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今日は長崎原爆の日。アメリカで最も汚染された核施設「ハンフォード・サイト」

今日は78回目の長崎原爆の日です

1945年8月9日、午前11時2分、長崎に2発目の原子爆弾「ファットマン」(丸みを帯びた形からの命名で、イギリス首相チャーチルの体型を暗示していた)が投下されました。

「ファットマン」に使われたプルトニウムはアメリカワシントン州東南部にあるハンフォード核施設群で作られました。

この施設についての報告が、6月に開催された平和学会の2日目、「核のフォールアウトと日米関係」という部会で行われました。



「核のフォールアウト」とは放射性降下物(Radioactive Fallout)のことで、核兵器が炸裂後に発生する、放射性物質が広がって降下する地球環境汚染のことです。
フォールアウトにより人体に影響があることは確認されており、その原因は、ヒロシマ、長崎の原爆だけでなく、核実験や原発事故など多岐にわたっています。


その一方で、広島・長崎への原爆攻撃による残留放射能・放射性降下物・内部被曝を認めることは国際法違反であることを認めるに等しいため、米国政府・軍は公式には否定し続けています。
先日のBSNHKのドキュメンタリー番組によると、米国は終戦直後の現地調査で残留放射線による被害を認識していたにもかかわらずその存在を否定した報告書を作成していました。
広島、長崎には今もフォールアウトの被害で苦しんでいるにもかかわらず、被害を認められていない人たちがいます。

部会の報告のテーマは3つでした。

「アメリカワシントン州のハンフォード核施設の歴史と現在について」

「黒い雨訴訟について」

「南太平洋核実験による高知のマグロ船の被爆とその影響について」

まずは、報告1について、シェアしたいと思います!


報告1 アメリカワシントン州のハンフォード核施設の歴史と現在

アメリカワシントン州にあるハンフォード核施設はマンハッタン計画の下、長崎原爆のプルトニウムを製造(B原子炉)した施設です。
この施設は、故意の実験や過失により何度も放射性物質を排出、漏洩していたことが1986年に公開されたエネルギー省の機密文書からわかっています。
この公開によりハンフォードの被曝者は訴訟に踏み切りますが、訴訟は24年も引き延ばされた結果、2015年に少数の被曝者が示談金を受け取るのみで終結しました。

現在、原子炉は閉鎖され観光用の博物館になっています。
そこでは核開発の栄光の歴史が語られ、長崎原爆の投下で第二次世界大戦が終わったことが強調されています。


核産業は差別構造の上に成り立っています。
ハンフォードの場合は、先住民の土地を剥奪したうえ、近隣の白人農家の土地を安く買いたたき、退役軍人やモルモン教徒などの入植を奨励しました。

1990年に被曝補償法、2000年に作業員補償法が成立していますが、一般住民への補償が一番低くなっています。
その理由は補償法の理念が「国の安全保障に貢献した」かどうかに基づいているからです。

『核』は安全保障であるという核抑止論の考えが強く根付いています。

現在のハンフォードは、地下に核廃棄物を埋めて、その上にグリーンをのせただけの場所ですが、大変繁栄しています。

そこで、日本の福島もハンフォードのようにということで、「福島イノベーション・コースト構想」はハンフォードをモデルとしています。



核に汚染された福島が、核に頼る街作りを復興と位置づけるのは私には疑問です。

アメリカでも核被害を語ることは困難です。
核産業が自分たちのコミュニティを支えているため被害を認識できないでいます。
そのため自分たちの加害にも無関心、無頓着になっています。
日本でも被害を形骸化したい思惑から、被害の語りを糾弾する動きもあります。

いかに被害を可視化するか、何よりもフォールアウトによる被曝の存在を認めることが大切なのではないでしょうか。


執筆者、ゆこりん

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