松田佳之

福岡県在住。妻と息子の3人家族。 林業をしながら写真をやっています。 yoshiyu…

松田佳之

福岡県在住。妻と息子の3人家族。 林業をしながら写真をやっています。 yoshiyukimatsuda31@gmail.com

マガジン

  • 「流れる時間。」

    2023年11月23日から25日にかけて、 福岡県久留米市に在るholmというカフェで自身初の写真展を開催しました。 その時の写真や言葉をマガジンにしています。

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写真展「流れる時間。」

数日前に3日間という短い期間で初めての写真展を開催した。 都合がつかず、写真展に足を運べなかった友人たちに向けて、 本noteで展示をまとめたいと思う。 正直に話すと、展示内容を有料にしようかとか、そもそも載せないでおこうかとか、色々と迷ったけれど、初の写真展ができてよかったね。で終わらせたくはないので、ここできちんとまとめておこうと思う。 無料にしたワケは、有料にしたところで僕の懐にしかそのお金は流れ込まず、いや入ってくる保証もないけど。展示を快く受け入れてくれたho

    • 後の人生に大きく影響を及ぼすもの。

      いつも頼んでいる現像所から写真が返ってきた。デジタルで撮るのも、フィルムで撮るのもどちらも好きだ。 フィルムで撮っていて良かったな。と思うことは、データをプリントして頂けることと写真ができるまでのプロセスに他の人と接する機会が生まれることだ。 いや、デジタルでも人と接する機会を生み出すことは可能だと思うし、フィルムにしても現像からプリントまでを自分1人ですることも可能だけれど、今の僕にその技術はない。 プリントして頂けるというのは、アルバムにする一役を担ってもらえる。と

      • ランチに行った2人。

        週末は、友人夫婦と会って話した。 2時間の人生をかけて、会いにきてくれることがただただ嬉しい。この日は雨だった。 ランチの後に立ち寄ったケーキ屋には、枯れた枝がディスプレイされていた。普段、山で目にする枯れ枝とは違って落ち着いた空間を装飾していた。道具や物はその立ち位置で雰囲気がガラリと変わって面白い。 友人と話している最中、息子はあらゆる場所を冒険の種にしていてた。机の下、荷物おきのカゴの中、家具屋さん、ケーキ屋の窓際、点字ブロックの上、水たまり、 大人になると、目を

        • 行き当たりばったりなのがいい。

          先週末は、家族で旅館を楽しむために佐賀の嬉野へ。 6月に出産を控える妻の希望で、ひたすら旅館でぐったりする1日を過ごしたいということで、宿を予約していた。 正直なところ、料理を除いた他は残念な品質だったのだけれど、 それでもある場所で家族で過ごした。という時間は何事にも変えがたい。 どんな体験をするにしてもいいところだけを見ていると、その悪いと思った自分を否定することに繋がるかもしれないと思い込んで、こんなことを言っている。 次に宿に泊まる時は、相応の宿か諦めてチェーン店

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        写真展「流れる時間。」

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        • 「流れる時間。」
          4本

        記事

          築かれるものと気疲れ。

          若さと老い、男と女、人種、経験の積み重ねの有無にとらわれず、その人との対話を楽しみたい。それは、その人との関わりの奥にある豊かさを知りたいから。 きょうの話は、 “声を大にして言うのは、実績が積み上がってきてからだろ。“とか、 “若いお前にはわからんだろうけど”というような一方的な言葉を受けたフラストレーションの行き場に困っているからここで書くことにした。 実力があるから言葉が伴うのか、 言葉があるから実力が伴うのか。については、僕は後者だと信じている。 いや、そう信じた

          築かれるものと気疲れ。

          出会ってきた点群の中間値。

          これまで、どれだけの人と会って話してきただろうか。 どれだけの人に尊敬や憧れの眼差しを向け、かく在りたい。と感じてきただろうか。いや、その反対に、軽蔑的な視点や自分ではやらないな。と心に決めた行動はいくつあるだろうか。 そういうことを考えながら雨雲の下で車を走らせていると、僕の輪郭というものは、良くも悪くも“これまで出会ってきた点群の中間値“で形作られているのではないか。ということを考えついた。 ともすれば、そのサンプル数は多いに越したことはないし、その質もまたよりよい方

          出会ってきた点群の中間値。

          映画館に行くまでの道のり。

          先週から妻と息子が車検のために郷に帰っているので、1人で過ごしている。週末になれば会えるのでもうしばらくの辛抱なのだけれど、いかに家族と過ごすことに依存していたのか。を考えている。 1人でいれば、洗い物を急いだり、ゴミ出しをきちんとしたり、部屋を掃除する強制力がなくなるからなのか、この1週間はかなり不摂生な時間を過ごしている。いやはや、家族が家の中に居るというのは大事なことなんだな。 単に早く妻と息子の顔を見たいのです。あぁ週末よ。 というわけで、不摂生を極めた結果、習慣に

          映画館に行くまでの道のり。

          撮りたいことの一つ。

          人は流れている時間を取り戻せない。 子どもと接していると、それを特に強く感じる。 前にも同じようなことを何処かで書いた気がするのだけど、書いておこう。 息子を撮る時に大事にしていることがいくつかある。 その中の一つが、彼が十数年先に家を離れるとき、生きていく中で大きな出来事に出会した時、幼い自分が五感で感じたことを思い返せるように。ということだ。 幼少期の原体験がその後の基盤になると信じている。 生きている人のその全員がいつか死ぬ。 その死ぬまでの間にどこで生きて誰と

          撮りたいことの一つ。

          飛び道具と5%

          最後まで読んでくれているのか。というところは重箱の隅にでも置いといて、noteを始めた友人との話でスキがつかない。という会話になりました。 そこで僕のnoteはどうなんだろう。とダッシュボードをひらいてみると、みてくれている人の5%の人が僕が書いたものにスキをしてくれているということに気がつきました。 当然、ひとつひとつの記事でみてくれている人の数とスキをしてくれている人の振れ幅はそれぞれ違うのですが、その全体の5%は複利のように効いてくるのではないか。と考えています。恥

          飛び道具と5%

          ファンタジー側の人。

          世界には、ファンタジーをつくる人がいる。 気づいていないだけで、身近なところにもそういう人はたくさんいるはずだ。 先日大阪へ行った時に、バーへ連れて行ってもらった。 今年に入って元々お酒が劇的に弱い僕はアルコールを摂取することを控えていた。程よく酔える許容量を超えていたのか、翌朝までそれが響いていた。酒の話はほどほどに、そこのバーテンダーと話したことを書こうと思う。 アルコールにも名前にもめっぽう弱いので、そういう話はしない。 バーのカウンターは、アフリカ原産のモモンガ

          ファンタジー側の人。

          2歳の頃の記憶はないけれど。

          夜を半袖で過ごせる季節がやってきました。 肌寒い春はどこへ。 2歳になった息子のプレゼントを買うために家電屋さんのおもちゃコーナーへ行きました。 2歳だった頃の記憶はほとんどないけれど、息子の様子を見ているとしっかりと考えを持っていて、好きなことと嫌いなことがはっきりしていて物心はすでに付いていそうだな。と感じています。 そこで買う前に妻と、息子が選んで自分が欲しいものを買ってあげよう。予算が余るようだったら自分たちが息子に買ってあげたいものを買おうという話をして、コー

          2歳の頃の記憶はないけれど。

          乗り出した船。

          さて、出港します。というかもう長いことそこを漂っています。港を出て四半世紀くらい経ちますか。航行というより漂流に近いかもしれない。船は出しましたけど、燃料と行き先はご自分で決めてくださいね。途中どれだけ寄り道しても大丈夫です。どんな燃料でも動きますが、燃料もご自分の責任でチャージしください。場合によっては、宇宙まで航行できるかもしれませんし、港付近をずっとそのままかもしれません。どちらがいいって話じゃないですよ。 スマホに「乗り出した船」というメモを書いていたので、書いてみ

          乗り出した船。

          親が子をみて思うこと。

          息子の名前は○○というのですが、自分の名前を言えるようになってから、「貴方のお名前は?」ときくと「○○くんです!」とはっきり答えるようになりました。 名前を自分で誰かに素直にはっきり伝えることを出来るのは素晴らしいことだなと親はバカを丸出しで喜んでいます。 そんな愛おしい息子と、ペンでタッチするとペンがその対象の名前や音を発語してくれるタイプの図鑑で遊んでいると、そのペンに録音機能があることに気がつきました。 そこで、その蓄音機に彼の名前を覚えさせようとやってみせると、

          親が子をみて思うこと。

          ズレの修正。

          きょう、山で仕事をしていて思ったことを書く。山仕事と言っても、その中にある仕事は数えきれないほどある。数えたくないからサボってそう言っているんだけど、細かくすれば本当に数えきれないほどある。 今日は山に入れられている作業道の道を測る仕事をした。 表面的な説明をしておくと、作業道は山の中に人や重機を乗り入れるための道をいう。 山のなりに応じて、葉脈状に入れられている。 道の幅や長さ、その形は、地域や人、仕事のやり方によって、多様性がある。 一般車両は基本的には入れない

          ズレの修正。

          人に勧められる本を3冊。

          ここ数日で、春めいた空気に移り変わってきている。 スギの花粉が最盛期を終え、ヒノキの花粉が台頭してきている。 花粉症持ちの方はどなたも辛いだろうけど、山仕事をしている僕も例外ではない。それをはるかに上回る楽しさを山に見出しているから、いいんだけど。 昼食を食べ終わったところで仮眠をとる同僚の寝息と鳥の鳴き声、それとラジオを聴きながら本を読む。 高校野球の春選抜が始まった。初日から延長にもつれ込む白熱した試合が繰り広げられている。とラジオの中の実況が話している。 そういう音を

          人に勧められる本を3冊。

          根性と決めるのは自分。

          十数年前、アスファルトから抜きん出る大根を見て、ど根性大根だ。というのが流行りましたよね。 人間が作り出した環境で大根が勝手に生えてるだけじゃねえかと思っていました。そこに健気さも根性もない。大根からしてみても、こんなところにアスファルトを敷いて、伸びるのに難儀するわ。と湧き上がる気持ちとともに煮付けられていたのだと思う。 先入観と思い込みは、浅い方がいい。 ついでに言うと、笑いと驚きのツボも同じことが言える。 なぜこんなことを書いているのかというと、 崩壊と再構築の曲

          根性と決めるのは自分。