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核のフォールアウトを知っていますか?②黒い雨と水爆実験。

前回の記事の続きです。


核のフォールアウトによる汚染で最も有名なのは、広島の「黒い雨」とビキニ環礁の水爆実験による被曝です。



報告2 黒い雨訴訟について

広島への原爆投下後に降った「黒い雨」を浴びたことで被爆した市民については、1976年、一部大雨が降った地域の住民についてだけ被爆者健康手帳を交付しました。

しかし、その後、支援外とされた区域外で雨が降ったとされる地域の住民は被爆者手帳の交付を求めて国を提訴。

2021年7月、広島高裁で勝訴し、確定しました。
黒い雨を浴びた人を「被爆者」と認めた初めての司法判断で、放射性降下物によって内部被爆した可能性を指摘する内容でした。

その後、国は、黒い雨をめぐる新たな認定被爆者制度の運用を開始しました。
しかしこの新制度の下でも、手帳の取得に至っていない人たちがいます。

広島高裁の判決は、呼吸や飲食を通して内部被爆による健康被害を受ける可能性を認めました。
しかし政府は内部被被爆を認めていません。

現在も国の援護を求める訴訟は係争中で、原爆被害者救済は終わっていません。




報告3 南太平洋核実験による高知のマグロ船の被爆とその影響について

1954年、ビキニ環礁で、第5福竜丸が水爆実験で被曝しました。
しかし、それ以外の船も被曝していました。
高知県室戸市からも多くのマグロ漁船が南太平洋で操業しており、被曝しています。
しかし、その事実は長い間語られませんでした。


1954年以降も米英は南太平洋で水爆実験を続けていましたが、1957年のクリスマス島の水爆実験反対運動の後、核の平和利用が言われるようになったり、風評被害でマグロの値段が下がることを心配したりして、漁船の被曝については「言われん(言うことができない)」ようになりました。

その後室戸では高度経済成長で景気がよくなって町が活気づきますが、マグロ船の船員は胃がんや大腸がんで亡くなる人が多いと言われていました。

1985年、地元の高校のゼミの取り組みから被曝が「再認識」され、船員たちが被曝の苦しみを語るようになりました。
2016年労災申請と国に賠償を求める裁判を起こしました。

現在2021年から「ビキニデーin高知」の取り組みを始めました。
今は地域の「お茶会」で「言われん」の呪縛を解いています。


執筆者、ゆこりん

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