なんだなと心底がっかりした。たしかに、冗談半分に折りたたみ傘で集団で叩いたというのは、事実だからそれは謝るけど、皆その子に普段どれだけイライラしているかということが考慮されるべきだと思う。
その頃、好きだった女の子と掃除の班が同じになったけれど、場所は校舎から少し離れた体育館の方で、もう一人の男子が先に行って猛アタックしてイチャイチャしているので、それにうんざりしていたし、大人びたところが良かったのか、彼女は帰りの時間になるとポール前で15人くらいの男子に迎えられるという意味不明の人気さを誇っていたし、サッカー部の朝練は朝早すぎて行けないから一向に周りと差がつくばかりで、気を惹けるような何かもないし、取り柄だと思っていた勉強ができる、というのにも飽き飽きしてしまったから、ついに学校に行く理由が見つけられなくなった。そういえば、いま思い出したけど、小学校の頃「ロッカーチェック係」なるものが存在していて、放課後に廊下のロッカーが整理されているか点検するのだけど、開けて見るだけなら男の子が女の子のロッカーを見るのもOKで、ロッカー係が例の彼女のロッカーが甘い、いい匂いがするとか言って、何人かが頭を突っ込んでいた。
余計なことを付け加えておくと、それを教えてくれたロッカー係は後に中学校、高校で生徒会長的なポジションを務め、アメリカの大学へ行った。非常にまじめで堅実な、頭のいい友人だ。あと、ごめん、そういうのは良くないと思うよ、と言いつつ結局僕も頭を突っ込んだ。たしかに、甘い香りがした。でも、それはお姉ちゃんに教えてもらったんだろうな、というのがわかるような、高校生が持っていそうな香料の香りで、ちょっとがっかりしたのを覚えている。プリントを配るときに名前を呼んで微笑んでくれるとか、明るくて活発だとか、そういうところは末っ子らしいところでもあるし、知らないうちに姉から盗んだものも多いんだと思う。クラスでひとりだけ、トリートメントをしたように黒髪に綺麗な光の輪ができていた。
それから一度だけ、親になぜ学校に行くのかと真剣に聞いたことがあるけれど、ただ困らせただけで、大した答えは返ってこなくて、信頼できる答えをくれる人はどこにもいないなと改めて思ったのだった。
そうしたわけで、僕の手持ちのポケモンはすべて100LVになり、色違いが出るまでポケトレをして、やることがなくなると、僕は生きることだとか、死後の世界について、一人でぼんやりと考えることになった。ジャズが好きになったのは、ダイヤモンド・パールの影響だと思う。リゾートエリアから、ハードマウンテンの間の道でバトルサーチャーを使ってレベル上げをしたり、シンオウ地方をぐるぐると周って、ただBGMを聴いたりしていた。コトブキシティに、209ばんどうろ、216ばんどうろが好きだった。
何もない時間が訪れると、ふと考える。僕は自分だけの見方で世界を見ていて、僕がいなくなればその世界はもうなくなる。僕はこの世界が好きなのに。この景色が好きなのに。なんて寂しいんだろう…… そう思ったとき、この広い宇宙にただ一人取り残されているような気がした。
宇宙の永遠とも思えるほどの歴史からすれば、僕が存在する時間なんて、一瞬でしかない。けれど、僕からすればこの世界がすべてだ。これはいったい……?
やっぱり変だと思う。一瞬なのに、ずっと続くかのように毎日を生きてる。おととい、きのうから連続した意識が確かに今日もある。僕は生きている。
2013年
中学の頃、ある先生が、なぜ生きるのか僕にもわからない、本当は誰もわからないんだよ、と正直に答えてくれた。てきとうに流したり、困った子どもだな、みたいな態度を取らない人はその人が初めてだった。僕はそれでどれだけ救われたことか。なんだ、みんな同じなのかと思えた日だった。とりあえずはそれで良かったし、当分の間はそういうことを考えなくなった。それから僕は、程なくして何事もなかったかのように学校に通うようになった。最初のうちある友達には「なんで来るの?」と言われたりしたけれど、それは僕が一番聞きたいことだったし、そのうち誰も何も言わなくなった。
いつの間にか友達5人くらいで相手の顔が見えなくなるまで公園でどうでもいいことを話したり、ドッチボールをしたり、ついに厳選の沼にハマってしまったポケモンをしたりしていた。あの時さらに社会からフェードアウトしていたら、いまこうしてのんびり文章を書いたりできなかったかもしれないれないし、僕は恵まれていると思う。本当にそうだな、その後も僕みたいに放っておくとすぐに社会からフェードアウトする人間が、ストレートで大学を卒業したなんて奇跡的なことだと思う。あと、ごめん、バレー部のボールを盗んで女子の駐輪場でドッチボールをして、ある日誰かの自転車の鈴を壊したのは僕らだった。貸し出しのふにょふにょのボールではないゲームがなかなかに面白いことに気づき始めて、最初数人だったのが、あの時は20人くらいに増えていた気がする。向かいのマンションの部屋にボールが入ってしまってクレームが来た時も、トラックにボールがぶつかってしまった時も誰一人として名乗り出なかったな笑 素晴らしい団結力だった。でも、僕らは中学生にしては大人しかったと思う。
そして、その後いつだったか忘れたけれど、ふとした時にまた、自分について、世界について考えたりするようになっていた気がする。その辺りはうろ覚えで、もしかするとそんなに考えていなかったかもしれない。
そもそも自分という考え方が良くないのかな? 自分とはなんだ? 他人とは違うのか? 世界とは違うのか?
僕の細胞はこうしている今も入れ替わり、肺に入った空気がまた出ていく。空気は世界なのか? 僕は絶えず変化しているのに、シュレディンガーが定義したようなことでもって、自分を保っている。きっと全然違う考え方もあるんだろうけど、あんまり深入りしたいわけでもないかも。でも、自分って何なんだろう?
2017年
大学に入り、僕が考えていたことは過去に多くの人が考えていて、しかもそれを考えることが奨励されているらしいことを知った。彼らのことを人々は哲学者と呼ぶらしい。10年前に教えてくれたら良かったのに!! 本当に!! 哲学というのはもっと、おばあちゃんの知恵袋的な実践的な知のことかと思っていた。いずれにせよ、心強い仲間ができた。最初に受けた先生はなんだか楽しそうに哲学をしていたし、結婚して子どももいて、幸せそうだった。自分が本当に気になっていることでそんな風に暮らせるなら、それは魅力的なことだなと思った。
自分は世界の一部かもしれないし、全部かもしれない。部分と全体の問題には答えが出せそうにないけれど、自分が全体というのは変な気がする。けれども本当はそうなのかもしれない。たとえば荘子的な発想が正しいのかもしれない。胡蝶の夢? 自分は人か蝶かわからない? いや、それでも疑問が残るでしょ。じゃあ、この意識は何なの?
我思う故に…本当?? 意識が存在していることは言えても、我とは言えないんじゃない?
じゃあ、確実に言えることは何だろう? それは、存在しているということ? パルメニデスの発想は正しいのだろうか。僕ら人類はそこから少しも進んでいないのだろうか? 存在って何なんだ?
10歳の頃には恐怖でしかなく、悪いことのように思えた問いが、いつしかもっと探究したいと思えるようなものになっていた。けれど、納得のいく答えを僕はまだ知らない。恐らく、人間には永遠に知り得ないことなのだと思う。それでも、人類がいままで考えたすべてのことぐらいは知りたい。そして、人類の知に少しだけ上乗せをしたい。そんな風に思うときもある。
それでも、死ぬことは変わらない。
僕が存在しているって、いったいどういうことなんだろう?
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